【株式会社サンブロス 小林 久敏氏】いつもどこかで将来を意識して道を選んでいた。(Vol.1)
経営者JPが運営する志高き経営者・経営幹部・次世代リーダーが集う会員制プラットフォーム「KEIEISHA TERRACE」。「私が経営者になった日」では、経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか、その瞬間に迫ります!
社長に任命された日=経営者になった日ではありません。経営者がご自身で「経営者」になったと感じたのは、どんな決断、あるいは経験をした時なのか。何に動かされ、自分が経営者であるという自覚や自信を持ったのでしょうか。
日本全国のアパレルSHOPを陰から支える老舗のメンズ専業のファブレスメーカーであり、製造だけではなく、アパレル目線のデジタル展示会など、新たな可能性を追求する株式会社サンブロス 代表取締役社長 小林久敏氏に3回にわたってお話をうかがってみました。
いつもどこかで将来を意識して道を選んでいた。(Vol.1)
突然の社長交代、理想より現実の厳しさに直面していく。(Vol.2)
業界の悪循環を変えるための一石になりたい。(Vol.3)
「あなたは社長になるのだから」と母。
「姉がいて私が長男の2人姉弟で、そういう2代目3代目経営者あるあるでしょうけれども母に物心ついた頃から2つのことを、ずっと言われていました。あなたは男なんだからと、あなたは経営者、社長になるんだからと。」
幼稚園の頃からそう言われていたので、疑問に思わず、そうなんだと受け止めるしかなかったという。
「いまになって思いますけれども、そう言われ続けてきたことで、いつも自分が何かをしなきゃいけないということが、他の人より強いかもしれないですね。
母も深く考えてというよりは、ある事柄が起きたことに対して、指摘・指導するために言っていることだけなので、私自身が何をどうするということはなかったんですけれども、その反動というか、若干あまのじゃくだった性格もあって、絶えず人と違うことをやりたがっていましたね。」
人と同じ事をするのが嫌いだったので、何かを選ぶ時には必ず周囲とは違うものを選ぶような子供だった。
「例えばゲームでも、みんながやっているやつは嫌だったんです。周りがゲームボーイを持っていたら、あえて私はアメリカの、よく分からないゲーム機械を欲しがって買ってもらったり。結局失敗するんですけどね。任天堂買っときゃ良かったみたいな。
それから、サッカーをやっていたのですが、小学校ぐらいまでは、試合になると、みんなはやっぱりボールに集まるんです。でも私は絶対そうならなかった。常に俯瞰でものを見ていて、ここにボールが動いて人が集まったんなら、ここのスペースが空くから、ここに走ったほうがいいなと。小学生ながらに、運動場を上から見ている感じでプレイしていましたね。」
仕事第一の父に反発を感じることもあった。
小林氏は3代目経営者にあたるが、初代の頃には一体だった家と職場が、彼の物心ついた頃には完全に別々となっていた。
「ただ、会社と家庭が極めて同質というか、会社の話が家庭でも出てくるし、父が会社をやっているっていうことを前提に全ての物事が動いていましたね。会社・仕事のプライオリ...
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