インドの山奥での治療 (霊とか魂の話)
まさか、インドのヒマラヤに近いこんな山奥の村まで来て、心霊的なものに出会うとは思っていなかったし、そういうのがこの村にあるのも全然知らなかった。
この、インドの山奥の村に来たのは、チベット仏教のお寺の壁画を見たかったためであった。私のお目当ての『カーラチャクラ』の絵というのは青とオレンジの神様が絡み合って立っていて、千手観音みたいに手が何本も円になっている、なんだか言い表しようのない躍動する迫力のある絵なのであった。その絵が見たいがために、ここまで来たといってもいいのであった。
そんな壁画を、昨日タクシーに乗り合わせて見に行ったアメリカ人カップルの女性と、街中でバッタリ会うと「今から治療を見にいくんだけど、よかったら行かない?」と私に言うのであった。
「それは何の治療なんですか?」と聞くと、なんだか幽霊のうらめしやーみたいな、怖い感じのジェスチャーをしてくれた。この女性は自国で日本語を生徒たちに教えていたので、英語もたどたどしい私が、一発でわかるように伝えてくれたのであった。
「わーっ、面白そう。行きます行きます」と私は喜んだ。
昨日お寺周りをご一緒したので、私の興味あることも、結構伝わっているのであった。
目的の場所は、メインの通りからかなり奥に入って、人一人通れるくらいの狭い道の先にあった。葉っぱを練り込んだ土を堅めて作ったみたいな小さな建物の、かなり低い出入口から頭をかがめて入ると、薄暗い照明もない中の空間には、もうズラッと20人ほどの人が、ゴザの上に座っていたのであった。
そんな集まりの一番前に片膝立てて座っているのは、気のいい感じの笑顔のおばちゃんで、最前列の人と熱心に話をしている。たぶんこの人は案内役で、この後に治療する先生が入場してくるんだと、私は勝手に思い込んでいた。
私とアメリカ人の女性が一番後ろに座ろうとしたら、診察券の代わりなのか、白い網の目の荒いガーゼの切れ端を手に持たされた。
しばらく待つと、最前列の案内のおばちゃんが話を区切って、名残惜しい感じに立ち上がり、布か葉っぱを連ねただけの仕切りをくぐって、隣の空間に移動していった。隣は別室というわけでもなく、土の壁で仕切られているだけの台所のような空間のようであった。
いよいよ治療する先生が出てくるという、なんだか静かでピーンと緊張の糸みたいのが張られたような間があった。
そこに突然『バッシャーン』と洗面器の水なんかをぶちまけるような音。バラバラバラとなにかの粒を地面に叩きつけるような音。
そこで登場したのはさっき最前列に座っていたおばちゃんであった。いや、たぶんあのおばちゃんなのであるが、頭になにか祈祷師みたいな紐を、はちまきみたいに縛り付けていて、まるで別の人に見えるのであった。
確実に違うのは目つきで、ご近所の世間話してるようなおばちゃんの目だったのが、今は闘う戦士のような、野生の獣のような目つきなのである。
そのおばちゃんに一番前の背の曲がったお婆ちゃんが話しかけると、すべて食い気味で即答していく。なにしろ英語でもないので言葉はわからないが、すごいスピードで話が進んでいるようである。
そこで相談者は子供(4 才くらいの幼児)の腹を出す、子供は目の前のおばちゃんに食べられるように感じて怖いのであろう。泣きだした。
おばちゃんはなにかストローみたいなものを出して、泣き叫ぶ子供の右の脇腹あたりに吸い付く。味方だと思ってたお婆ちゃんに捕まって、動けないように押さえつけられた子供は、声が枯れるほどギャン泣きしている。
しばらくして、おばちゃんはストローを腹から離して、横から渡された小さなバケツに何かを吐き出そうとする。おばちゃんの口からは、目玉ほどの黒っぽい血のかたまりがバケツの中へ流れ落ちた。それで最初の治療は完了である。
で、次の方どうぞとばかりに、また次の患者さんの治療が開始される。
「ななな、なにが起きているのかわからない」激しく混乱する私。
見た感じでの推測でしかないが、ここに集まった人はかなり深刻な状況なのであろう。そして、やっとのことでここに辿り着いた人もいるのであろう。治療後に涙を流す人も少なくなかった。
この治療しているおばちゃんは、ほとんど治療代金をとっていないと思われる。だいいち患者さんたちが、そんなに払えるような人にも見えないし、沖縄の離島でもそうであったが、スラムのような場所に治療できる人が出現して、その治療者はほとんど治療費をとったりはしない。沖縄で直接本人に聞いたことがあるが「あまり取りすぎると、見えなくなる」とおっしゃっていた。おそらくそれと同じなのではないだろうか。だって、この場所も土で作った建物で、このあたりは土以外の建物はひとつも見当たらないのである。
なんだか並んでいたら私の番になってしまい、困ったあげく「目が悪いんです、私近視なんです」とかとっさにジェスチャーも交えて言ったと思う。すると私の後ろに座ってたおじさんがズイッと前に出てきて、いきなり赤い米みたいなものを地面叩きつけると豹変した。まるで、さっきのおばちゃんみたいに治療する人に変身したようであった。
おじさんはしばらく炎で炙って赤くなった小刀を、突然自分の舌にあてて「ジューーーッ」という音。その辺りで私は怖さのリミッターを軽く超えてしまって、逃げ回ったり泣き叫ぶこともできずに、ただ身を任せることになった。おじさんは炙った小刀を上に掲げて、私に向かって唾を飛ばした。その唾にあたるとグワンと身体が激しく左右に振られているような状態になった。凄まじい速さなので、私の身体が周りの人には幾つにも見えているんじゃないかと思った。このまま魂がどこかに飛んでいくようであった。まるでジェットコースターで頂点から落ちていくような感覚だった。私はただ自分の身体から振り落とされないようにしがみついているだけだった。
帰りはどうやって宿まで帰ったのか、よく覚えていない。
それから近視が治ったわけではないので、どこか別の場所を治療してもらったのであろうか。