『アントキノイノチ(2009年)』を観ました。
監督さんはああいう最後にはしたくなかったんではないかなと思う。だけどお金を出しているスポンサーさんとかに「どんなことしても、最後は観た人を号泣させて下さいよ」とか言われたりして、ああいう最後になってしまったのではなかろうか。
そんな気がして、原作(さだまさし作)の小説を読んだらこっち終わり方はしっくりきた。それに女の子(榮倉奈々)は遺品整理業者の同僚ではなかったりして、かなり大きく映画にするにあたっての変更点があるのがわかった。
小説は自分(岡田将生)が壊れてしまった学校のことと、現在の遺品整理業の仕事のことが交互に進んでいく形で、これもわかりやすくできていたし、この作品の大事な登場人物である、学生時代の松井(松坂桃李)という男の姿がかなりの文量で描かれていた。
この松井という男が今の殺伐とした現代を象徴するような存在だと思う。わかりやすい悪人ではなく、巧妙に嘘で周りをコントロールしたり、その場に合わせて裏と表を使い分ける、善人の顔をした悪意ある存在だ。
よく「学生時代とは違って、社会はそんなに甘くはない」とか言うが、今作の場合は逆で、仕事である遺品整理業で関わる世界は、ちゃんと情のある話の通じる人たちの世界で、逆に、学生時代の松井という男の話は、損得勘定で簡単に人を裏切るような、悪意がむき出しになった殺伐とした話である。
まだ悪意に慣れていない主人公に、他のクラスの学生(染谷将太)や、社会人としてはまだ幼い教師に、松井の悪意はいとも簡単に染み込んでいくのである。
この学生時代の松井で酷い話をしっかり描くことで、より今の遺品整理業の話が引き立つ。今の世の中の流れに対して逆を行くような、亡くなった人の思いを引き受けるような仕事がというのが際立つ。
お話としては、こういう悪意みたいなものに巻き込まれないで、それを元気に乗り越えて行くということでいいと思うのですが、そこに感動で泣かせようとかするもので、お話に無理が出てくるんではないかと思うのです。
結果的には、観る側を泣かせるために、登場人物が犠牲になってしまうようなことになってしまい、それで観る側が泣いたのであれば報われるのですが、「ちょっと無理あるんじゃねえ」とか違和感が出てしまったような感じがするし、原作の描きたかったことの焦点が分散してしまった感じがします。
きっと「もっと甘酸っぱいラブストーリーにして下さい」とか、「もっと泣ける結末にして下さい」とか言う人がいて、それで結局こういう落とし所になったような気がして。
なんだかんだ言って、私は今作をよかったと思ったのですが、なんだかおすすめしてる書き方になってないなあ。是非多くの人に観て欲しいです。