:1年前の今: 順風満帆
1年前の今という時期は、コロナ禍が本格化した2020年4月以後であり、それが半年たった時である。いままでどおりにはゆかない、ということが顕在化してきた時期である。あるいは、顕在化という意識がなくても、とりあえず、手をうたざるをえなくなった時期である。
事業者にとっても、労働者にとっても、変化に対応することは非常に難しい。「変化」できればすばらしいことでもあるといえる。
その時から1年後の今の時点で、1年前を振りかえってみると、当時は、いつ、コロナ禍が終わるのか。終わったら、・・・・・という見通しであったが、今は、終わるどころかまだまだ続きそうというのは、過半数を超える人々の見解であろう。
(今の状況判断)コロナは、ワクチンさえ打てば解決すると思ってきたが、2回打っても、変異株に対応できない。また、さらに悪いことには抗体が半年しかもたない。先進国は、3回目をうつように動き出している。おそらく、半年ごとにワクチンをうたないとだめだろうと多くの人が思い出している。変異株が次々でてくるので、当分、このよう状態が続くだろうという考えに変わってきている。
さて、「変化」に関してだが、ある企業が、順調に50年間、右肩上がりに延びてきた場合、変化にはほとんど、対応できない。ちょっとした変化だ、ちょっとした落ち込みだ、としか、思えないものである。
よい例は、印刷業界である。戦後、印刷業界は、右肩上がりでのびてきた。15年前までは見事に右肩上がりであった。20年前、私はデジタル化の到来で危機に陥るのではないかと、印刷会社の社長に警告をしたものである。しかし、自信満々で彼は聞く耳をもたなかった。君の意見を真摯に聞いてみよう、という態度をとってもらったら、2人でじっくり議論できたであろう。ご当人はもう、高齢でおなくなりになり、この世にはいないが、残された会社は、困難に置かれている。(別事業は成功しているが)
個人でも、同様である。抜擢されてつぎつぎとえらくなってゆくと、ますます、権限が強くなり、仕事ができる範囲が大きくなり、人々から、一目置かれ、さらには畏れられて、肩で風をきるような人生をおくることになる。そのような人がある日、その地位を一気に失うことがある。
経営者なら、自己責任で、見通しもきくが、労働者は与えられた仕事なので、今後の見通しもなく、すべてを失ったと感じる。少しの権限縮小でも、地獄に落ちたような気持になる。まして、そのすべてを失ったりしたら、途方もなく、行く末を案じるであろう。今まで、順調であればあるほど、理解できない。ショックが大きいであろう。
ということで、「変化」への対応を考えておきたいものだ。私は、誰かから言われたことは、理屈抜きで、やってみることにしている。そうしてみると視界が変わっていいものである。