『大菩薩峠(1957)』を観ました。 1 keigaku 2021年11月21日 14:54 巡礼のおじいさんと娘が一休み。娘は「おじいさん、私お水を汲んでくるわ」と言ってその場を離れる。そこに近づくお侍の竜之助(片岡千恵蔵)、彼は休んでいるおじいさんを、背中からバッサリと切り捨てるのであった。おじいさんを切り捨てた理由はなにも語られない。娘が戻った頃には、お侍の竜之助はもう、峠のはるか遠くを歩いている。まったくこんなにも酷いはじまりがあるだろうか。いったいこのおじいさんが何をしたと言うのだ。もしもこのおじいさんが罪を犯して逃げているとかであれば、ちゃんとそれを言ったらいいではないか。一人残された娘はただ泣くだけである。主人公であるお侍の竜之助には、正義というものがない。明日の剣の試合の対戦相手の妻が「なんとか試合負けてもらえませんか」などと言うと、「だったらお前の女の操(みさお)を私にささげれるのか?」などど言い。使用人を使ってこの妻を拉致したりする。こんなお話、今テレビで放送したならば、抗議の電話が鳴り止まないであろう。「いきなりおじいさんを斬るとは何事だ!」「不貞を誘うようなことは許せない!」「こんな主人公を子供が真似したらどうするんですか、責任取れるんですか!」といった具合である。キャッチボールなんかに例えると、とても捕れないような豪速球を、いきなり頭目掛けて投げつけてくる、みたいなものであろう。特に現代の私たちは、球を投げる時には「はい、今から投げますからね」と言ってもらい、「あなたの構えたところに、今からゆっくり投げますからね」とかあらかじめ言われて、それでも投げた球を取りこぼしたりすると、「すいませんでした、次はもっと取りやすいとこに投げますんで」なんて謝られたりするのである。日頃そんな球しかキャッチしていないので、いきなり危ない球を投げられたら、もうどうしたらいいか、わからなくなってしまうのである。気に入らないとすぐ文句を言い、わからなかったり納得できなかったりすると、すぐに文句を言う私たちである。そうなことをやっていくうちに、作り手が先回りして文句が出ないようになってしまい、結果私たちの観る作品は、骨のないヒョロヒョロの作品ばかりになってしまった。お侍の竜之助役の片岡千恵蔵だったら、こんな言うんではなかろうか。「コンプライアンス? そんなもんは後ろから、バッサリと斬り捨ててしまえばよい」と。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #映画感想 #大菩薩峠 #片岡千恵蔵 #内田吐夢 1