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【映画のパンフ 全部見せ】No.11『蜘蛛女のキス(1985)』

まだ同性愛ということをあまり知らなかった時に見たと思う。刑務所内の男をある男が好きになった話の後に、ある男が刑務所の外に出て街を歩く姿だけで「ああ、これは女の人だ」と一発で感じたのでした。
余程の衝撃だったのか今でも映像とストーリーを覚えています。
今作は配信には入ってないしネットのDVDレンタルにもなかったので、なかなか観るのは簡単ではないようです(高知市のツタヤには一店舗だけありました)。

この映画のパンフが私の持っている中ではダントツによくできていた。見開きページの中にポストカードのようなサイズのやわらかい紙が挟み込まれていて、これを開くと一人の文章が書かれている。(PDFでは見やすく組合せています)

見開きは白黒写真で、中の小さい写真はカラー。
小さい写真をめくると、一人の文章が書かれている。


この文章を書いているのが(私の知っている人だけあげると)映画評論家の淀川 長治さん、シンガーソングライターの松任谷 由実さん、画家の合田 佐和子さん、漫画家の萩尾 望都さん他、以下の顔ぶれです。

どれも読み応えあり。

このクライマックスの"キス"
淀川長治


 一人は政治犯、一人はホモ。この二人の同居。黒と白たるは言うまでもない。もちろん白がホモで黒が政治犯である。白が黒の……ここが面白い、蜘蛛の巣に、ひっかかる。この政治犯は黒ではないのだが、やはり黒の位置にある。いかにもこのホモが哀れでフェリーニの「道」のジェルソミーナであり「カリビアの夜」の夜の女でもある。

パンフPDF8ページより
右はヴァレンティン(ラウル・ジュリア)と左はモリーナ(ウィリアム・ハート)

私は神よ サン・ドニの街娼のように  
金子國義(画家)


映画の中でもストレートに語られていたが、人間を差別することが世界を悪くしている。やさしさだけがこの世を救い、やさしさだけが人間を変えられる--。
(中略)
"ホモセクシャル"という、これまでベールの向こうで、曖昧にしか描かれることのなかった題材を、映画的に=ドラマティックに描き上げたという点でも、この映画は見事だ。
私とほとんど同じ感性を持つ姉が、となりの席で涙を流していた。
男とか女とかの性別を超えた、人間愛のすばらしさが、この映画には、満ち溢れていた。

パンフPDF11ページより
ウィリアム・ハート演ずるモリーナの話の中に出てくる幻想

悲劇の底のあたたかいたまご色をしたあかり
合田佐和子


レアリストのテロリストとドリームランドのホモが牢獄の監房で同居したら、一体何が起きるでしょうか。
あらゆる面において対立するかのようなこの二人は、見れば見るほど私には、神と迷える小羊のように思えてくる。なぜなら、映画狂ホモのモリーナ役のウィリアム・ハートが、演技を超えた匿名性ともいえる悲しみ湛えていたからです。マッチョの彼がせいいっぱい女らしく振舞うしぐさは、グレタ・ガルボや原節子が、何故か申しわけなさそうに肩をすぼめた、あの両性具有の暖い背中に通じるものがあって、心底ほっとさせられるのだ。

パンフPDF20ページより
刑務所の外に場面が変わると、一気にテンポが変わります。

モリーナの声が紡ぐ夢
野谷文昭


原作はアルゼンチンの人気作家マヌエル・プイグが1976年に亡命先のメキシコで完成させた同名の長編小説で、母国では出版できなかったいわくつきの作品だ。だいいち同性愛と政治を扱っているのだから、当時の軍事政権が認めるわけがない。ただじホモが登場すると言っても、その手の作品にありがちなブルレスクなパロディーではなく、対話・シナリオ・脚注・一方通行の電話・報告書などのコラージュという形式を駆使してテーマに正面から挑んだ純愛小説なのである。

パンフPDF35ページより

文章はどれも興味深かったので、PDFではなんとか読めるようにしています(閉じてる部分の読みづらいところがあります)。

ここまでのパンフはよほどの熱意がないと作れなかったのでは。クレジットは以下のように表記されていました。
デザイン 浅葉克己/山本昌美
冊子の作りはもちろん、文章を書く人選も画像選びも、全てにおいて作品に対する熱い思いがビシバシ伝わってきます(調べたらデザイン界で有名な方でした)。作った方々に「素晴らしいパンフレットをありがとうございました」と伝えたい。

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