見出し画像

The Cure:Album09(ディスインテグレーション :Disintegration)& Live album Entreat

私がなんでキュアーを好きかと言うと、「彼らにしか出せない音を出してるから」「安定して同じことを繰り返さないから」ではないかと思う。
今の流行りの音楽かどうかとか、聴いてても周りに人に受けがいいとかなんてことはどうでもいい。アルバムがどんだけ売れたかよりも、何度も聴いて心地いいかどうかの方が大事なのだ。

だからポップ路線で売れているのなんてどうでもいいことで、なんなら初期から聴いてるディープなファン(ニュージーランドのファンとか)からしたら「もう明るいのはいい加減にして欲しい」とさえ思っていたりして。

この時のロバート・スミスもどうやら「もう明るいのはいい加減にして欲しい」と思っていたのかもしれない。

スミスは、再びバンドが誤解されていると感じ、次のレコードでそのダークサイドに戻ろうとした。
『ディスインテグレーション』は、ロバート・スミスによる、ザ・キュアーが1980年代に開拓した憂鬱で暗い美意識への回帰である。スミスは、その時失望した気持ちに襲われていたため、わざと憂鬱な作風のアルバムを作ってみようと行動を起こした。

レコーディング前に落ち込んでいたスミスは、29歳の誕生日に、あと1年で30歳になることを悟ることになる。ロックンロールの名作は、この年齢になる前に完成していると感じていたスミスにとって、この現実は恐ろしくもあった。そこでスミスは、バンドのメンバー抜きで曲作りを始めた。バンドはボリス・ウィリアムズの家に集まり、各メンバーが録音した個々のデモを比較し、「1~10」の評価をした。その後、グループは2度目のセッションに集まり、夏の終わりまでにウィリアムズの家で16トラックレコーダーで合計32曲を録音した。

彼は『Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me』やそれまでにリリースしたポップなシングルの雰囲気を捨て、むしろバンドの4枚目のアルバム『Pornography』(1982年)の雰囲気を再現することを目指した。

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

そんな暗かった頃のアルバムを今になって出そうなんて言うもんだから、レコード会社の人は全力で止める。「頼むから、今までのようなポップで明るいアルバム(売れるアルバム)を作ってくれたまえよ」と説得する。

アルバムを聴いたバンドの所属レーベルであるエレクトラ・レコードはショックを受け、これは商業的な自殺ともいえる作品だから、発売月を数か月前倒ししてくれと頼んだ。

スミスはエレクトラ側から受け取った手紙の一部を引用し、「彼等は僕がわざと暗い作品にしようとしてるって思ったんだろうね。」と振り返り、「それ以来僕はレコード会社がザ・キュアーがやってる事、伝えたい事が理解できないんだなって思ったよ」と話している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ディスインテグレーション

●ピクチャーズ・オブ・ユー:Pictures Of You

「ピクチャーズ・オブ・ユー」は、アップビートながら、痛烈な歌詞(「偽りに叫んだ/空に向かって叫んだ/あなたはついに、すべてを手放す勇気を見つけた」)を含み、「シンセサイザースラブの2コードの滝、織りなすギターとベースライン、熱唱とロマンチックな歌詞」を持つ曲だ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

前回のアルバム『Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me』も売れたが、いくつもの国を回ってのライブの連続でロバート・スミスもバンドメンバーも疲弊してしまった。
そこで彼は考えた「どうしたらこのいまいましい状態を終わらせれるだろうか」「ああそうか売れないアルバム作ったらいいのだ」「そしたらどこからもお呼びがかからなくなるんじゃないか」と(思い詰めてますね)。
どうせなら最後にみんなが求めてるものでないものを出して、それでもう終わってしまってもいいような気すらしていたよう(かなり精神不安定ですね)。
そして、レコード会社の人を押し切ってついにアルバムをリリースしてしまう。

がしかし、事態はロバート・スミスの思ってもみない方向に展開した。なんとアルバムが売れてしまったのであった!!!

