【場所と人のつながり(番外編)】パチンコ屋は、社会的な居場所になりうるか?
こんにちは、Keigo Nozakiです。
最近寒くなったり暑くなったり季節の変わり目で体調管理大変ですよね。
風邪かもしれないなって思っても、次の日には元気だったり、元気だと思ったら次の日熱っぽいなと思ったり。
まだ周りの山は紅葉はしていないけど、秋の雰囲気がだんだんとしている感じがします。
こんな季節には、コーヒーがおいしい。私はお腹が痛くなるので一日一杯しかコーヒーが飲めないのですが、この時期はどうもお腹が痛くなるとわかっていてももう一杯飲みたくなる。
さて、コーヒーの話で盛り上がりそうになったところで(カフェの話はまた別の回でしますね)、今回はパチンコ屋さんは社会的な居場所(サードプレイス)になりうるのかについて考えてみたいと思います。
私は、パチンコ屋さんでパチンコをプレイしたことが一度しかありません。それも友達と数年前に行ったきりで、あまりシステムもよくわからなったし、プレイしているときにどの状態がいい状態なのかもわからなかったのですが・・・
そんな曖昧な記憶の中で気になったことがありました。
私が行ったパチンコ屋さんは田舎の方のパチンコ屋さんで、その日2件はしごをしたのですが、平日の昼間だというのに、そのどちらのパチンコ屋さんにも高齢のおじいちゃん、おばあちゃんがいっぱい居たのです。
私の中での勝手なイメージでは、おじいちゃん・おばあちゃんは平日には地域のコミュニティセンターで将棋、囲碁、生け花とかしているイメージだったので、こんなにも高齢の方々がパチンコ屋さんにいることが強烈に記憶に残っています。
私はパチンコ屋さんの利用者層について、20代の大学生からそれなりの稼ぎがある50代のイケイケの人たちが主な利用者層だと想像していました。
しかし現実には高齢の方が利用されているようで、私のなかの想像と現実に乖離があるということに衝撃を受けたのでした。
最近Youtubeを観ていて、なにかの動画で「パチンコ屋は年寄りが暴れないために、彼らに刺激を与えているんだ」みたいなコメントをみました。なんの動画か、そしてコメントの内容も薄っすらとしか覚えてないのですが、上記のことに衝撃を受けていた私は、なんとなくお年寄りがパチンコ屋さんに多くいた理由がわかった気がした。
パチンコ屋さんは、音もうるさいし、目もチカチカするし、たばこ臭いし、慣れていない人からすると最悪なわけですよね。私もその一度しか行ったことがないけど、もう一度行きたいかと聞かれたら行きたくないと答える。
ただ通っている人からすると、あの音も、あの光も、あの匂いも気にならなくなって慣れてくるのだろう。慣れてくると五感が鈍くなって刺激をもっともっと欲しくなる。実際私も3時間ほどプレイしたが2時間プレイしたところで最初に感じていたうるさい感覚や、光、匂いといった感覚がなくなっていた。最初は回すやつを回していてもこれどうなっているんだろうとか考えながら回していたが、終盤では作業のように無思考で回すやつを回していた。
現実的なことを考えず時間を潰すのには、いい場所であると思われる。
実社会で刺激があまりないと考えられる高齢な方々(これは偏見です、すいません・・・)は、なにもない(と、本人は思っている)虚無的な現実を忘れるために、過度な刺激を受けれるパチンコ屋さんに通うのではないだろうか。
そうしたパチンコ屋さんについて考えたとき仮説として、もしかしたらパチンコ屋さんは何か(パチンコ)に熱中できるし、平日の昼間は高齢の方々が集まる場所になっているから、社会的な居場所として機能するのではないかと思った。
しかしよく考えてみるとパチンコ屋さんは社会的な居場所になり得ないかもしれない。以下数点思いついた理由をあげてみよう。
まずはじめに、パチンコ屋さんの排他性だ。たしかにお金がなくても入店は可能だ。プレイするのではなくただただその場にいる仲の良い友達と喋ることはできるし、若者が年上の人と共通の話題(パチンコの話)で盛り上がることもあるだろう。しかし私たちが議論すべき居場所で重要なのは、どんな年齢の人でも入れる場所だ。パチンコ店は18歳以上しか入店が許可されていないため、子どもたちが入れる場所ではなく、必然的に子どもたちは入れないのだ。
2点目に集まった際に熱中できるものとしてのパチンコがその場での会話を生み出すのかという点だ。私は以前にカードショップのカードスペースについて居場所だったと述べた。カードゲームもパチンコもしているときは、熱中できる。しかしながらパチンコをプレイしているときにその場で会話は生まれるのか。隣に友達が座ったら生まれるかもしれないが、ほぼ作業のようなもの(私はそう感じた)なので、その場その場での会話は生まれないような気がする。勝った負けたなどの話はするかもしれないが・・・
3点目に平日にたくさんのお年寄りが集まるという点であるが、この点が一番パチンコ屋さんが居場所として成り立っているのではないかという根拠で説得力が高いように私は思う。
定年退職をしたお年寄りは会社に通わず、家庭で生活をしている場合が多い。家庭だけで生活をしているとなにか刺激が欲しくなる。そうしたときにパチンコ屋さんの音や光、匂いなどの刺激は家では感じ得ない刺激だろう。
上記でみたyoutubeのコメントでも「老人が暴れないように」とあったが、家庭にこもっていたら、偏った思想になったりする可能性もあり、子供よりもいろんなことを知っているので危ないことを実行に移す可能性が多いにあるわけで、そうした老人に刺激を与えることで危ないことを抑制するのにはパチンコはいい刺激になりうるかもしれない。
たがここで問題なのは定年退職し、収入を年金に頼っている年金受給者がパチンコ依存症になり、年金をパチンコに吸い取られてしまうという問題があるということだ。依存症については、また別の記事で述べるとしてもパチンコはギャンブルなので、沼にハマってしまうことが多いだろう。特に数時間あのやかましい環境でタバコのニオイを嗅いでいたら頭もぼけーっとしてしまうので時間を忘れて、依存症になってしまい、年金で得た収入を失ってしまうのではないかと考えた。
以上の点において私はパチンコ屋は社会的な居場所にはならないと結論づけました。
Keigo Nozaki
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