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歌舞伎の楽しみ 〜その役柄・実悪〜

先回、立役についてお話ししましたが、今回は立役のなかでも特異な存在である「実悪」という役柄についてお話ししましょう。

歌舞伎には「実事」という演技のパターンがあります。
元々「実」という言葉には二つの意味があります。
①  「真実」「写実」という意味
②   「誠実」「忠実」という意味、これは誠意、実直、真面目という意味にもとれ
   ます。
歌舞伎の「実事」の意味は②で、歌舞伎ではこの「実」を「悪」と対比させています。
その結果、悪人とは敵役、言い換えれば「実悪」で、善人とは悪人と対立して正義のために働き、常識をわきまえ、人に意見をしたり諌めることができる人、これが先回話した狭義の「立役」で、こういう役を演じる役者を「実事師」といっています。
「実事師」は現実と向かい合って生きている理想的なリーダーで、時に苦渋にまみれ、犠牲を強いられてもあるがままに立ち向かい決断する壮者で、それを演じる主役が「実事師」です。
代表格は先回にも登場した「仮名手本忠臣蔵」の大星由良助です。

大星由良助

亡君の仇 高師直の眼をくらますため、毎晩歓楽の郷に通って遊興に耽る、、。
孤独と寂寥感の中でただ一人、仇討ちという目的達成のため、本心を肚に包み隠し、おのれを見つめる姿、これこそが「実事」役者の本領といえます。
他にも代表的な役はあります。

「菅原伝授手習鑑・寺子屋」の武部源蔵
「熊谷陣屋」の熊谷次郎直実

「実事」といっても、歌舞伎にはいろんな役柄に細分化されています。
まず「和実」、これは同じ実事でも、その実直さの中に柔らかみのある役柄をいいます。

「伊賀越道中双六・沼津」の十兵衛

「辛抱立役」、これはお家騒動などの演目で、流浪する貴種の若君を助け、艱難辛苦のお家再興を果たす忠臣の役です。

「伊勢音頭恋寝刃」の福岡貢

「捌き役」、これは本来は実事を演じますが、顔は白塗りで颯爽としてもつれた糸を解きほぐすように明察と情理を兼ね備え、事態の紛糾を取り裁く役です。「生締」という鬘、織物の裃を着用するのが定番です。

左は「盛綱陣屋」の盛綱、右は「石切梶原」の梶原平三

しかし、元禄時代の歌舞伎になった時、言い換えれば時代の変転で芝居の内容が複雑になった結果、今までの立役、なかでも「実事師」に対抗する単純な悪人の「敵役」の範疇には収まらないような人物が出てきます。
例えば、「実」と見せかけて本当は悪人だったとか、「悪人」というものの、単に、憎い嫌な悪人ではなく、ユニークな魅力が巨大化して、座頭級の実力者が持ち前の肉体条件(大柄、苦み走った顔、声など)と、独特の演技術を持つような役者が待たれるようになります。
「悪の魅力」を元禄時代の観客が求めてのはそんな時代背景があったからです。
その結果、「実をやり込める極悪」「実と見せかけて悪、悪と見せかけて実」といったスーパースターが誕生することになります。
大坂では片岡仁左衛門、江戸では山中平九郎、京都では村山平十郎などです。
こうして、「実事師」とは程遠い「実悪」という役柄が生まれてきます。
「実悪」は敵役の中でもとりわけスケールの大きい役柄をいい、その役の魅力は「悪の凄み」「スケールの大きさ」「色気」です。
芝居に出てくる「実悪」人は、空き巣や詐欺をするようなコソコソとした小悪党ではありません。帝位を狙い日本国を我が物にする野望を抱いたり、領地、大名家の横領を企み、邪魔になる若君、それに忠実な家臣をさつがいする、、、、
悪逆非道、冷酷無惨な行為を平然とやってのけるでっかい人物が多いのです。
そんな極悪人には、世間を圧倒するような巨大な存在感があり、人を惹きつけて止まない魅力があるのです。もちろん、強固な封建体制だった江戸時代にはそんな人間がいても大願成就はほぼ無理というものです。
しかし、倫理や道徳の枠を超えて縦横無尽に活躍が可能なフィクション(芝居という虚構)の世界では多数の庶民たちにとっては夢の実現でした。
彼らの勇姿は、たとえ平穏無事の世であっても理屈抜きに感動と興奮を呼び起こすものでした。反体制、反権力、反道徳、反秩序の権化のようなスケールの大きい悪人、それが「実悪」人だったのです。

舞踊劇「関の扉」の大伴黒主

その代表格を紹介しましょう。
石川五右衛門   野望実現のため妖術を駆使して豊臣秀吉を狙う
蘇我入鹿     天智天皇の帝位を略奪しようと狙う魔王
藤原畤平     菅原道真を讒言して九州太宰府へ追いやる
仁木弾正     仙台伊達藩の大名家を我が物にしようとの野望を持つ
武智光秀     織田信長を本能寺で誅殺した下剋上の体現者
天竺徳兵衛    蝦蟇の妖術を使って家国を乗っ取ろうとする
彼らには共通点があります。
①   天下転覆、大名家のお家乗っ取りをめざす大悪人
②   冷血だが沈着な資質でことにあたる
③   その育ちは複雑で長い艱難辛苦に耐え、大望を叶える事をめざす
④    時に妖術などを駆使して転覆を図ることを厭わない
⑤    その結果は悲惨な最期になり、ほとんど命を奪われることになる

石川五右衛門
「妹背山婦女庭訓」の蘇我入鹿
「菅原伝授手習鑑」の藤原時平
「伽羅先代萩」の仁木弾正
「太功記十段目」の武智光秀
天竺徳兵衛

こういった大悪人に特有の髪型(鬘)があって、それで識別できます。
まず前髪があります。つまり月代は剃っていません。
例えば、燕手(えんで)    これは先ほど写真で紹介した「伽羅先代萩」の仙台伊達藩のお家転覆を目論む仁木弾正の鬘です。額の傷は荒獅子男之助に鉄扇で割られた痕です。

大百日(だいびゃくにち)の鬘    これは天下国家を転覆させようとの野望を
    持つ極悪人の鬘です。これは「王子(おおじ)」ともいいます。
  「妹背山婦女庭訓」の蘇我入鹿
  「金閣寺の松永大膳
  「菅原伝授手習鑑」の藤原時平  などの役で被ります。

大百日(または王子)

「実悪」は、原則として一般の敵役のような「赤っ面」ではありません。立役とおなじ白塗りです。「公家悪」例えば「菅原伝授手習鑑」の藤原時平だけは藍色の隈をとっています。

このように、「悪」人を待望していた江戸の観客たち大衆は、中村仲蔵、五代目松本幸四郎など特異なキャラクターを持つスケールの大きい実悪役者、悪の英雄を育て上げてきました。



こういt







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