パンサラッサを振り返る~競馬版洞口スペシャル、後続の心理を逆手に取る独特な逃げ~
愛知の巨人・洞口武雄の息子である洞口雄大が、女子レーサー青島優子ちゃんにフラれて酔っぱらい、ケンカしてゴミ袋の山に横たわるシーンは、未だに涙なしには見られない。
世紀の名作・トニカクカワイイなどを連載する、日本を代表する雑誌である週刊少年サンデーで連載された競艇マンガ・モンキーターンの一節だ。この名作から競艇を知ったという人間は多いと思う。かくいうマスクもその一人。
この洞口雄大、洞口武雄の親子が生み出したのが『洞口スペシャル』。そんなん知らんという読者の方に簡単に説明すると、特殊な形状のプロペラを用いて序盤猛スピードで逃げてそのまま残る、というものだ。いまいち上手い説明ができないのが残念でならない。
もちろんこの洞口スペシャルは無敵ではなく、序盤は圧倒的なスピードを叩き出せるが、後半はプロペラの形が開いて変形してしまうため、スピードが落ちてしまう。
しかし競艇は先頭が早々と大きな差をつければ、中盤から2番手以降が2着をキープしようとする。その分逃げている洞口雄大のスピードが落ちていることを後ろは気づかない、というカラクリが隠されていた。しっかり知りたい人間はモンキーターン17巻、18巻を読んでくれ。小学館から絶賛発売中だ。
この洞口スペシャルというやり方は実に面白い。競艇以外の競技にも通ずる考え方だとマスクは思う。
競馬も競艇同様、先頭が有利な競技だ。もちろん競艇ほどではないが、先頭、つまり逃げ馬は自分でペースが刻める。いくら強い馬がいようが、後ろから運べば逃げ馬の上がり3Fタイムを上回らねば交わせない。逃げ馬がスローペースで逃げて速い上がりを使った場合、簡単には差せないからね。
後続に『考えさせる』という意味でも逃げは有利。それもあって、競馬において勝率が一番高いのは逃げ馬だ。
その逃げ馬の代表格みたいなところがあるパンサラッサの引退が発表されたから、今回は回顧特別版ということで、何度も回顧に書いてきた『パンサラッサ逃げ』について取り上げようと思う。
普段見たことのない逃げ方をする馬だった。よくサイレンススズカなんかに例えられることが多い馬だったが、逃げ方がまた違う。マスクが『洞口スペシャル』と表現する逃げ方を、引退を機にもう一度確認する機会を設けたい。
今回取り上げていくのはは21年10月のオクトーバーS以降の話。それ以前も逃げていた馬だが、逃げ方が今とはまるで違うから省く。若駒Sの頃から書いていったら日をまたいで、今週のサンデーが発売されてしまうからな。
☆パンサラッサ 4歳秋以降 国内の成績
1着 オクトーバーS 2000m
1着 福島記念 2000m
13着 有馬記念 2500m
1着 中山記念 1800m
8着 宝塚記念 2200m
2着 札幌記念 2000m
2着 天皇賞秋 2000m
12着 ジャパンC 2400m
まず前提として、パンサラッサに2200m以上は長い。2200m神戸新聞杯でも逃げて12着。これは頭に入れよう。今回ジャパンCのレース後、矢作師も「このデキで2000mを走らせたかった」と言っているように、陣営も2200、2400以上が長いのは分かっている。
☆パンサラッサ 4歳秋以降
国内の成績 2000m以下
1着 オクトーバーS 2000m 吉田豊
1着 福島記念 2000m 菱田
1着 中山記念 1800m 吉田豊
2着 札幌記念 2000m 吉田豊
2着 天皇賞秋 2000m 吉田豊
このように2000m以下だと一度も崩れていない。細かい数字の良し悪しはあるが、基本この距離なら安定していた。
☆21年オクトーバーS 1着 稍重
12.6-11.8-11.4-11.4-12.1-12.2-12.6-11.4-11.8-12.7
600m通過35.8
1000m通過59.3
☆21年福島記念 1着 良
11.9-10.8-10.9-11.9-11.8-11.9-12.4-12.4-12.1-13.1
600m通過33.6
1000m通過57.3
まず見比べたいのは一昨年のオクトーバーS、福島記念の比較だ。コースがまるで違うから一概に比較はできないが、オクトーバーSは1000m59.3で逃げ、福島記念はそれより2秒も速いペースで逃げている。
これはやや仕方ないところはあるんだ。東京の2000mはスタートしてすぐにコーナーがやってくるから、スタートして200m→400m地点のペースが大して上がらない。
このオクトーバーSの日は稍重で少し時計の掛かる日だったんだが、200mからは11.8-11.4-11.4と11.5前後のタイムを刻んで逃げていた。これで逃げ切っちゃったんだよな。
