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「お願いする」を学ぶとき
先日痛めた足首が、まだ痛いです。
今日ようやく医者に行き、来週CTを取ることになりました。
そんなわけで、プチ不自由な生活が続いています。我慢できる程度の痛みだけど、無理をしたら悪くなりそうで、できればあまり足を使いたくない、という状態です。
「このやらかしが意味するもの」と先日のタイトルにしましたが、たぶん、今回は「お願いする」ということを学ぶタイミングなのかもしれないです。
私は日常生活において「人に頼むよりも自分でやっちゃう」範囲が標準よりも広いみたいで、夫と付き合い始めの頃はそれで夫をガッカリさせたこと多々あり。「自分でやった方が早い」と思っちゃうのは語学の関係もあると思います。日本語でも頼む時ってわりとニュアンスが大事だったりするじゃないですか?それを英語で表現するのがめんどくさくってついつい自分でやっちゃうのです。
かつては「頼ってくれない」とガッカリしていた夫ですが、家の中で足を引きずってる私をみても、あれやろうか、これやろうか?っていう行動には出ないのですよ。夫曰く、オーストラリア人は境界線をリスペクトする、ということらしいです。人にもよると思うけど、確かに夫家族や友人を見ていてもそう思う。相手が言わないのにあれやったりこれやったりするのは相手のパーソナルスペースを侵害していることになるし、言われてないことを推測する意味がない…とか。
そんな夫にマイルドにがっかりしてきたかつての私も、今となると夫は「頼まないとやってくれないが頼めばやってくれる人」。この機会に小さなことでもシンプルに頼みごとを伝える練習をしています。
自分の境界線を相手に少し寄せる、相手の境界線を侵害しない、の感覚は大事。改めて肝に銘じようと思います。