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大豊町の暮らし お困りごと解決(地元ネタ)

パソコンやスマホのトラブルではよく電話を受けるようになっていた。テレビ(BS衛星放送)が映らないというのもあった。家電製品(照明器具とか洗濯機とか)をネットで探すというのもあった。昔のVHSビデオをDVDにして欲しいとか、別にそういう商売をはじめてたわけでもないのに頼まれることがあった。

まずは、この地域の人に受け入れられるかというのがなかなか大変であって、そのハードルがかなり高いと思った。それまでは話も聞いてもらえないし、顔も合わせてもらえない。さんざん上手いこと言われてダマされた人が多く、そういう噂が広まってるからしょうがないと思う。

近所のスーパーのレジを2年以上してたので、最初は話なんて全然できなかったが、少しずつ怒られなくなり、半年くらいしたら世間話ができるようになっていた。同時に、ある期間だけ町の事業である『WI-FIお助け隊』という光インターネットと光電話の設定をすることをやっていた。これは家に上がって電話の切り替え作業をするのであるが、この時に一度でも顔を合わせてるとすんなり作業をさせてもらえた。「知らん人からの電話なんで普通は出ないからね」とか「知ってる人でよかったわ」とかなり助かった。

前から近所の知り合いからも「なんでもやってくれる人がいたら助かるのに」とは聞いていて、いつか余裕ができたらやれるかな程度にしか考えていなかった。

スーパーでレジしている時に、シニアカーでスーパーまで降りてきて、買い物して積みこんで、また来た道を帰っていく一人暮らしのおじいさんがいた。だんだん積み込みとか手伝わせてもらえるようになって「どこから来てるんですか?」と聞いたら、まあ驚くほど山の上の方からであった。下の道路から小さく見えていても、山道をグルッと回って登ることになるので、車で行っても20分くらいかかったりする場所だ。そこをシニアカーで行き来するので、もしかしたら1〜2時間かかってたのかもしれない。
そのおじいさんはもう亡くなってしまった。去年の年末の朝方に、火事で家が燃えてしまい、消火しようとしていたのか、おじいさんも大きな火傷をおった。なんとか火は地域の消防団の活躍で、裏の山には燃え広がらずにすんだ。数ヶ月経って、入院していたおしじいさんは病院で亡くなったことを知った。

知り合いの買い物を頼まれて、車を出して乗せていくこともある。山の少し奥に住んでいて、以前は旦那さんが車を出してくれていたが、亡くなってしまったので、免許も車もない奥さんは買い物に行けなくなったのだ。

また、知り合いのおばあさんの家に行くと。「庭の電球が切れていて」とか頼まれたりして、その家の倉庫には縛った新聞とか、空き瓶が山積みになってたりした。

「いつか余裕があったらする」ってのは、言ってて先延ばししてるだけで、結局はやらない言い訳なんだなあと思った。私は「いつか家で映画の上映会したい」とか言ってるくせに、ずっとやってなかったりした。やれることは今できる範囲でやっていったらいいんじゃないかと思った。

もちろん山ほどお金持ってるわけではないし、ホームページの仕事も入ったり入らなかったりだから、仕事はしないといけない。でも週3日くらいの仕事にしたら、今後も継続して、なにかこの地域でできるんではないかと思った。

さて、家に看板を出そうと思って、ネーミングを考えた。
『なんでも屋』とか『便利屋』は、なんかどんなことでも依頼されたらやるみたいで、いいイメージがなかった。それに今この地域でやってる業者さんとかの仕事を取ってしまうようなことも、したくなかった。

『お手伝い』ってのも、なんか依頼されても責任持って最後までやらないようなイメージがあった。「このくらいお手伝いしたらもう十分でしょ」なんて途中で投げてしまうようなのは困る。

それで『お困りごと解決』というものを選んだ。依頼者の困りごとを解決するのが目的。だから場合によっては他の業者を紹介することもある。依頼者と一緒に解決しようという感じが出てる気がした。

看板には『大豊町の暮らし お困りごと解決』と書いた。同時に『パソコンそうだん室』と『パソコン教室』も看板に並べて載せた。自分の電話番号も連絡先として大きく書いてあるので、まあどうなることやらである。

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