空き家に入った初日の話(霊とか魂の話)
札幌に着いたのが夕方過ぎていて、もうあたりはうす暗くなっていた。やっとのことで玄関前の雪山によじ登り、斜めに滑って玄関に降りて、雪の積もった戸の半分くらいの高さにある鍵穴に鍵を突っ込んでやっとのことで回し開け、雪に押されて引っかかっている引き戸を、半分力づくで開けた。家の中は湿った木の臭いとカビのような臭い充満していて、入ってきた侵入者をムッとまとわりつくように包んできた。
まず電気を点けて、恐る恐る一階を見ることにした。廊下の角を曲がるとすぐに台所であった。テーブルには広げた食事の食器のお茶碗やおかずの小皿なんかがそのまま置いてある。食器の中の食べ物は腐る前に乾燥したようで、干からびてくっついていた。台所のまな板の上には、なにかわからないが食べ物がすっかり腐って黒くなっていた。三角コナーもゴミがほとんど黒く、元がなんだったのかわからない。北海道の寒さのせいで全体の腐敗臭は少ない。
一見家族が食事中に少し席を外しているようにも見え、すぐにまた戻ってきて、お父さんは新聞を読んで、上の子供は「ちゃんと座って食べなさい」とか怒られて、一番下の子は上の子に椅子に座らせてもらったりして。お母さんはまな板で切った具を味噌汁の鍋に入れる。そういう活気ある風景が、死んだような今の風景に二重写しみたいに見えた。
結局、コンロに置かれている2つの鍋の蓋は開けられなかった。
部屋は二階にあるので、階段を上がっていく。少し登って家の角に突き当たって、90度曲がってまた少し登る。廊下が伸びて、その右左両方に部屋があるようである。
かなり広い家で、二階の部屋には大きな10畳ほどの部屋が通り側に2部屋、一番奥に1部屋。通りと逆側には小さめ四畳半くらいの部屋が2部屋ある。
寒いので、とりあえず一番狭い部屋を見つけて、灯油でのストーブを点けたい(これは先に運んでおいてあった)。それで寒冷地用のマイナスでも耐えれる寝袋に入って寝てしまいたい。なんだか引っ越しの荷物片付けで、ここんところほとんど眠れていない。
夜の9時過ぎだというのにあたりは静かだ。この家の前の通りは元商店街だったらしいが、今ではお店が所々しか残っていない。そんなお店ももうとっくに閉まっている。
さっさと寝てしまおう、寝て起きたら朝になる。朝になれば掃除も引っ越し荷物の片付けもできるであろう。
ベッドのマットレスを2枚敷くのがやっとのような部屋が、ストーブで温まってきた。貞子や伽椰子が押し入れの中に潜んでいると大変なので、入ったらまず開けて確認してみたが、怪しげなストリップ劇場とかの立て看板とかが入っているだけであった。この「白黒ショー」というのは何であろうか、「入れポンだしポン」というのは何であろうか。今日はまだ細かくは追求せずに眠ろうと思い、身体を横にした。怖くて電気は点けっぱなしだ。
しばらくウトウトすると、「ダダダダダッ」「ダダダダダダダッ」と下の階で足音がする。時計を見ると0時過ぎである。
まず「ダダダダダッ」と一つの元気のいい足音が、一階の廊下の玄関側の端から突き当たりの端まで走る。するとそれに負けない感じでもう一つの足音が「ダダダダダッ」と走りはじめるが、こっちは速度が少し遅いので、弟か妹ではないだろうか。
それを何度も行ったり来たりするので、かなりうるさい。耳を下につけているからうるさいのだと思い、寝袋に入ったまま頭を少し上げてみた。すると廊下の先の階段の方から「ダダダダダッ」「ダダダダダッ」という音が聞こえてくる。こっちの方が生々しく感じて怖かった。
こっちはやっとのことで眠れるというのに、何故このタイミングでかけっこをするのだ。夜中のネコの運動家でもあるまいし。なんだか疲れていたせいか怖さより迷惑で怒る感情が強かった。
しかしかなりやばいのは薄々気がついていて、というのも逃げるには一階に降りて玄関から出ないといけないし、そこを彼らは走ってるわけだから、一階に降りた時に、ばったり顔を合わせてしまうかもしれない。今は彼らの遊び場は一階であるが、飽きてその範囲が2階まで広がってきたら、私はいったいどうしたらよいのだ。
その嫌な想像は的中した。彼らは同じコースに飽きてきたのか、遊び場をだんだん階段周辺に移動していった。ついには階段を上がってまた降りるというのを繰り返し始めた。
起き上がって廊下に耳をすますと、階段の中くらいに上がって、こっちの様子をうかがっているような気配がするのだ。それでまた一階にドタドタと降りていく。
例えば「私はここにいるぞい!」と叫んで自己主張したところで、追い払うという方向に行けばいいが、あっちが「みーつけたっ」と言う方向もありえるのだ。あっちは間違いなく2人はいるし、こっちは1人だ。あっちが本気になったら、まずかなわないであろう。まったく勝てる気がしない。
心臓がバクバクして、自分の耳にうるさいほど聞こえてくる。
この空き家の二階に入るのは3人だったのに、私だけさっさと部屋を引き払ってしまったので、この年末ギリギリなんかに入らざるえなかったのだが、そういう行動は浅はかだったと後悔した。
しかし、幽霊とかであれば、もう少し雰囲気とかあるであろう、やたらめったら走るってのはどういうことだろうか。夜に走るってのは親は注意しないのだろうか。親もこんなうるさかったら眠れないであろう。そこんとこいったいどうなってるんだ。
やっと決意して、「ドンッ」と畳を叩いた。すると何故だかピタッと足音が止まる、しかし少しするとまた「ダダダダダッ」と続行する。
もう全く眠れず3時とかになった。でもどっちかというと気絶でもしてしまった方が楽だと思った。「はっ。朝か」で朝になっていて欲しいのである。
引っ越し荷物からラジカセを出したりして、明るい元気の出る曲を探してかけた。寝てて起きたら囲まれていたというのが考えうる最悪な展開なので、寝ないでがんばることにした。
薄暗くても家の前の通りをタクシーが通ったり、新聞配達の人が通るような時間になったら、足音はしなくなっていた。やっと朝の明るさが入ってきたのを確認してから、安心して眠った。
霊が見える友人が言うには、一階で走っていたのは子供の生霊なのだそうだ。「ああ、あの家で走り回って遊んだな」などと思ったのが、「ダダダダダッ」と走っていたようである。
するってえと、私も小さい頃楽しく遊んでいたのを思い出したりしたら、その場所を「ダダダダダッ」と走っているんだろうか。
これが北海道の札幌で、夜逃げした空き家に入った初日の夜の話である。