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トニ・クロースは何がすごいのか?

こんにちは。

所属するエリース東京FCのシーズンが終わり、大学院での研究も少し落ち着く時期に入ったので、最初は年内一番のビッグマッチであるナポリとの一戦のマッチレビューを書くつもりでした。スターティングメンバーの図まで用意していました。

CLグループステージ第5節 vsナポリ

試合は4-2というスコアでレアル・マドリーが勝利し、無事CLグループステージは5連勝で文句なしの首位通過。ティボ・クルトワ、エデル・ミリトン、ヴィニシウス・ジュニオール、ルカ・モドリッチ、ケパ・アリサバラガ、アルダ・ギュレルをケガで欠きながらもこの試合運びはさすがとしか言いようがなく、ジュード・ベリンガムのホセルへの振る舞いを見てもチームが良い雰囲気であることを感じさせます。

この試合も格が違ったベリンガム、直近4試合6ゴール4アシストと爆発するロドリゴ・ゴエスらに注目が集まっていますが、試合を再視聴して改めて衝撃を受けたのは“トニ・クロースのすごさ”でした。ということでマッチレビューからテーマを変更。プレス耐性の高さ、正確無比なパス、高精度のミドルシュート、そのような使い古された表現、表層的な要素だけでは面白みに欠けるので、過小評価されることの多いこの選手の本質的なすごみを再解釈し、解像度高く掘り下げようと思います。特にベリンガムの逆転弾に繋がった18分58秒から21分6秒までの約2分間、クロースの選手としての価値がこのわずか2分間に凝縮されていました。本稿は前半の説明を元に、後半でその2分間のシーンを具体的に見ていく構成となっています。最後までお読みいただけると嬉しいです。


ビルドアップの目的と方法

筆者は、主要4局面のうちのボール保持、ボール非保持それぞれの局面を、さらにエリアと目的によって3つ(プレス回避、ビルドアップ、崩しおよびハイプレス、ミドルプレス、ブロック守備)に分類している。中でも、主にミドルサードで行われる、相手のミドルプレスに対して失わずにボールを前進させることを目的とした一連の行動をビルドアップと呼んでいる

注意したいのは、ビルドアップの目的は“ボールを前進させる”ことであり、“ボールを持つ”ことではないということだ。フットボールにおけるボール保持の最終目的は当然崩しにおいて“ゴールを奪う”ことであり、そのためにはボールを相手ゴールに近づけていく作業が必要になる。この目的を履き違えると、ただ相手の守備陣形の外側をU字経路でボールが行き来することとなり、たとえボール支配率が90%を超えてもそれをビルドアップと呼ぶことはできない。方法よりもまずは目的をはっきりさせ、チーム全体で共有することは非常に重要である。

では、どのようにしてボールを前進させるのか。その方法は大きく分けて2つ存在する。1つ目は、相手のラインを越える、である。

すでに一般的に知られている通り、サッカーには[4-4-2]、[4-3-3]といったフォーメーションがある。ボール非保持のいわゆる守備陣形はFWライン(ファーストライン)、MFライン、DFライン(最終ライン)によって構成されるため、それぞれのラインを越えていくことによってボールは前進する。しかし、パスにしろドリブルにしろ、ラインを越える際には当然ボールを奪われるリスクが発生するため、そのリスクを冒さず安定して前進するには、相手の守備陣形自体を後退させてしまえば良い。相手のラインを下げさせる、これがボールを前進させるもう1つの方法である(ゴールを奪うためには、最終的にどこかでラインを越える必要はある)。

フットボールは、相手(ボール非保持側)の配置が定まることによってピッチ上のスペースが定まり、そのうちボールが到達可能なスペースに適切に人(ボール保持側)を配置することによって選択肢が生まれる。フットボールはスペースと選択肢を奪い合うゲームであり、ここ数年でポジショナルプレーという概念が脚光を浴びたのも、それだけフットボールにおいて配置(による選択肢の創出)が重要であるということが再認識されたためである。

相手のラインを越える、あるいは相手のラインを下げさせるためには、どのような配置をとるべきか。という話題ではあまりに範囲が広すぎるので、本稿ではもう少しミクロな原理ベースの話題として、どのように選択肢を作るのが有利に働くか、という話をしたい。トニ・クロースという選手は、“手前”の選択肢になる名手である。現役フットボール選手の中で、“手前”の選択肢になることにかけては彼の右に出る者はいないと、筆者は考えている。


“手前”と“奥”

結論から言ってしまえば、ボールホルダーに対し越えたい相手のラインの“手前”と“奥”それぞれに選択肢を用意すれば良い。当然と言えば当然の話であるが、実は難易度が非常に高い。

ポジショナルプレーが普及した今でこそそのような状況に陥るチームは少なくなったが、ボールを前進させるために前線の選手たちがボールを受けにラインより後方に落ちてきてしまい、奥の選択肢がなくなることでかえってプレスを誘発してしまうというのが各チームでありがちな現象であった。