このアルバムはバンドにとって最初の商業的ピークとなり、イギリスで3位、アメリカで12位にチャートインし、ビルボードホット100で2位となった「Lovesong」を含むいくつかのヒットシングルを生んだ。ビルボードホット100で2位を記録した「Lovesong」をはじめ、数々のヒット曲を生み出し、現在もバンド史上最高の売り上げを記録している。このアルバムは、批評家たちの暖かい歓迎を受けた後、後に絶賛され、最終的にはローリングストーン誌の「史上最高のアルバム500枚」で116位にランクインした。AllMusicのスティーブン・トーマス・アーレワインは、「80年代の間にキュアーの追求していたすべての音楽的方向性の集大成」と呼んだ。

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

●ラブソング:Love Song

スミスはメアリー・プール(奥様です)の結婚祝いとして「ラヴソング」を書いた。
歌詞は他の曲と明らかに違う雰囲気だが、スミスはこの曲がアルバムに不可欠な要素だと感じていた。「これは感情の開放を表現してるんだ。お利口になろうとしてるんじゃないのさ。ここまで直球のラブソングを歌うまでに10年かかったよ」

彼は、「Lovesong」がなければ、『Disintegration』は根本的に違ったものになっていただろうと指摘する。「あの1曲は、多くの人に考え直させるものだと思う。この曲が入っていなかったら、このアルバムがある種のムードを持っていると見なすのはとても簡単なことでしょう。しかし、その1曲を投入することで、人々は「合わない」と思い、少し動揺する

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

あなたと二人きりになると
あなたは私が再び自由になったように感じさせてくれる
あなたと二人きりになるといつも
あなたは私が再びきれいになったように感じさせてくれる

どんなに離れていても
私はいつもあなたを愛しています
どんなに長く居ても
私はいつもあなたを愛しています
私がどんな言葉を言っても
私はいつもあなたを愛しています
私はいつもあなたを愛しています

DeepL翻訳ツールを使用(www.deepl.com)

なにも飾らず武装もせずに、ただそのままの素直な言葉で書かれたラブソング
今までのロバート・スミスの心配&不安の王様のようだったり、血みどろだったりの歌詞からのギャップが激しい。あまりの落差と曲のよさに私は号泣。

●ララバイ:Lullaby

一方こちらは、「夜ベッドで寝てたら蜘蛛男が食べにくるよ」という歌。
こんな幼児の絵本みたいな内容の曲が、この陰鬱なアルバムに入っているいうのがかなり奇妙ではある。

キャンディストライプの脚でスパイダーマンがやってくる
夕陽の影をそっと通り抜け
至福に満ちた死者の窓を横切り
ベッドで震えている犠牲者を探す
暗い闇の中に恐怖を探し出すと
突然
部屋の隅で動きがあった!
そして、どうすることもできない
怖くて何もできない
スパイダーマンが私を夕食にしようとしているのです。

DeepL翻訳ツールを使用(www.deepl.com)

こうやってシングル曲を並べると「言うほど陰鬱なアルバムでもないんじゃないか」と思われそうですが、わかりやすいのはシングルの4曲(『Lullaby』『Fascination Street』『Lovesong』『Pictures of You』)だけかもしれません。
というか、陰鬱な曲がシングル曲にはさまれて前半は進み、後半は組曲みたく『嵐の前』→『大雨』→『激しい嵐』→『嵐の後』みたいな流れがあります。

ではシングル以外の曲はどんな感じなのかというと、組曲の『大雨』の部分の曲を聞いてみましょう。

●The Same Deep Water As You

おそらくキュアー大好きファンの自主制作作品。ここまで作り込ませてしまう魅力があるのです。私なんかはキュアーの曲の中でもかなり大好きな曲で、リピートして何時間も聴いてしまうのでした。

