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カワイソウな長男の私

たぶん今でも母親は私のことを「カワイソウな子だ」と思っている。
母としてはそういうつもりではなかったのであるが、結果的にカワイソウなことになってしまって申し訳ないって気持ちが、母の子供である私に対してあるように思う。ちなみに私は長男。

母の私に対するカワイソウって気持ちは、「世の中をまっとうに生きていけるように育ててあげられなかった」ってことのようで、それは私が高校に行かなくなってから出てきたのではないかと思う。
母の中では学校に行くということが『人として当然できること』という認識であったようで、私という人間が学校に行くという、人として当たり前にできるはずのことができないということで、ある日の私の部屋のドアの向こう側で「そうなんか、私の育て方が悪かったんか」と言い放ち、ズズズッと床に崩れ落ちた(音がした)のであった。

私は一度も親に対して「よくもこんなに育ててくれたなあ!」「こんな私に育てた責任をとりたまえ!」などど言ったことはない。
産んだ私を、勝手にどこでも歩いて行けるくらいまで育ててくれたのであるから、私としては別に文句を言う気はない。
なので当時はなんで母が「私の育て方が悪かったんか」などと言ってるのかがわからなかったし、自分の不甲斐なさを母が代わりに謝ってるみたいで、なんだか気持ちが悪かった。

親としては、学校はまっとうに行って、大学にも入って、そこそこ安定した職場に入って、もしかしたらちゃんと歳の近い女性と結婚してと、ここらへんまでが『親のやるべきことはもうここまでね』の到達点であったのかもしれない。
その到達点のかなり前の段階で、もう到達点の方向から外れてしまったし、ここからではもうあの到達点に戻るというのは、どんな大逆転があっても有り得ないということで。「あなたをあの到達点まで連れていってあげられずに、大変申し訳ない」ということなのであろう。

いやいや、「私の人生だし、私が選んで進んでいく」ってことだと私は思うのであるが、親としては「そういうつもりではなかった」ということなのであろう。

以前に母から「あんた何の仕事してるの?」と聞かれたので「インターネットのホームページ作ったりとか、映像作ったりとか」とそのまま申し上げたら、「もう、そういうウソは言わなくていいのよ」などと言って哀れみの目で見られたことがある。これも言葉には出さなかったけど、きっと母は「そんなウソまでついて、カワイソウな子だわ」と思っていたことであろう。

もちろんいろんな「カワイソウ」があるとは思うが、どうしても私は、私の母親のから発せられる「カワイソウ」が苦手である。
まるでこう言っているように、私には感じられてしまうのだ。
「私を通常のレベルとすると、あなたは通常のレベルまで至らない人で、そんな至らないあなたに対して、私は哀れだなあと思っているのよ」
そして、本人の中で自分のことは、なんやかんや整理されたあげく「私って情に厚いし、思いやりがあるなあ」だけ残っているような感じがする。

まだ私が小さい頃に、障がい者(おそらく脳性麻痺)の人を見て母が「あの人はカワイソウな人なんだから、親切にしないといけないのよ」と言ったのをうっすらと覚えてている。妙な違和感を感じたが、その時はその気持ちをまだ形にすることはできなかった。

「お母さん、どうかもう私を哀れむのはやめて下さい」と泣きながら言うことは私にはないし、今後も言う気はない。だってどう思うかは本人の自由だと思うので。
私が気をつけていることは、「この人とずっと近くにいるとしんどいので、離れるようにする」というくらいのものだ。

父親の「お前は何をやってもダメなんだ」と、母親の「よしよし、あなたはダメでカワイソウな子ね」という最強のタッグで育てられてたような気がする。
私は『根っこで自分のことを否定する人の近くにいてはいけない』とか思う。どんなに味方のような顔してたって、自分を否定する人の近くにいたらダメになってしまう。どんどん自分がダメな方に引っ張られてしまう。

今の私が親に対して言いたいことといえば「どうか今後も、好きなように思っていただいて結構です」くらいなものか。

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