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ものづくり

どうも佐久間です

今日は『ものづくり』という
お話です


佐久間は、小さい頃から算数が好きで
オトンが某お菓子メーカーで機械設計
の仕事をしていたので、将来の夢の
第二志望としてオトンと同じ様な
『ものづくり』をしたいと思ってました
※もちろん、その頃の第一志望は
 プロ野球選手です

オトンの会社は食べ物を製造してるので
基本的には立ち入り禁止です

でも、オトンと一緒なら入る事が出来
製造ラインなどの場所は行けませんが
見学通路を通る事は出来たので、途中の
チョコレート課とかビスケット課の
お菓子がじゃんじゃか作られてるが
見れるのが本当に楽しくて

『俺、野球選手になれんかったら
 オトンと一緒にお菓子の機械作る』

なんて言った記憶があります

そのオトンが、生前よく言ってた
『ものづくりは、何もない所から
いろんな人の希望や要望を形にする
とても凄い仕事なんだぞ!』
という言葉は、子供心に深く刻まれ
いつか自分が作ったもので人を幸せにする
『ものづくり』を(第二候補で)やるんだ
って思ってました

しかも、毎回一緒について行く度に
形が悪くなった廃棄品の味見や
帰りに会社の人から紙袋いっぱいの
お菓子をもらえたんで、自分には
まさにお菓子の国の様な感覚です
※今は、食品衛生上の問題などで
 この様な事はしていません



そして、時は流れて
佐久間が大学を卒業する頃

高校の時に事故に遭って肩を壊し
プロ野球選手は諦めていたので
もう、頭の中ではお菓子の国で
働くしかありません

その為に、オトンと同じ機械設計を
大学でしっかり勉強したし、その他
必要な技術・知識の習得・準備も終え
自信を持って、オトンの会社に面接に
行きました


そしたら・・・不採用(涙)


自分の中で、夢で見ていたお菓子の城が
音を立てて崩れて行く映像が見えました

でも、まったく納得いかないので
当時、会社である程度の地位にいた
オトンに、何がいけなかったのか
何故採用されなかったのか聞いた所

『あ~その話は、俺が自分の子供と
   一緒に仕事はしたくないから
      採用するなって言った』


先に言えよ~(怒)
この時から、オトンがキライになりました


って事で、しぶしぶお菓子の国は諦め
その後、車なんて好きでもないのに
何故か自動車部品メーカーに就職しました

結果的には、あの素晴らしい上司に
会えたから良かったんだけどね



オトンがこの世からいなくなった今
改めて考えてみると
もし、自分も息子と一緒に仕事するって
考えたら、多分佐久間も反対します

理由は、個人的感情が必ず入り
部下に対しての平等な判断が
出来ないからです

必要以上に期待しちゃうし
必要以上に厳しくしちゃうし
必要以上に息子をアピールしそうです

こんな考えの人間が上に居たら
仕事もまともに出来なくなるし
慕ってくれる部下もダメになります

以前話した『いいとこさがし』も
仕事で息子がいると多分出来ません


今になって思うのですが
うちのオトンも、言い方は雑ですが
本当に佐久間の事を想って

『自分の道は、自分で切り開け』

って言ってくれた様に感じます


それくらい、技術者という仕事で
一生懸命真面目に働いたオトンは
今でも佐久間の自慢の父親です


そんなオトンは、もうこの世にいません

もし今の状態で、もう一度会えるなら
あの時の話の意味を素直に聞けるし
設計の仕事の話も出来ると思います


今は567で、墓参りも行けないけど
夢で逢えたらまたいろいろ教えてね!
・・・キライやけど(笑)



以上が『ものづくり』のお話しでした

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(自称)競馬予報士佐久間
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