その点、レアル・マドリーには奥で待ち、選択肢になることのできる選手が多くいる。ベリンガム、ロドリゴ、ルカ・モドリッチらである。

ボールホルダーに対して相手のファーストDFが決まっており、ボールホルダーが直接奥の選択肢にパスを通すことができない場合、まさにそのタイミングで他の選手が手前の選択肢になることが求められる。手前の選択肢が満たすべき条件をより具体的に表現すると、以下の2つに集約される。

  • 直接奥の選択肢にパスを通すことができる、相手と相手を結ぶ辺に立つ(A)

  • 辺に対して垂直な方向(基本的には前)に身体が向いている(B)

前提として、ボールホルダーがすでに直接奥の選択肢にパスを通すことができる、あるいはドリブルで運ぶことができる場合、そのボールホルダー自身が手前の選択肢になることができているため、他の選手は手前よりもむしろ奥に移動し、奥の選択肢を増やしてあげる方が理に適っている。他の選手が手前の選択肢になる必要があるのは、あくまでボールホルダーの前方にスペースがなかったり、相手がファーストDFを決めていたりして直接奥の選択肢にパスを通すことができない場合である。

手前の選択肢が不必要な場合

以下に手前の選択肢が必要な場合の3通りの例を示す。

例1

例1は、相手と相手を結ぶ辺に立てておらず(A:×)、ボールを受けたとしても直接奥の選択肢にパスを通すことができないため、手前の選択肢になることはできておらず、むしろボールの奪いどころとして相手のプレスのスイッチになる恐れがある。

例2

例2は、相手と相手を結ぶ辺には立てている(A:○)ものの身体が後ろを向いており(B:×)、奥の選択肢を相手に見せることができていないため、相手はボールの移動中にラインを上げて気持ちよくファーストDFを決めることができ、無理やりターンしようとして失う、あるいはバックパスをしてさらにプレスをくらうといった状況に陥る。

例3

例3は、相手と相手を結ぶ辺に立つ(A:○)と同時に、例2と比較して多少相手ゴールから遠ざかったとしても、相手から離れて身体が辺に対して垂直な方向(前)を向いている(B:○)。これにより、相手が無理やりファーストDFを決めてきても直接奥の選択肢にパスを通すことで相手のラインを越えることができる。またボールの移動中から奥の選択肢を相手に見せることができるため、そもそも相手はファーストDFを決めることよりも辺を閉じる、奥の選択肢を消すことを優先せざるを得ず、その結果手前の選択肢になった選手の前方や閉じた相手選手の脇に新しいスペースが生まれ、別の経路で相手のラインを越える、あるいは相手のラインを下げさせることが可能となるのだ。

手前の選択肢を用意することで生まれる優位性

加えて、手前の選択肢になるタイミングも非常に重要である。基本的にポジショニングは早いに越したことはないが、辺に立つのがあまりに早すぎると相手もそれに合わせて陣形を変化させるため、ボールがその選手に到達する頃には通すことのできる辺がなくなっている恐れがある。そのためボールホルダーが相手のファーストDFによるプレスをくらったまさにそのタイミングで手前の選択肢になっているのが理想的である。

最後の項で改めてナポリ戦のシーンと共に確認するが、クロースがCBからボールをピックアップする際、ほとんど必ずと言って良いほど上記の2つの条件を忠実に守っており、かつそのタイミングも絶妙である。実はこの両方を常に実行できる選手は世界のトップレベルを見ても多くなく、例えばニコ・パスのトップチーム初ゴール、ナポリ戦決勝ゴールとなった83分15秒のシーン。彼のターン技術の高さによって対面のイェンス・カユステを剥がしシュートまで持ち込んだが、相手との距離が近く身体も後ろ向きだったため、より守備強度の高い選手が対面だった場合に激しく寄せられてバックパスを強いられる可能性があった。この点で彼には伸び代があると言って良いだろう。原理に忠実なプレーを身につけた上で、駆け引きの一環としてあえてボールを晒しターンのクオリティを発揮する選択肢も持っているということと、それしかできないということの間には大きな差がある


選択肢の数

ここまで、フットボールにおける選択肢、また選択肢の適切な作り方について述べてきた。当然、受け手となる他の選手たちはボールホルダーに可能な限り多くの選択肢を用意してあげた方が良い(価値の高いスペースにおける選択肢が多ければなお良い)。

翻って、ボールホルダーからしてみれば、より多くの選択肢を持つことができるかどうかが鍵となる。持っている選択肢の数の多さがフットボール選手としての価値の高さに反映されると言っても過言ではない。ただし、ここまでの“選択肢の数”という表現だけでは、重要な2つの視点が抜け落ちてしまう可能性があるので、その2つについてさらに言及する。

1つ目は、選択肢とは何もピッチ上という“空間”における味方選手だけの話ではないということである。つまり、タイミングである。“時間”軸上の選択肢、どのタイミングで選択肢を選び実行するか。それ自体も選択肢の数と言えるのだ。

