競馬の沼は深いって
noteではお久しぶりです。恋の大賞典です。
今回は競馬の沼について話そうと思います。
あくまで個人の意見なので、さらって聞き流すような感じで読んでくれると幸いです。
良くも悪くも「競馬はギャンブル」
競馬を好きになってから、自己紹介や好きなことを聞かれた時に「私は競馬が好きなんです🐴」って言うと競馬に興味がない人から大抵、「当たるの?」とか「競馬で儲かるの?」みたいなことをよく言われました。
今考えると、これは世間が思う競馬のイメージなのかなとつくづく思います。
まさに「競馬=ギャンブル」の構図です。
競馬は確かにギャンブルですし、公営競技の一つなので何一つ間違ってはいないのです。しかし、ギャンブルそのものが人によってはポジティブなイメージが少ないのが正直なところあります。
そのため、競馬好きと言われるとギャンブル好きと直結されて図らずとも良くない印象を気づかぬうちに与えてしまうこともあります。
特に本屋に行くと競馬雑誌がギャンブルを扱うコーナーに置いてあります。それを見ると、「競馬ってやっぱりギャンブルなんだな」と痛感させられます。
競馬はロマンというけれど
よく、「競馬はロマンだ」という言葉を耳にします。競走馬一頭一頭にそれぞれのドラマがありますし、親から仔への血統のロマンもあります。
とはいえ、競馬を知らない人にとっては、競走馬もレースも何があるか右も左も分からないのです。(実際、競馬を知る前の私がこんな感じでした。)
なので、いくら競馬を知らない人にそのような面があると熱く伝えても、よっぽどの話術が無ければ「何を言ってるのかワカラナイヨー」ってなってしまいがちです。
レースを観戦してみると
とにかく、競馬を知らない人に興味を持ってもらうにはあれこれ説明するよりも、実際に馬券を買ってレースを観戦するのがいいのかなって思います。
実際にお金を賭けてレースを見る行為自体はギャンブルです。ただ、ゴール前最後の直線での攻防は競馬を知っても知らなくても興奮します。また現地観戦なら、ギャラリーの興奮や熱気に圧倒されていつの間にかボルテージが上がっています。
ただ馬がスタートからゴールまで走るその中に、馬と騎手との折り合いや駆け引き、直線の攻防などギャンブルの先入観が強かった競馬にスポーツ要素があることに気づくと、その先入観に「競馬=スポーツ」という新たな価値観が生まれてきます。
スポーツならギャンブルのような取っつきにくさが少なく、比較的馴染みやすさがでてきます。そして、「競馬はギャンブルだけではない」と気づきはじめます。そして、少し興味を持ちはじめたところで、競走馬の物語や背景など所謂「競馬はロマンだ」のドラマ性に気づいたら、完全に競馬の沼にハマった証拠だと私は思います。
個人的に印象的だったのはJRAとキズナアイさんのコラボ企画の時に、天皇賞・秋直前の配信では、まだキズナアイさんが競馬に対して「これから色々学んでいこう」といったような感じでしたが、ジャパンカップ直線の配信では自らデアリングタクトの生い立ちを話している場面がありました。
デアリングタクトの生い立ちはシンデレラストーリー性(※)がとても強く、とてもドラマチックです。この生配信をリアルタイム見ていたのですが、「もはやキズナアイさんはれっきとした競馬ファンじゃん!」と心の中で強く思っていました。
(※)決して高くはない1200万で取引されたが、史上初の無敗牝馬三冠を達成し、4億以上稼いだ。
まとめ
長くなってしまいましたが、要するに言いたいことは「競馬はギャンブルでありスポーツでありロマンであるからとても奥深い」ということです。実際に私も競馬を知る前は、ギャンブルの一つとしか見ていなかったです。様々な切り口から見ると違った一面が見られる競馬。本当に奥が深いです。
拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。