パンサラッサはそれまで4度逃げていたが、最速は1000m59.9通過。それよりは1秒近く速いペースを刻んで逃げ切ったところで、陣営はここでパンサラッサという馬は序盤からペースを刻んだほうが勝てると、ある程度確信を持ったと思う。
☆21年福島記念 1着 良
11.9-10.8-10.9-11.9-11.8-11.9-12.4-12.4-12.1-13.1
600m通過33.6
1000m通過57.3
そして次走、菱田が作ったペースがこれ。良馬場だったとはいえ、33.6通過は過去10年の福島記念で最速。200mから10.8-10.9-11.9とひたすら飛ばす戦法にモデルチェンジしたのだ。今のパンサラッサの逃げの原型みたいなものだね。
太字は1F11.9以内の区間だが、前半1200mまで全部1F11秒台で飛ばしている。こんなペースについていける馬などいるわけもなく、単騎逃げになってそのまま逃げ切った。
※21年有馬記念 芝2500m
6.9-11.3-11.6-11.5-11.9-12.5-12.6-12.2-12.4-12.4-12.2-12.0-12.5
菱田は福島記念の次走、有馬記念も継続騎乗だった。ところが今度は11秒台が4Fしかなく、その後12.5-12.6と緩んでいる。
これはなんてことはない、距離が長いのだ。中山2500mで11.9以内を6連発する逃げを打って逃げ切る馬はUMAだから、これは仕方ない。4F11秒台を並べただけでも結構攻めたなと思う。
☆22年中山記念 1800m 1着
12.7-11.2-11.3-11.1-11.3-11.5-11.6-12.2-13.5
600m通過35.2
1000m通過57.6
有馬は距離が延びて持ち味が生きなかったが、短縮すればスピードが生きるわけで、太字の1F11.9以内を中盤6連発してそのまま逃げ切ってしまった。
後述するが、マスクはパンサラッサのベストレースは何ですか?と聞かれたら、ドバイやサウジアラビアではなくこの中山記念を挙げる。後述。
では、ここで考えたいことがある。これだけ11秒台を並べて逃げているパンサラッサだが、勝ち時計は速かったのだろうか、という点だ。
オクトーバーSの勝ち時計2:00.0は馬場差を踏まえてもそこまで速くない。福島記念の勝ち時計はここ10年で3番目に速いものの、馬場差がそこまで大差ないスティッフェリオの年より0.9秒も遅かった。
中山記念の勝ち時計1:46.4はここ10年中5番目。馬場自体そこまで速くなかったが、これだけ11秒台が並ぶハイペースは普通レコードが出やすいのにも関わらずだ。
冒頭のモンキーターン17巻~18巻にて、主人公の波多野も同じことに気付いた。これだけ圧倒的なスピードで逃げる洞口スペシャルが、コースレコードを出さないことに。
レコードが出ないカラクリはラスト1Fにある。
☆21年福島記念 2000m 1着 菱田
11.9-10.8-10.9-11.9-11.8-11.9-12.4-12.4-12.1-13.1
☆22年中山記念 1800m 1着 吉田豊
12.7-11.2-11.3-11.1-11.3-11.5-11.6-12.2-13.5
ラスト1Fだけ思い切り掛かっているのだ。最後は完全に止まっている。ここで一気に時計が掛かる分、レコードが出るペースで逃げているのにレコードが出ないんだよ。
これ、レコードが出ないことをマスクは悪いと言っているわけではないから誤解しないでほしい。逆にこれは考えられた作戦だ。
要は『実距離より200m手前でレースを終わらせている』のだ。福島記念なら1800m、中山記念なら1600mしか走っていない。
これは逃げ切った中山記念。赤パンサラッサが3、4コーナーで後続と距離を取っているのが分かる。
では道中大逃げだったかというと、これがそうでもない。赤パンサラッサの後ろに後続がついてきているのが分かる。
☆22年中山記念 1800m 1着 吉田豊
12.7-11.2-11.3-11.1-11.3-11.5-11.6-12.2-13.5
当たり前の話だが、11秒前半が並ぶラップに最後までついていけば、当然自分も脚が止まる。と、後続のジョッキーは考える。
前半からパンサラッサが飛ばすことで、後ろの馬は「これはハイペースだ」と思う。当然この中山記念のようについていく馬には苦しいラップだし、後ろの馬からすると、前が飛ばしているわけだから、展開は向くものだと考える。
前が勝手に下がっていき、後ろが構えることで、パンサラッサと後続に差ができてしまう。ここでアドバンテージが得られれば、あとは最後の1Fでパンサラッサが止まろうがそのまま残ってしまうのだ。
