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原作改変!問題はそこじゃない説

 ハーイ、どうも!原作漫画・アニメと並んでハリウッド版『北斗の拳』を面白く楽しめちゃう系Vtuberの金継けい子です。

 アニメ化や実写化にあたって原作改変はアリのか…悪なのか…という話題、答えは人の数だけあります。最近、色んな人がご意見を発信していて読むのが楽しいです。

 原作改変によって生まれる空気を嚙みしめている中で、なんとなく、けい子ちゃんは思いました。
 「好きなのに振り向いてもらえない」って悲しみの匂いが一番強い。
 もしくは「大事にしてもらえてると思ったら実際はそうじゃなかった」という怒り、って解釈した方がいいのかも。

 今回はそんな直感をもとに、ダダダッと書いたお話です。



分析!原作改変が必要になる理由(531文字)


 これは単純に「漫画1話分」「単行本一冊分」と「アニメ30分番組(本編22分)」「映画2時間前後」が、ちょうどよく噛み合うとは限らないからですね。
 時間調整が大事ってことは、忙しい現代社会を生きる皆様ならお分かりでしょう。

 漫画ってコマの大きさや、セリフ量によって、同じ一話分指定ページ数でも読み終わる時間が変わってきます。速読は別として。

 そして漫画でも映像作品でも、続きが気になるような話の切れ目にする、というのが最近の流行り。
 でも、お手軽でありがちな良くないクイズ番組の「一体これは何でしょう?わかるかな~!?」と焦らした挙句に「正解はCMのあとで!」スタイルをやると、確実にテンポが悪くなります。

 原作改変はスピード感を生むために使えるのです。上手くいけば。これが難しい。脚本だけでなく、キャスティング、作画、BGM、シーン演出が嚙み合わないとテンポは崩れるでしょう。

 原作改変をOK/NGで統一するのは意味がなくて、受け取る一人ひとりにGood/Badがある。でも沢山集まるときはOK/NGをハッキリさせた方が、ぶつからずに動きやすい。
 だから、原作改変をジャッジするときは性癖と性癖のぶつかり合いの問題という認識が一番だと、けい子ちゃんは思います。

それでも納得できないとき(426文字)


 好きな作品がアニメ化・実写化されて、期待しながら見て、どうしても好きになれない要素が出てきたとき。
 嫌なものは嫌なままに、人間は愛することも出来ると思うのです。

色んな愛し方ございますわね

 その作品のどういう部分が好きなのかハッキリさせて、好きなところだけ楽しめるように、全部網羅すること・他の人と同じ意見を持つことを、やめてみたり。

 嫌いな部分が目立たないように、どのくらいが無理せず誰もが出来ることなのか整理して、期待する基準を下げたり。

 慣れるまですごく面倒くさい作業なので、別に「そこまでしたくない」が本音なら、それはそれでいいのです。慣れても面倒なのは変わりません。
 ただ愛おしいと感じるようになるだけ。
 自分自身を認めて、他の人の考え方を尊重して、いい関係を築いていく。実際に「涙あり苦労ありの物語」を体験してみる。

 遠回しなやり方ですけれど。悲しいとか、怒りとか、好きっていう気持ちの裏で抑え込んできた感情の問題を整理するのにも役立つはず。

結論:前例によって答えは変わる(523文字)

 二つの角度から考えてみて「お客さん側は割り切って楽しむ」のが良い、というオチに落ち着いていますが、実際はもっと複雑です。「作り手側」も色んな人がいて、視聴環境も多種多様なのが今の時代。

 一つ確実なのは、私たちは過去の経験をもとに判断するってことです。
 記憶の中にある「似ている印象のもの」を比較対象にして、それより良いか悪いかを感じ取る。
 印象に残りやすい大成功大失敗が基準になっていくのが普通。

 でも、意識するのなら、自分自身のための価値基準を作ることもできます。

 一番良いものじゃなくて妥協できるギリギリOKの作品を探してみたり。小説やイラストを自分でイチから書いてみて、どれだけ時間がかかるか実体験でインプットしたり。

 けい子ちゃんの場合は「噛み合っている」のが大好きなので、自分の声に合わせてVtuberボディの顔を複数パターン作ってみたり、吹替の骨格と声質のシンクロ率にこだわって初めてのnote記事を書いたり、他の人に強制するのをイヤに感じたりします。

 好き嫌いを明確に、物腰は丁寧に。そんな過去の積み重ねができてくると、周りの人も時々合わせてくれるようになります。
 自分が良い前例になる。
 おヒマなときに、挑戦してみてはいかがでしょうか。

自分の価値観を持つと、たとえば、こんな感じ?

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