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中国または朝鮮の仏像と、日本の仏像との共通点・相違点について」

私が根津美術館に数年前に行って、勉強になったことをまとめました。根津美術館の「松竹梅」のコレクション展に行き、「博物館・美術館で見学した中国または朝鮮の仏像と、日本の仏像との共通点・相違点について」まとめ、どのような点に日本の仏像との共通点、相違点があったか述べたいと思います。


まず、根津美術館で見た弥勒菩薩立像について説明したいと思います。弥勒菩薩立像(図1)はクシャーン時代 3世紀に作られたとされ、軀高153.0cmあります。


ガンダーラとはインド大陸の西北、現在のパキスタンペシャワール地方、古くから東西を結ぶ交易の要衝であり、ギリシャのアレキサンドロス大王やパルティアが侵入し、多彩な造形文化をこの地にもたらした。表現の手工は当時の貴族の姿であった。裸の上手には胸飾りやブレスレット、豪華な装身具が施されている。この像に見られるウェーブした髪の毛、彫の深い寛政な顔立ちの表現はガンダーラ美術特有の表現である。(根津美術館音声ガイドより)


この菩薩はじかに見ると写真では分からない堀の力強さと線の細かさが繊細でした。また、全体的に元になった人の人間性があり、奥行きも感じられました。それらの彫の卓越した技術を感じさせられた作品だったといえます
 

私はこの作品は飛鳥寺の日本最古の仏像である安居院釈迦如来像に注目し、共通点があると考えました。それは全体的な寛容性と胸飾りなどの装飾です。菩薩と釈迦像の違いは髪型や手の形は違いますが、彫の深さと力強さは共通していると思います。


ただ、相違点として横から見た姿の全体像です。弥勒菩薩立像は横から見ると小柄に見え、やはり人間らしい髪が印象的であるのに対して、安居院釈迦如来像は悟りのイメージである釈迦ならでは優しさと肩から首に対しての首筋が細かく表現されています。また、全体的に見て、奈良時代の伝衆宝王菩薩像と比べると表情と頭の形が全く違うことが分かります。

安居院釈迦如来像の表情はとても柔らかく、それは見る人に温和な空気を与えています。一方、弥勒菩薩立像の表情は男らしさとたくましさを前面に出し、髪の毛とその表情を同時に強調していると思いました。


 次に中国の北斉時代に作られたとされる如来立像(図2)について説明したいと思います。
中国北部、河北省の曲陽や定県では北魏時代以来、白玉像とよばれる白大理石の仏像が盛んに制作された。その多くは小像であるが、本像は、北斉時代末期より大型化する白玉像の一例であり、左右の肘先を失うものの、台座までを完備する作例(根津美術館資料)
として有名です。

さらに6世紀の前半まで続いた北魏時代の仏教は頭がややかくばっている。体を囲む衣があって、そこに幾何学的なひだの文様があった。6世紀後半の北斉紀になると顔の表情が柔和になり、体を囲む衣が薄くなり、立体感が感じられるようになる。体に対して頭がやや大きく、首が長いプロポーションであり、親しみのある特徴的なおおらかな顔だちである。(根津美術館音声ガイドより)


 この作品は白が輝いていてとても美しく、大理石が印象をつくっていたと思います。私が見たときはお客さんみんなが注目して見ていて、そこにはやはり柔和な顔だちが理由だと思いました。写真にはいかにも小さく細やかな石像に感じられますが、総高が291.3cmもあり、力強さを感じさせる貴重な作品だと思いました。


 日本の仏像との共通点はないようにも見えますが、顔ではなく衣に注目すると意外な共通点を見ることができます。それは衣の文線です。授業で扱った無位時代、法橋時代、法眼時代と衣文線の数が増加していってますが、この如来立像も衣文線の数が法眼時代ほどではありませんが、多いことがわかります。さらに、同じく授業で扱った奈良時代の唐招提の木彫群の薬師如来像などを見ても圧手の衣であり、如来立像も圧手の衣であり、その部分が両方の作品ともしっかり表現されています。


 相違点に関してはたくさん見つけることができます。それはまず、襟の形です。先ほど例に上げた、無位時代、法橋時代、法眼時代は襟が次第に複雑となり、変化が理解できますが、如来立像は襟を見受けることができません。また、首が長いプロポーションの代わりなのかもしれませんが、鎌倉時代の仏像と比べると肉身がほんとうに少なく、ほっそりとした体型であることが分かります。ただ、ほっそりとした体型であってもデザインが細かく、大理石でここまで細かく表情と衣を表現できるのか不思議に思うほど全体的にバラスがとれていると思います。


 これらの違いは作る背景が違うことが理由だと私は考えます。木造で、金塗りを積極的に行っている日本の伝統と大理石の技術では、技術的発展の仕方も違います。それはちょうど、ヨーロッパの建物と日本の建物の材料が違うことと同じで、伝統技術の発展の過程も違ったのでしょう。

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