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親の心子知らず 息子の新たなる旅立ち
「おい、太郎、ちょっとこっちへ来い」
俺は、工場の片隅にある事務所に長男の太郎を呼びつけた。
機械油と鉄くずの匂いが混じり合った、この事務所で何度、太郎と将来について話し合っただろうか。
「なんだよ、親父。忙しいんだけど」
太郎は、高校を卒業して以来、どこか俺に対して反抗的な態度をとるようになった。大学受験に失敗し、滑り止めで入った二流私立大学に通っている。
「大学はどうだ? 就職活動は順調か?」
「ああ、まあ、ぼちぼちだな」
太郎は、そう言うとスマホをいじり始めた。俺の問いかけには上の空だ。
「なあ、太郎、お前もそろそろ将来のことを真剣に考えろ。
俺も歳だし、この会社を誰かに継がせなきゃならないんだ」
「だから、俺はサラリーマンになるって言ってるだろ。
親父みたいに、朝から晩まで働くのはごめんだ」
太郎は、そう吐き捨てるように言うと、事務所を出て行ってしまった。
俺は、一人残された事務所で、ため息をついた。太郎が家業を継いでくれるとは思っていなかった。小さい頃から、俺が早朝から深夜まで、休日も返上して働く姿を見てきたからだ。
年に一度、正月に遊園地に連れて行ったことだけが、太郎との数少ない楽しい思い出だった。
だが、それも太郎にとっては苦痛だったらしい。
「あの冷たくて固いおにぎりが嫌だったんだ」
そう言われた時は、返す言葉もなかった。
妻が息子を産んで2年で交通事故で他界をした。
「ちょっといってくるから太郎を見ていてね」と近所にで出かけたが、警察から電話があって妻は帰らぬ姿となっていた。それ以来、太郎とは二人で過ごしていた。太郎は母にいつも面倒をお願いしていた。
太郎が高校生の時、「家業は継ぎたくない」と初めて言われた時の衝撃は今でも忘れられない。
「高校の坊主に何が分かるんだ」そう思ったが、それ以来、太郎に会社のことを話すことはなくなった。
どの子供にも将来はある。今の事業を後継してほしい気持ちはあるが、苦労も多かった。むしろ苦労だらけであった。
振り返っても理不尽なお客が今でも夢に出てくるほどである。
また、金の苦労も沢山した。
銀行は、調子が良かった。融資を受けたいときには、なかなか返事をしなかった。また、支店でノルマが達成できないときなど、高金利で数百万円という金額で何の足しにもならない金額を契約させる。
「次の時の実績にもなりますから」
と銀行の営業マンは簡単にいうが、その実績のプラスになったことは一度もない。打診したら、もうその時には無かった話にもなる。
息子の大学は私立大学の2流大学。それも頭の出来は並以下。実力主義の会社ではやっていけないだろう。と父は見ていた。
「大きな会社の傘の下で働けば定年まで働ける。」と父は思っていた。
最後に自分が事業をやってきたことで息子に残せることは無いか・・・と考えてとある市会議員のB先生につないでもらった。
大手企業の裏口就職を頼んだ。
結果、すんなりと息子は入社できたが入社前の3月に市議会議員の
B先生からは「パーティー券100万円分」の購入の依頼があった。
息子の為と思って、今期のコツコツためた利益でパーティー券を購入した。
その後、息子は大手企業の就職を喜んだが
「仕事が楽しくない。自分には合っていない」といい3ヶ月で無職となった。
今ではファーストフードのアルバイトとして学生時代と同じバイト先で仕事をしている。
親の心子知らず・・・とはまさにこの事である。
俺は、立ち上がり、窓の外を見た。工場の煙突からは、白い煙が勢いよく立ち上っている。
この会社は、俺の父が一代で築き上げたものだ。
戦後、焼け野原から立ち上がり、小さな町工場からスタートした。
高度経済成長の波に乗り、会社は徐々に大きくなっていった。
しかし、バブル崩壊後は、厳しい時代が続いている。
それでも、俺は、この会社を守り抜いてきた。
従業員とその家族を守ることが、俺の使命だと思っていた。
だが、太郎は、この会社を継ぐ気はない。
「じゃあ、どうするんだ?」
俺は、自問自答を繰り返した。
後継者問題に頭を悩ませている経営者は多い。
特に、中小企業では、後継者不足が深刻化している。
外部から後継者を招聘するという方法もあるが、うまくいくとは限らない。
「やはり、身内に継がせるのが一番いいのか・・・」
俺は、再び太郎のことを考えた。
太郎は、確かに頭は良くない。しかし、根は真面目なやつだ。
それに、この会社で育ってきた。会社のことは、誰よりもよく知っている。
「もう一度、太郎と話し合ってみよう」俺は、そう決心した。
その日の夜、俺は、太郎を食事に誘った。
「親父、どうしたんだよ? 珍しいな」
太郎は、少し驚いた様子だった。
「お前と、じっくり話し合いたいことがあるんだ」
俺は、太郎を近くの居酒屋に連れて行った。
「なあ、太郎、お前、本当にこの会社を継ぐ気はないのか?」
俺は、真剣な表情で太郎に尋ねた。
「だから、嫌だって言ってるだろ。親父みたいに、朝から晩まで働くのはごめんだ」
太郎は、相変わらず反抗的な態度だ。
「確かに、この会社は楽じゃない。でも、やりがいのある仕事だぞ。
それに、従業員とその家族を守るのは、俺たちの責任だ」
「そんなの、綺麗事だよ。結局、親父は、自分のことしか考えてないんだろ」
「太郎!」
俺は、思わず声を荒げてしまった。
「うるさい! もう、帰る!」
太郎は、そう言うと、席を立って店を出て行ってしまった。
俺は、一人残されたテーブルで、酒を呷った。
※上記、登場する企業名、人物名は仮名になります。