【ハッピースプリント】地方競馬のお話①
一昨日のJDDの余韻から抜けられない、まかりおん です。
何度見返してもいいレースでした。改めてミックファイアの今後にワクワクが抑えられません。
地方馬が中央馬にも果敢に挑戦する様は、やはり胸が打たれます。
しかし、地方競馬より中央競馬が注目されやすいのも事実です。
私は今回のミックファイアの三冠を機に、地方競馬の魅力がたくさんの競馬ファンと競馬を知らない人々に届いて欲しいと心から考えています。
今回の記事はミックファイアの9年前に二冠を制し、三冠の夢にハナ差まで迫ったサラブレッドのお話。
地方の星が全速力で走り出した2013年から、人々に幸せを振り撒く8年間の競走馬生を振り返ります。
2歳で魅せた才覚に
登竜門を穿つ末脚に
ダービーを押し切る実力に
誰もが三冠の夢を見た
その馬の名は
ハッピースプリント
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2011年生まれの競走馬、ハッピースプリント。
・NARグランプリ年度代表馬(2013・2015)
・2歳最優秀牡馬(2013)
・3歳最優秀牡馬(2014)
・4歳以上最優秀牡馬(2015)
・TCK大賞(2014・2015)
と、多くのタイトルを持つ優秀な競走馬であり、南関東二冠馬です。
2歳(2013年)
ハッピースプリントのデビューは2013年5月15日、門別競馬場で行われたフレッシュチャレンジ。4コーナーで抜け出すと、そのまま押し切り2馬身差の快勝。続くウィナーズチャレンジ2ではハナを切ると、2着に4馬身差の圧勝。
その後、中央の芝レースに二度出走し連続5着で帰還。中央帰りの初戦は重賞 サンライズカップに出走。最後方に控えて道中を進み3コーナーから進出、直線では2馬身半の着差をつけ重賞初制覇を飾りました。
次のレースはダートグレード競走 北海道2歳優駿に出走。ダート戦では中央馬と初となる対決となりましたが、単勝オッズ1.5倍の一番人気に支持されました。道中、中団につけてレースを運ぶと4コーナーで逃げたアースコネクターに並びかけ、直線で突き放し2馬身差で快勝。ダートグレードタイトルを獲得しました。
2歳最後のレースは川崎競馬場で行われる大一番、全日本2歳優駿に出走。ここでも2.5倍の一番人気に支持されました。レースでは3番手につけて追走、4コーナーで逃げるスザクと一騎打ちになりましたが、1馬身半差をつけて優勝。Jpn I制覇を果たし、2歳にしてNARグランプリ年度代表馬・2歳最優秀牡馬に選出されました。
すでにダート戦線で頭角を見せつける勝ちっぷり。2歳から年度代表馬に選出されたサラブレッドは09’のラブミーチャン(笠松)のみ。普通の馬とは一線を画す才覚であったことは言うまでもありませんでした。
3歳(2014年)
南関東牡馬クラシック路線への参戦のためにハッピースプリントは大井競馬への移籍を決定。移籍初戦の羽田盃の前哨戦・京浜杯では単勝1.1倍の圧倒的な人気に応え、1馬身3/4差をつける快勝で制しました。
4月23日、一冠目の羽田盃に出走。単勝オッズは1.1倍、三冠を見据え「どう勝つか」が注目された一戦でした。しかしハッピースプリントは見るものを圧倒する走りを見せつけます。
道中を三番手で進めると3コーナーから進出、一気に前を捉えます。直線ではもはや敵なし。2着のドバイエキスプレスを5馬身後方に突き放す競馬で羽田盃を制しました。
6月4日、二冠目の東京ダービーに出走。単勝オッズは1.1倍、支持率は驚異の70%という断前の一番人気で迎えた本レース。ハッピースプリントはやはり圧倒的なパフォーマンスを見せます。
スタートを綺麗に決めると、好位追走。3コーナーから楽な手応えで進出。直線では一気に抜け出し、2着のスマイルピースに4馬身差をつけ優勝。2011年のクラーベセクレタ以来の二冠馬誕生に大井競馬場は大いに湧き上がりました。一部ではハッピースプリントは「怪物」と称される存在になります。
当初、東京ダービーをもってホッカイドウ競馬への再転入の予定だったハッピースプリントですが、三冠の夢を背負い大井競馬で続投。7月9日のジャパンダートダービーに出走します。
JDD当日は九州に接近していた台風の影響で大雨の中で開催となりました。JRA所属の競走馬から6頭が参戦しましたが、ハッピースプリントは単勝オッズ1.4倍の一番人気に支持されました。
道中、三番手を追走し3コーナーから徐々に進出、直線で前を行くノースショアビーチを交わして先頭に立ちます。ハッピースプリントの王道パターンで堂々と押し切りをはかります。しかし、大外から二番人気のJRA所属馬・カゼノコが抜群の末脚で強襲、二頭が並んだところがゴール板という際どいレース。場内は歓声と悲鳴に包まれました。
写真判定の末、ハッピースプリントはハナ差の2着。
彼自身の渾身の競馬をカゼノコが切り伏せるハナ差の完敗に三冠の夢は散っていきました。
JDD後は牧場へ戻り休養、10月4日に大井競馬場に入厩。休養明けの勝島王冠では5着に敗れ、その年の暮れの大一番・東京大賞典ではホッコータルマエの4着。
羽田盃・東京ダービーの優勝、JDDの2着を評価され3歳最優秀牡馬に選出されますが、悔しさの残る結果だったことは言うまでもありませんでした。
