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3/22/2022 独り言

2月にタネ撒きしたオシロイバナが先日、花を咲かせた。このタネは、去年の日本帰国時に朝散歩で採取したものだ。日本がハワイで咲いている感覚、感無量。

オシロイバナは英語で「4 o’clock flower」と言うらしい。調べてみると、午後の四時ごろ開花して、翌日午前中まで咲いているらしい。初耳。ハワイでも、名前は失念したが、どうやらオシロイバナは存在するらしい。まだ見かけた事は無いが。因みに、ブーゲンビレアもオシロイバナ科だと言うことも今回知った。

綺麗に咲いている花を眺めていると、去年の帰国を思い出す。娘の日本の大学進学があったり、息子の入院騒ぎがあったり、大変だった。1日を終えて眠りにつく瞬間が最高のご褒美だった日々があり、口にするものひとつひとつが疲れた心と身体を蘇らせてくれる魔法みたいな存在だった事も忘れられない。あの時期にもまた、命の勉強をさせて貰った。

2人の子供が巣立って、私の目の前に次にあらわれたのは、「これから私はどう在りたいのか。」と言う課題だ。

私の両親の家族はとても複雑だったため、今振り返ってみると、私は幼少期から自分を抑えてひっそりと他人軸で生きて居たように思う。それが今の夫と出会い、結婚、ハワイ移住。両親の元、日本からも離れて突然やってきた、ある意味で言う「自由」な世界。心晴れ晴れと思うだろうが、その実、当時とても戸惑ったのと同時に、生き方がわからなくて不安だったのを憶えている。

夫との距離感や自分という存在の位置付けなどが上手くわからなく、夫とも何度も衝突した。然も言葉も文化も真新しい異国の地での事だったので、世間知らずだった私には一大事だった。

もうダメかも、と半ベソをかいていた時に息子がお腹に宿った。そして出産し、最初に彼を抱きしめた時に、私はハワイで頑張ろう、と心に決めた。そして2年半後に娘が誕生。2つの宝物を前に、とにかく無我夢中で子育てした。不器用で情弱な私をここまで育ててくれたのは他でも無い、紛れも無く私の大事な2人の子供たちだった。

何にもわかってない、失敗だらけのダメダメ母だったけれど(今現在も相変わらず。笑。)、2人とも個性的でとても良い子に育ってくれた。そして、それぞれの夢を持って懸命に生きている。

その2人の姿を見て、先程の「私のこれからの在り方」と言う課題に戻ってくるのだ。ある意味その当時から何となく「保留」されてしまった感のある課題。

子供達が巣立った今、また二十数年前同様、夫との2人の生活が戻って来た。がしかし、「私」個人としての存在は当時とは少し違っていると思う。

もうちょっとだけ強くなった。もうちょっとだけ優しくなれた。もうちょっとだけ我慢できるようになった。もうちょっとだけ人の気持ちがわかるようになれた。もうちょっとだけ世の中が見えて来た。もうちょっとだけ過去と今と未来の点と点を線で結ぶ事も出来るようになった。とにかく今ある事、身の回りで起きている事全ては自分自身で起こしているという事を理解し始めている。

こんだけあれば、どう在るか、なんてそんなに悩む事はないのかも知れない。今、ありのまま、在れば良い。なんて都合の良い結論に達しようとしている。世の中には凄いことをしている人は沢山いるけれど、それを見て「もっとこうしなきゃ」、「もっとこう在るべき」とか思っている事自体、それはもう他人軸なのだと思う。生きるって、今ある自分が喜びや痛み、疑問や挑戦などを通じて、ちょっとずつ進化して行くのを確認する事なんじゃないかな、って思うようになったら、ちょっとだけ気持ちが軽くなった。これからも特に「常識」と言われている事に疑問を持ちつつ、自分は常に物質に依存しているのだ、と言うことを戒めながら生きて行きたい。

オシロイバナが咲いただけでこんだけ自分の人生に酔いしれられるのもひとつの才能かもしれない。昔はこんな自分があまり好きではなかったが、今はこれも自分、と思えるようになった。こんなどうでもいい事を公に訴えかけてなんなのよ?と冷めた自分もいるのだが。長々と時間をかけて読んでくださった方、ありがとうございます。私はこんな長文、読まないけど。ふっ。

ありがとうございます♪

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