後ろは実はペースが速くない。しかし早めに動けば、そもそもペースが速い分最後止まる可能性が出てくる。かといって前につければパンサラッサの逃げに潰されてしまう。後ろに選択肢を与えないんだよな、このやり方は。
マスクはTwitterでこの中山記念を『机の上でやれる競馬』と称した。福島記念でこの馬のやり口が見えたから、この中山記念はパンサラッサから狙ったんだよね。たぶん終盤まで11秒台を刻む読みはあって、机の上の計算上、残り600まで11秒台が刻めれば逃げ切る計算だった。
まさに計算通りだったレース。競馬なんてその日の展開、馬場で結果はいくらでも変わるものだが、このレースに関して言えば、机の上の計算で成り立ってしまうものがあった。なかなかないよ、こういうレースは。
この中山記念の逃げは後のビッグレースへ『種まき』の役割も果たした。このレースが上手く伏線となったのが、22年の天皇賞秋。
22年天皇賞秋 2着
12.6-10.9-11.2-11.3-11.4-11.6-11.8-11.6-12.4-12.7
600m通過34.7
1000m通過57.4
※21年オクトーバーS 1着 稍重 東京2000m
12.6-11.8-11.4-11.4-12.1-12.2-12.6-11.4-11.8-12.7
600m通過35.8
1000m通過59.3
馬場は違うとはいえ、同条件のオクトーバーSより600mで1.1秒、1000mで2.9秒も速いタイムで飛ばして逃げたんだ。
明日も仕事があるからここは使いまわしをさせてもらうが、天皇賞はこんな感じ。後ろとはだいぶ差が離れている。まー、このペースで逃げればこうなる可能性のほうが高い。
中山記念を思い出してほしい。ハイペースの11秒台が続いたことで、ついていった馬が潰れている。後ろのジョッキーには『パンサラッサについていくと潰れる』という意識が働く。
この天皇賞秋で6着だったカラテの菅原明良くんも「2番手以降のペースが上がらず思ったよりスローな感じでした」とレース後話しているが、後ろが構えることで離れた2番手以降が緩めのペースになってしまうのだ。
またも使いまわしで申し訳ないが、するとこのような形で、直線に向いてもアドバンテージが取れる。この『アドバンテージ』のあるなしがパンサラッサの生命線の一つになる時は多かった。
当然中盤速めたからラストは失速するのだが、この天皇賞はレース上がり3Fが11.6-12.4-12.7。ラスト12.7はイクイノックスの数字を含むとはいえ、決してそこまで落ちていない。
だから2着に粘ったとも言えるし、12.7前後で踏ん張っているのに差されるんだから、差したイクイノックスの力が2枚も、3枚も上だった、と考えられる。俺からするとこれだけの数字を出しているのに差されるのはかわいそうな話に見える。
よくサイレンススズカと比較される大逃げだったが、微妙に逃げ方が違う。
☆サイレンススズカの大逃げ
・金鯱賞
12.8-11.2-11.2-11.5-11.4-11.4-12.0-12.4-11.7-12.2
・毎日王冠
12.7-11.0-10.9-11.4-11.7-12.1-11.6-11.4-12.1
またも1F11.9以内を太字にさせてもらった。お分かりだろうか、11.5以内が前半から並ぶが、残り800から1、2Fほど少し緩んでいることが。
武さんが上手い。これは大逃げして最後までアドバンテージを生かすだけじゃなく、アドバンテージを作った後、少し息を入れて、最後また少しだけ末脚を伸ばしているんだよな。武さんが言う、『逃げて差す競馬』さ。
後ろからすると前後の距離感は掴みにくいから、武さんが1F0.5~1秒落としても気づかないのだ。大逃げの馬に対して後ろが距離感を掴みにくいことを巧みに生かしている。
☆パンサラッサの大逃げ
22年天皇賞秋 2着
12.6-10.9-11.2-11.3-11.4-11.6-11.8-11.6-12.4-12.7
対してパンサラッサはこう。11秒台が終盤まで続いている。アドバンテージを作るだけ作って、早めにレースを終わらせようとする形だ。同じ大逃げでも微妙というか、だいぶ違うのが分かる。
別にマスクはどっちが凄いと言うつもりはない。それぞれなるほどと思わせる逃げ方だし、実際結果を出しているからね。ただこうして微妙に違いがある以上、同じように扱うのはどうかと思う。
さて、この『パンサラッサ逃げ』だが、当然弱点も存在する。世の中に弱点のない戦法は存在しないと思っているマスクだが、弱点がなければパンサラッサはもっと毎回勝っていたのではないだろうか。
