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地方創生に必要な構想力=思いつきの数➗人との出会い

地方でまちづくりの仕事をしていて必要性を感じる「構想」。限られた公共資源をどう使うか、利害の異なる多数の人に共感を与え、巻き込んでいくには、見えない考えが見えるように体系的に組み立てられてることが求められます。

1 構想

たんなる主観ですが、構想とはコンセプトのようなもの。ただし、コンセプトとは企業で商品をつくったり事業をはじめる時に求められる範囲、構想はもう少し広くて抽象度の高い範囲、というのが自分なりの整理。

コンセプトやビジョンの根っこになるようなものが構想、順番でいうと構想>ビジョン・コンセプト>戦略>アクション。

構想の個人的定義は、自分の頭の中にしかない考えを、人に伝えられるレベルにまとめることです。

昨年、1年間かけて都農町のグランドデザインをつくりましたが、グランドデザインは、構想をよりわかりやすく見える化する感じ。プロセスは近い。

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行政も企業も住民も、町のことは程度の差はあれ考えているもの。ただし、まちづくり”あるある”で、考えは全部正解に近い。間違いやそれはおかしいでしょ、という意見はほぼありません。

いろんな正解、正論が飛び交う中で、ただそれらをつなげて、まとめた文章にしても、政治家答弁みたいになって何も刺さらない状況に、自分の反省も含めてよく陥ります。それが構想のない状況。

自分の頭の中に描いた絵を人に伝えて理解が進めば、自分の構想に、町を主語に、町として描いている絵を町民、町外に伝えて理解が進めば、町の構想になるはず。。

前置きは長くなりましたが、この構想力、簡単につくものではありません。著名なコンサルタントやビジネス書、企業研修などでも盛んに構想力のつけ方について言及されていますが自分も含めて力がついてんのかついてないんだかよくわからない。

今週、都農町でいろんな人と話をする中で、自分なりに構想にたどり着く道筋のヒントが見えた気がしました。(あくまで”気”ですが)

2 思いつき

どんなに優秀な人でも、いきなり構想を描ける人はそんなにはいない。少なくても僕にとっては不可能なプロセスです。

では日常的にどんな風に新しいことやまちづくりのことを考えてるのかと振り返ると、ほとんどのスタートが思いつき。

ここでいう思いつきは、ややネガティブに振れると「妄想」、やや理屈っぽく振れると「仮説」、ややクリエイティブに振れると「ひらめき」、かなってぐらいのポジション。

一番近い類語は「ジャストアイデア」かもしれません。ふと頭に浮かんだいい考えのこと。「いいこと考えた!」ぐらいのイメージです。

思いつきの果ては、自他共に言われますがだいたいが「安易」「軽薄」「場当たり」というかたちで終焉を迎えます。

とはいえ、構想が必要という前提に立つと、やはり思いつきは侮れない。思いつきのいくつかが、なにがしかの化学反応か進化によって構想に昇格していくはずです。どんなに立派な構想も、最初の最初は誰か一人の思いつきだったんじゃないか説。

その仮説が正しいとすると、日常、まず頑張るべきは思いつきの数を増やすこと。母数が大きければ大きいほど構想に昇格する数は増えるはず。

そして、次に考えるべきが、思いつきが構想に昇格するために有効なプロセス。僕の場合は人との出会いによって、が多いプロセス。

3 人との出会い

日頃から思いつきの在庫を増やしていくと、人と出会って話す際、その人の強みに近い、思いつきをぶつけていきやすい。そうすると、自分にはない見識やスキル、経験をどんどん聞き出せる、引き出せるため、思いつきが上質なフィルターにかかって磨かれてく感じ。

今週、個人的に、リアルとオンラインを含めて、農業のオンラインスクールを立ち上げた人、VRで起業してる人、コンバーションを得意にしている設計の人、大手企業で新規事業を企画している人たちと出会い、たくさん話すことができました。

僕を含めて、町の人が持ってた思いつきを共有するうちに、色々な可能性がふくらんでいくことを肌で感じることができました。ここで具体的に書き始めると10,000字超えしちゃうので続報とさせていただきますが。

もちろん、逆も然り。出会った人たちが持っていた思いつきが、都農町のリアルな地元の人たちと出会うことで明らかに思いつきから構想に昇格していきそうな感じも。

4 思いつき÷人との出会い=構想

ということで、たくさんの思いつきをして、その思いつき分野にたけた人との出会いによって構想に昇格していく、という流れをこれからも増やしていきたいです。

ちなみに、思いつきが少なくて、やたら人との出会いが多い人、パターンも散見されます。

少しシニカルな言い方になりますが、やたら人と会ってるにも関わらず、一向に新しいことが生まれないケースは、多分に思いつきの在庫不足ということが原因ではないかと邪推。

どんなにくだらなくてもよいので自分オリジナルの思いつきを持っておくのとおかないのでは、出会った人との会話時間に差が出ます。

最終的には、自分の思いつきの浅さや軽さを正当化させたいためではないかと自戒しつつも、これからも思いつきを量産できるよう、あれこれ思い巡らせようと思います。



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