はじめて取り憑かれる(霊とか魂の話)

どうやら見える人が言うには、私はかなりの憑依体質らしい。
憑依体質ってのは霊に憑かれやすいってことなので、かなり憑かれやすいというのは、一体だけでなく、何体も何体もの霊に取り憑かれやすいってことだ。

私は見えないのに、なんで霊に取り憑かれているなんてこと言えるかって言うと、全然面識のない人が、まったく同じことを言ったりするのであった。

私が高校生の時である。その日は土曜日の午後で、家には母と姉と私と猫がいた。そこに母の友人から母に電話がかかってきて「あなたの子供(私のこと)に小さな女の子が取り憑いている」と言った。それから1分もしない間に、今度は母方の親戚から電話がかかってきた。母の友人とこの親戚はまったく関わりはない。母方の親戚は「そのままあなたの子供に女の子が取り憑いたままだと、命に関わる」と言うのであった。

この時点で私は電話の前でかなり動揺していて、当時家で飼ってたネコに向かって「アハハッ、そんなことないよね茶目子(猫の名前)」と自分を落ち着かせるために言うと、茶目子は私の目を見ないで、私の少し頭の上のあたりを見つめるのであった。その位置は、もしも私が小さな女の子を肩車していたとしたら頭があるあたりである。しばらく私の頭の上あたりをジッと見ていた茶目子は、突然四つ足戦闘モードで立ち上がり、背中の毛をピンと逆立てて「シャーッ!」と威嚇したのである。
私の家の猫の茶目子はよく見えないなにかと遊ぶことがあって、夜とかに何もいない空中見て「ニャニャニャニャーン」とかなにかを追いかけたりしている。

決して偶然に並ぶはずのないものが必然のように並ぶと、さすがに自分が見えないからって「いるわけない」って感じでなくなる。私に見えないだけで、きっといるんだろうと思ってしまう。

それで母とお祓いに行ったのであるが、無事お祓いを済ませてその帰り道で、無縁仏の横を通った時に私は「ああ、こんなに沢山誰も供養してくれないって、かわいそうだなあ」などと思った。思ってしまった。
そして、家に帰って来てから取り憑かれてることを教えてくれた人に電話をすると「ああ、今まで乗っていたのは取れたわね、でも帰りにまた違うの乗せて来たわね、なんかお侍さんみたいな…」ということで余計にヒドいことになってしまった(その後またお祓いである)。
どうせ乗せるんなら、お侍さんよりは小さな女の子の方がまだましなんではないか、と思ったりした。

小さな女の子なら、人助けでなくて霊助けとして乗せてあげてればいいじゃないかとか思う人もいるかもしれないが、私の場合は霊が乗ってしまうと「なにをやっても裏目に出る」という効果が発生する。
あのときこっちを選んでいればとかで例えてみよう。通常では右の道を選ぶとなだらかで歩きやすい道、左の道を選ぶと水溜りや小石が転がって転びやすい道とかである。これが霊に取り憑かれている場合は、右の道は山からの崖崩れ、左の道は川からの土砂崩れ。どちらを選んでも確実に悲惨なことになるのである。
この頃の私は毎日「ああ、この世界って地獄だったんだなあ」と思っていた。

取り憑いていた小さな女の子は取ることができたようで、その女の子の出どころ(おばあちゃんの方の家系の人)も教えてもらったこともあり「もう取り憑かないでください」と挨拶しに行った(なんでそんなことわざわざしたのかと今では思うが)。
通常おじいちゃんの方はお墓参りするが、おばあちゃんの方は行くことがなかったのもあって、挨拶くらいしといた方がよいような気がしたのであった。

お寺に着くと住職さんが出かけていておばあちゃんの家系のお墓がわからない。母は以前に来たことがあったらしいが、全然覚えていないようであった。こうなるとわかっているのは上の名字だけで、お寺の斜面には数百の墓石が立っていて、お寺の右にも左にも裏にもズラーッとお墓が広がっている。こんな数で探せるわけがないのである。
しょうがないので帰ろうかとしたら、私が勝手に母から離れてトコトコ歩き出した。スーッと進んでいって、パッと曲がって、またサッサと歩いて斜面の階段を登っていく。上の突き当たりから三番目くらいの墓石で曲がって、その角から隣の隣にある墓石のところで正面を向くと、なんとおばあちゃんの家系の名前が書いてある墓石であった。たまたま同じ名字ってわけではなくて、ここで正解だったようである。
ちゃんと「もう取り憑かないように」挨拶して、小さな女の子へ買ってきたお菓子もお供えすることができた。

だから、私は見えないのではあるが、見えないものはあるんだと思っている。そして、その後も私は、なにかと不思議な目に合うのであった。

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