2つ目は、その時間軸上のある1つのタイミングにおいて“同時に選ぶことができる”選択肢の数こそに意味があるということである。フットボールとは刻一刻と状況が変化していく複雑なゲームであり、ある選択肢が相手によって消された、ではそこから考え直してもう1つの選択肢を選ぼう、ではもう遅いのである。ある選択肢が相手によって消された、その瞬間にはすでにもう1つの選択肢を選び実行している必要がある。

抽象的な表現になってしまったので、もう少しわかりやすい例を挙げたい。“ボールを受けてから1秒後に選択肢A、4秒後に選択肢Bを選ぶことのできる選手”と、“ボールを受けてから1秒後に選択肢AとB、2秒後に選択肢CとD、3秒後に選択肢AとCとD、4秒後に選択肢BとEを選ぶことのできる選手”。どちらが優れた選手であるかは明白である。

以上の2つの視点を取り入れたものを“選択肢の数”と呼ぶとき、クロースのボールホルダーとしての選択肢の数は誰よりも多い。それでいて彼は当然のように、常に複数の選択肢の中からボールを前進させるための最適な選択肢を選ぶことができる。受け手としての選択肢の作り方と、出し手としての選択肢の数、その選択の正確性これこそがトニ・クロースという選手の真髄であり、そこに他の追随を許さないキック精度というクオリティが上乗せされた結果、一時代を築く歴代屈指のMFに上り詰めることができたのである。


ナポリ戦のトニ・クロースのプレー

最後に、ナポリ戦のベリンガムの逆転弾に繋がった18分58秒から21分6秒までの約2分間を振り返り、クロースがいかに(評価のされにくい部分で)大きな役割を果たしているかを確認したい。

19分12秒

19分12秒、相手から離れながらもフェデリコ・バルベルデに数歩寄り、前向きで手前の選択肢になる。ジョバンニ・シメオネやピオトル・ジエリンスキが辺を閉じたタイミングでアントニオ・リュディガーへのパスを選び、運ぶドリブルを促してラインを10m弱押し下げ、ボールを前進させている。

19分28秒

19分28秒、サイドチェンジの途中でここでも手前の選択肢になり、ザンボ・アンギサとスタニスラフ・ロボツカに辺を閉じられ、相手全体がボールサイドにスライドしようとしているタイミングでもう一度対角のダニエル・カルバハルへのサイドチェンジを選択。ラインを20m以上押し下げてボールを前進させている。

また、このような状況下で彼は相手左SBがカルバハルに食いついているかどうかをギリギリまで我慢して見極め、足元か奥のスペースかを1つのタイミングで蹴り分けている(原理は同じで、CB-SB間の辺が閉じるなら足元に通し、閉じないなら辺を貫いた先のスペースに通す=バックドア)。選択肢の数の多さと選択する際の駆け引きの巧さを示す彼の象徴的なプレーの1つである。

20分15秒

20分7秒に再びカルバハルへの対角のサイドチェンジを通した直後の20分15秒。手前の選択肢になり、マッテオ・ポリターノを釣り出して開いた辺から奥のベリンガムへと縦パスを通す。MFラインを越えることに成功。20分44秒には三度辺を閉じられたタイミングでカルバハルへの対角のサイドチェンジを通し、ボールを前進させている。

20分56秒

極め付けは20分56秒である。今度は中央レーンにエリアを移し手前の選択肢になると、アンギサに辺を閉じられたタイミングで脇のスペースからラインを越えようとするダビド・アラバにパスを出す。ポリターノは数十秒前に縦パスを通されたこともありファーストDFを決められず、アラバに気持ちよくアーリークロスを上げるスペースを与えてしまった。完璧な軌道のボールをベリンガムが頭で合わせ、これが価値ある逆転弾となった。


おわりに

たった2分間で、これほどビルドアップの目的を理解し、その方法を淡々と遂行してボールを前進させる選手は世界中を探してもほとんど見当たらないでしょう。説明できていないクロースのすごさはまだまだあるかと思いますが、フットボールの原理に基づく本質的な選手としての価値を、少しは言語化することができたと感じています。CLをフルで視聴できる環境にある方は、ぜひぜひこのシーンを見返してみてください

noteで記事を書くのが本当に久しぶりでした。今でこそ『footballista』で主にレアル・マドリーの戦術に関する記事を執筆させていただいていますが、元はと言えばそのお話をいただいたのはこのnoteがきっかけでした。最後にこのプラットフォームでレアル・マドリー関連の記事を書いたのがCLを制した2021-22シーズンの総括記事、マッチレビューとなるとその前のシーズンのCLラウンド16アタランタ戦1st-legにまで遡ります。ですが、W杯のマッチレビューやEAスポーツの『FIFA』シリーズとリアルサッカーの違いを考察した記事、そしてテイストの違うトラッキングデータを用いた分析に関する記事、戦術本の書評など、思いの外色々な記事を書いていたようなので、興味のある方はぜひご一読ください。以下過去シリーズです。次回の記事がいつになるかはまったくわかりませんが、引き続きよろしくお願いします。


最後までお読みいただきありがとうございました!


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