私の『ディスインテグレーション :Disintegration』アルバムの感想は、「こんなスゲえアルバムには今まで出会ったことがないし、これからもきっと出会えないくらいの奇跡的なアルバム」です。

当時の成功とそれによるフラストレーション。本当のところ自分の作りたい音楽を理解されていないんじゃないかってこと。すべてをぶち壊したい衝動。そういうキワキワの立ち位置で、なにもかも入り混じって偶然にできてしまった産物と思います。

『Disintegration』の成功は、アルバムが1年前にリリースされていたにもかかわらず、1990年3月の最終シングル「Pictures of You」がイギリスのチャートで24位に達するほどだった。 Disintegrationはイギリスでシルバー認定(6万枚の出荷)されており、1992年までに世界中で300万枚以上売り上げた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

アルバム『ディスインテグレーション :Disintegration』は、イギリス:3位、アメリカ:12位、ドイツ:2位、フランス:3位、ニュージーランド:6位(前回14位)、他ほとんどの国で今までで最高位に入る。
フランスで2×ゴールド:20万枚、ドイツでゴールド:25万枚、イタリアでゴールド、ニュージーランドでゴールド、スペインでゴールド、スイスでゴールド、アメリカで2×プラチナ:200万枚を売り上げる。


ライブ・アルバム『Entreat』には振り回されました。
何度か出ても「あの曲はこっちには入ってない」、「ついに全曲入ったのが発売される」と私は3回ぐらい買わされた。録音も演奏も素晴らしいので許しますが。
(最終的には12曲入りの『Entreat Plus』を購入して下さい)

1989年7月にロンドンのウェンブリー・アリーナで録音された、イギリスのオルタナティブ・ロック・バンド、ザ・キュアーのライブ・アルバム『Entreat』。1989年のアルバム『Disintegration』から、「Prayer」ツアー中に演奏された曲のみで構成されている。当初、Entreatは1989年にフランスでプロモーション用に配布され、1990年5月にイギリスとアイルランドのHMVでバンドのバックカタログから2枚のCDを購入した顧客に無料で配布された。その後、1991年3月に完全な商業リリースが行われた。

https://en.wikipedia.org/wiki/Entreat


私にとって今では生涯で一番くらいに好きなアルバム
ですが、実はこのアルバムのよさがわかるまでには半月ほどかかりました。
発売日に買いに行って3回聴いたくらいでは「思ってたのと違う」で、5回くらい聴くと「退屈な駄作だ、金返せ」で、それでも10回ぐらい聴いてやっと「シングル曲だけは聴けなくもない」で、半月後くらいでやっと「このアルバム心地いいかも」になりました。
発売後のレビューは「退屈な駄作」「最高傑作」に分かれていましたので、ここまで売れたっていうのはこれまでに作った土台があって「こんなキュアーをずっと待ってました」って人が世界中にいたってことかと思います。
それにしてもここまでアメリカで大ヒットするなんて、誰も予測できなかったのではないでしょうか。
こうしてキュアーはいちかばちかの勝負に出て、見事に大勝利したのでした。

『ディスインテグレーション :Disintegration』の完成後、スミスはキュアーが「私の最善の努力にもかかわらず、実は私たちがなって欲しくなかったもの、つまりスタジアムロックバンドになった」と指摘した。
さらにスミスは、アルバムのタイトルは彼が考え得る最もふさわしいものだったと主張した。"バンド外のバンドとの関係のほとんどが崩壊してしまった。崩壊と呼ぶのは運命を誘惑するようなもので、運命が報復してきた。グループの家族的な考え方も、『Disintegration』の後、本当にバラバラになった。黄金期の終わりだったんだ」。

https://en.wikipedia.org/wiki/Disintegration_(The_Cure_album)

長くなってすいませんでした(かなり削ってこれ)。このアルバムまでこれたら私は「もう思い残すことはない」のではありますが、もう少しだけ続けてみます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?