4歳(2015年)
古馬となった2015年は1月28日の川崎記念を年明け初戦としました。レースでは直線半ばから脚を伸ばしましたが、3コーナーから動くいつも競馬ができず4着に敗れます。続く2月22日、中央G1・フェブラリーSに出走しますが、流れについていけず脚を溜められずに11着惨敗。高い中央の壁に打ちひしがれます。3戦目は5月5日のかしわ記念。ゴール前まで先頭争いに粘りますが、わずかに伸びが足らず3着に惜敗。4戦目、6月24日の帝王賞ではしぶとく末脚を伸ばしますが、3着に敗れます。秋になって初戦、10月12日のマイルチャンピオンシップ南部杯ではスタート直後の躓きでリズムが崩れ6着としました。
ここまでGⅠ・JpnⅠに挑み続けますが、中央GⅠ・チャンピオンズカップでは除外対象となり、代わる12月2日、浦和記念(JpnⅡ)へ出走。3コーナーで抜け出したサミットストーンを直線で捉えると、そのまま押し切り優勝。昨年の東京ダービー以来の勝利を記録しました。続く12月29日には昨年同様、東京大賞典に出走。地方所属馬では最先着の6着としましたが、レースではペースについていけず実力の差を感じる一戦となりました。
浦和記念での勝利と、果敢なGⅠ・JpnⅠへの挑戦と健闘が評価され、NARグランプリ年度代表馬・4歳以上最優秀牡馬に選出されました。
しかし、古馬ダート戦線の層の厚さに涙を呑んだ2015年。ハッピースプリントの2•3歳の輝きに影が差しつつありました。
5歳(2016年)
5月5日のかしわ記念を年明け初戦とするも、中央所属馬の前に7着敗走。夏を全休し、9月28日の日本テレビ盃に出走するも6着と掲示板確保さえできなませんでした。次走に環境の変化を求め、10月26日のマイルグランプリ(大井)に出走。しかし初めての内回り、斤量59kgのハンデが響き7着に敗れます。その後は昨年同様、浦和記念→東京大賞典のローテーションを組みますが、3着→8着と振るわず、未勝利の年となりました。
全盛期の競走能力から考えれば、能力落ちは明らか。ハッピースプリントの時代は静かな幕引きを迎えました。しかし、ハッピースプリントは健気に走り続けます。
6歳(2017年)
2年ぶりの挑戦となる川崎記念を年明け初戦とし、6着。さらに、2戦目には2年ぶりの中央参戦を表明。3月26日のマーチステークスに出走するも、コーナーでの遅れや、速いペースへの対応ができずに14着に惨敗しました。そして2017年はこの2戦を最後に休養に入り、レースへの出走はありませんでした。
7歳(2018年)
ホッカイドウ競馬で当初所属していた田中淳司厩舎に復帰。7月30日に能力検査を受け、ハッピースプリントの状態が語られました。
蹄の不安から戦列を離れていたことが明らかにされますが、来年の道営記念を当面の目標に現役続行を表明。ホッカイドウ競馬に復帰するハッピースプリントに古馬戦線の盛り上がりが期待されました。
復帰初戦は8月29日のロードカナロア・プレミアム。単勝オッズ1.4倍の一番人気に応え、楽な手応えで2着に3馬身差の勝利。4歳時の浦和記念以来の勝利となりました。二戦目は瑞穂賞に出走。単勝1.7倍の一番人気に推されますが、勝ち馬・スーパーステンションに2秒3差で大きく離された4着に敗れました。
三戦目には目標の道営記念への出走を表明。ファン投票で3位となり出走権を獲得しました。当日は8.7倍の三番人気に推され、4コーナーで外から仕掛けていきますがスーパーステンションの4着に敗れました。年末は名古屋グランプリに出走、チュウワウィザードの7着としました。
すでに7歳となりながら久々の勝利を飾り、ホッカイドウ競馬を盛り上げたハッピースプリント。年末にはダートグレード競走に復帰するなど、長く走り続けます。
8歳(2019年)
年明け初戦は隅田川オープンに出走。単勝オッズ11.1倍の六番人気でしたが、中団追走から上がり3位の末脚で1馬身3/4差の勝利をおさめました。しかし、その後のブリリアントC・スパーキングサマーCは7着・10着と凡走。
ラストランとなった9月19日のマイルグランプリトライアル競走では単勝オッズ6.4倍の四番人気に推された。レースでは上がり最速の末脚を炸裂させるも3着に敗れました。
結局、隅田川オープン以来の勝利無く2020年10月13日付で競走馬登録を抹消。10月19日には特別区競走組合から引退が正式に発表されました。
生涯成績 36戦11勝
期待に満ちた2歳、三冠の夢にハナ差に迫った3歳、中央ダートグレード戦にも果敢に挑んだ4歳、斜陽の影に包まれながら期待に応えた復活、地元のホッカイドウ競馬を沸かせた道営記念、そしてゆっくりと幕を引いていった激動の競走生活。
引退の経緯について大井時代に管理した森下調教師はこう語っています。
ハッピースプリントの果敢な走りに、私は今でも強さを感じます。
4歳以降は中央の強豪と、そして自分自身と戦っていたことを知り感極まる思いでした。
ハッピースプリントは引退後に種牡馬となりました。
血統表に彼の名前を見つけた時は、その激動の馬生を思い出してください。
彼と重なる子供たちが今日を全力で走ります。
以上、まかりおんでした。
ハッピースプリントに幸あれ!