沖縄離島のカンカカリャ(霊とか魂の話)

私がわざわざ沖縄本島から船でこの島まで来たのは、『カンカカリャ』に見てもらいたかったからだ。『カンカカリャ』と言うのは神懸かった人という意味で、相談しに来た人を、なにか神懸かった状態で見てくれるようなのである。

『カンカカリャ』という存在を知ったのはテレビのドキュメンタリーだった。はじめに普通にしゃべっていたおばちゃんが、なにか神棚に向かって子守唄みたいなものを唄って、膝をリズムにのせて叩きはじめる。唄が終わるとなにかさっきしゃべっていたおばちゃんが、明らかにまったく別人のようになってしまっている。その状態で相談者の話を聞いて、どんどん悩みに答えていくのである。

テレビではその時のおばちゃんの脳波を測定していた。右脳という直感の部分だけが活発に動いていて、左脳の筋道(すじみち)立てて論理的に話す部分はまったくといっていいほど動いていなかった。通常この状態だとまともに話ができないらしい。話しても支離滅裂になってしまうらしいが、何故かこのおばちゃんはズバズバとわかりやすく相談者に答えていくのであった。

島の人に聞いて住所を訪ねていくと、その家は普通の民家であった。なんだか海の堤防に近いその家の周辺は、整っているのと逆の荒廃しているような場所で、すぐ見えるとこに錆びついた鉄屑が放置されてたり、空のガスボンベが転がっていたり。屋根の瓦の瓦礫が山になっていたり。
玄関の引き戸をガラガラ開けてその家に入ると、中はなんだかボロボロな感じで、私はテレビで見た大家族の家を思い出した。柱や廊下や壁の木の板に、なんだかまったく余裕なんてものがない、ギリギリで存在している感じがした。

出てきたおばちゃんはどちらかというと荒くれ者の雰囲気があった。それに部屋に入って座るなり、いつもの感じでタバコを出してスパスパ吸い始めた。

だいたい私の中の霊能者さんのイメージは、お召し物が白っぽいお着物だったりして、お家は神社の境内みたいな感じで、玄関にやたら高価そうな掛け軸や龍の置物があったりだったので、私ははじめから面食らった。

先に予約している人がいるとのことで、待ってなさいとのことであった。私は別に予定なんかなかったので「明日とかでもいいですよ」と伝えていた。
予約した人は細いお母さんとその母親という感じでの2人あった。
部屋から出て待ってようとしたらおばちゃんが「あんたそこで見ていなさい」と言った、私はそれに従った。

先の2人の話は深刻であった。もう次々と親族が亡くなっていっているのだ。夫が亡くなって、次におじいさんが亡くなって、なにが原因でどうすればいいかというわけである。
おばちゃんはそこまで話を聞いているときは、ただのガラの悪いが人のいいおばちゃんであった。しかし、話を聞き終わると神棚に向かって、子守唄のようなものを唄いはじめた。まさドキュメンタリーで見たシーンだ。
唄い終わるとまったく別人であった。なにか話し方とかだけじゃなく、骨格も変わったかのように見えるほどの別人。
それで話が的確なのである。「あんたの家の階段の下にある仏壇だけどねえ」とか今見えてるみたいに言う。「あれを、このようにしているでしょ、それがこうなってるのが原因で…」とまったく相手を探るとかのあいまいな話し方ではなく、パッともう既に見えてることを、最短距離で話すのである。私はもう目をパチクリさせて、ただ呆然とその様子を見ていた。

相談者の2人は泣いていた。やっと答えに辿り着いたかのような安堵の涙であった。私はこんな相談の様子は今まで見たことがなかった。そこにはもっともらしいお説教のような部分は一切なし、むき出しの答えだけがあった。
その話し方はこのおばちゃんの見た様子と一致していた。もっともらしい見た目とか、信用されるかされないかなんてどうでもいいのだ。だた相談者の抱えてるものを解決するという一点に集中して、それも躊躇なく一発で答えを出していく。
まさに最強であった。本州で会ったことのある霊能者は人間であったが、ここにいるのはなにか別のものが入った者なのであった。

さて、私の番が来たが、私なんて前の相談者からしたらどうでもいい話である。「私はこれからちゃんと生きていけるんだろうか」と真剣に聞きたかったのであった。当時の私は、高校を中途退学してフリーターでお金を貯めたら旅に出てという生き方をしていたのであった。親からは何度も「そんなことでは生きていけない」と言われていた。

答えはこうであった「あなたはなんの心配もない」。なんか拍子抜けしてしまったが、なにかかなりホッとした。自分を信じていいと言われたような気がした。
「そんなことよりあなたのお姉さんは、変わった人と結婚しているわね」と言われた。見てもらう前に家族の氏名と住所と書いたので、それを見て姉のことを言われたのであった。
私はこのおばちゃんにはなにも話してなかったが、姉は電動の車椅子を使っている重度の脳性麻痺の人と結婚していたのであった。
「子供は障害なく生まれてくるようね」と言われた。これもまた姉が妊娠してるってことも言っていなかった(後日子供は障害なく生まれた)。姉の話は自分の話が終わってから言わないと、話題を全部持ってかれかねないパンチのきいた人物であるから、後から言うつもりであったのだ。

私からなにか言わなくても全部お見通しのようなので、もうそんなに質問する気持ちもなかった。すると親のことを言ってくれた。
「あなたとお姉さんはなにかやることがあって、あなたの両親のところに生まれてきた」「あなたたち2人はある時期に親を認めてあげた。これは本来は逆で、親が子供を認めるべきなんだけど、あなたたちの親はあなたたちを認めることができなかった。そこであなたたち子供が親を認めたことで、今は親との交流ができている」と言われた。
これには驚いた。私はいつも親から「お前のここがダメだ」「お前はここを直さないといけない」とか言われていて。おそらくこれから生きていっても、親に認められることはこないんじぁないかと思っていたので、なにかズバッと本質を言ってもらえたような気がした。

なんだか見てる人は見ているし、わかる人にはわかっているのかもしれない。だから私をダメだと言う人はいるだろうけど、それはその人の勝手だからしょうがない。私はこれからも自分なりにちゃんと生きていこう。
そう思ったのでした。

なんで前の相談者を私に見せてくれたのか聞いたら「あなたはそういう素質があるからあえて見せた、しばらくここで習っていったらどうか」と言われた。当時はそういう能力みたいのがこれ以上強くなったら困ると思ってたので、速攻で断った。今なら習ってみたいのであるが。

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