「かわいそうなわたし」だったわたしへ。
ずっと、誰かがなんとかしてくれるのを待ってたんだと思う。
なにも言わずに待っていて、
思ったようにしてくれないともやもやして。
言わなわかるわけないやん(≧∀≦)
誰かになんとかしてもらおうとするのって、
奪うエネルギーだと思う。
しかも「言わないけど察しろ」ってw
いい歳になってもこれやってた
かなりのこじらせさんだったわたし。
こんなにつらいのに。
こんなに苦しいのに。
こんなにかわいそうなわたしを放っておかないで!
こんな風に、かわいそうなわたしを演じる方法しか知らなかった。
今ならわかるんだよね。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、
今はそういう状態だということ。
それを理解した上で、
自分はどうしたいのか?
自分に問うてみる。
どんな感情もあっていい。
けれど、それを振りかざして武器にする必要はない。
でも、別の方法があるって知れば、
選択できるんだよね。
理解して自分が選択したことなら
そのことに責任が持てるから、
「誰かのせい」にしなくてもいい。
起きた結果に対して、一喜一憂しても
誰かを責める必要は、ない。
いつまでも「かわいそうなわたし」でいるよりも
もっといい方法を見つけたんだよね。
少しは、あの頃よりも自立できてるかな。
対等に向き合える
欲しい未来へ共に進む仲間がいることに感謝してる。
そしてそこにいることを選択した自分、goodjob.
こうやって書いていることは、しんどかった過去の私への
今のわたしからの手紙のようなものです。
自分の変化をなかなか認めることができないわたしが、
こうやって書くことで
「気がついたらここまで来ていた」
って気付くための確認ができている。
人は、いつでも、いつからでも変われる。
必ず、自分自身の足で立って進んでいける。
自分自身の変化から、そう確信できた。
確信があると、人は強くなれるね。
昨日の朝、お隣にいたとらのすけ。
寒くなってきたから心配しちゃうけど、
彼は自分が置かれてる状況を憂いていたりはしないんだよね。