『食えなんだら食うな』が気になる
書籍の題の『食えなんだら食うな』という言葉に惹かれた。その通りだと思った。だから買って読もうと思っている(中古屋限定で探し中)。
私なんて生きてて不安だらけである。「仕事がなくなったらどうしよう」「お金がなくなったらどうしよう」「車がなくなったらどうしよう」「住むとこがなくなったらどうしよう」「食べる物がなくなったらどうしよう」といくらでも不安は出てくる。
それでいて一方、「生きることははまるで修行だし苦行だ」「生きてるってことに少しうんざりする」「しんどい人生なんて早く終わって欲しいわ」とかやけになって思うこともある。
もしも本気で「自分なんてどうなったっていい」と思っているのなら、不安なんて出てこないであろう。
もしも仕事がなくなって収入がなくなって、お金がなくなって住むとこも車も維持できなくなって。ついには周りの人との繋がりもなくなって、寒空に放り出されたりして。そんな状態でふと空を見上げても、「ああ、ついになにもなくなったなあ」とあっけらかんと言うだけであろう。
もしも本気で「自分なんてどうなったっていい」と思っているのなら、その他の感情は別に出てこないのではないだろうか。
私は「自分なんてどうなったっていい」なんてことは全然なくて、「食べ物もないから食べれない」となった時を考えると、とてつもない不安になるのである。そこで『食えなんだら食うな』という言葉にハッとなった。
「食べれなくなったらどうしよう」の問いに対しての言葉として『食えなんだら食うな』の返答である。食べれないってことは食べなきゃいいのである。食べなきゃいいって言うか食べたくても食べれないのであるから、食べないだけであろう。
「自分の存在が必要なくなったらどうしよう」とかも同じようなもので、必要がなくなればなにもしないだけであろう。
まったく「自分が自分が」が強すぎて、自分のことながら呆れてしまう。
結局のところなるようにしかならないのに、先回りして先のことを考えまくる。
少しでも不安を取り除きたくて、安心材料をかき集めようとする。
「もしも食べれなくなったらどうしよう」と問いに対しての答えは「食べれなくなったら食べれなくなるんじゃない」とか、わけのわからないことになってしまう。何の答えにもなってないようであるがそれ以上の答えは出しようもない。
きっと一瞬先のことは、私にはコントロールできないし、良い方にも悪い方にも誘導できないのではないか。
そういうのをうまいこと短く言っているのが『食えなんだら食うな』な感じがしている。
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