この逃げの成立条件の大きな要素に、『4コーナーまでアドバンテージを稼ぐ』ことが挙げられる。サイレンススズカのように一度溜めて伸びるような場面がそうないからね。アドバンテージを稼がないと後ろに捕まってしまう。
稼げないパターンというのは、つまり序盤や中盤のタイムが速くない時だ。
☆パンサラッサ 4歳秋以降
国内で負けたレース(天皇賞以外)の前半~中盤
・13着 有馬記念 2500m
6.9-11.3-11.6-11.5-11.9-12.5-12.6-12.2-12.4
・8着 宝塚記念 2200m
12.5-10.4-11.0-12.1-11.6-12.1-11.9
・2着 札幌記念 2000m
12.6-10.9-12.0-12.1-11.9-12.2-11.8
・12着 ジャパンC 2400m
12.7-11.3-11.5-11.0-11.1-11.5-12.0-12.1-12.1
今度は1F12.0以上を太字にさせてもらった。宝塚や札幌記念は中盤、11秒台と12秒台が混在しているのが分かる。先程のパンサラッサの形とは違う状況が生まれている。
もちろん札幌記念当日の馬場を考えると、1F11秒台で飛ばすのはだいぶ難しい。コース形状的にもね。こうして12秒台が入るラップになると状況は変わってくる。
これは22年札幌記念だが、後ろにくっつかれてしまっているのがお分かりだろうか。アドバンテージを生かせない状況だ。先に勝負を決めたいパンサラッサとしては、こうなると苦しい。
どうしても距離が長いと中盤攻められず、そこで緩んで後ろがついてきてしまう分、最後に食われてしまう。1800~2000のほうがこのやり方は成立しやすい。
もちろんアドバンテージがなくても好走できるパターンはある。それが昨年のドバイターフで、こちらは大して後続と差がついていない。
ただこれはヨーロッパ勢がパンサラッサのペースに対応しきれていない側面もありそう。普段ヨーロッパの競馬のペースはそこまで速くない。そんな馬たちがパンサラッサの適度に締める流れを追走して脚が溜まるかというと、それは疑問。
同じく今年のサウジカップも2番手ジオグリフとの差はそうない。ただサウジが前残りであることも追い風にはなっていたと思われる。実際2番手ジオグリフも僅差の4着まで粘っているように。
あくまで誤解してほしくないのは、この2Rは後ろや馬場に恵まれただけではない。恵まれただけで勝てるほどのレースではない。レースを勝つ能力がある前提でこの話をしている。
2番手とアドバンテージがないまま逃げ切ったドバイターフ、サウジカップはどちらもワンターン。最初のコーナーまでの距離が遠い。たぶんこの形状ならアドバンテージが多少なかろうがそれでも粘れたと思うのだが、では日本に、ワンターンの1800~2000で、3コーナーが遠いレースがいくつあるのかという話だ。
天皇賞秋なんかはコーナーが近い。マイルの安田記念はワンターンだが、こちらは周りも速いからたぶんいつもにように逃げられない。
阪神の1800mなんかは条件に該当するが、この舞台に大きなレースが存在しない。パンサラッサがパフォーマンスよく走れる条件が日本にはだいぶ少ない。
この秋も路線選択は難しかったと思う。適距離は2000mの香港カップだが、故障明けで香港には持っていきづらい(香港はかなり検査も厳しいし、香港カップは1コーナーが近すぎる)。
チャンピオンズカップはサウジと日本のダートの質が違うこと、1コーナーまで300mほどしかない。対してジャパンCの東京2400は1コーナーまで400mある。
距離が長いのは陣営も承知の上だが、それでもジャパンCを使ったのは妥当だと思うし、本来もっと使いたい条件がある中で苦渋の決断だったと考えられる。
こればかりは難しい。与えられた条件でやるのも競馬ではある。長所があれば短所もあるだけに仕方ない。…そう考えると、なんでもできちゃうイクイノックスはちょっと信じがたい。
さて、種牡馬入りだ。
ちょっと難しい話になるが、やはりこの馬のストロングポイントはSpecial、Thatchの5×5だろう。父方にNureyevを持っている分、Specialはもう一本。
だいぶ血統表の奥になってしまう分効力がどこまであるか疑問なところはあるが、NureyevにSadler's Wellsの定番Specialクロスを持つKingmambo系といえば、やはりSpecial、Lisadellの4×4×3を持っていたエルコンドルパサーを思い出す。
母父のモンジューが母系に入ってより良さを出している現状、母父より先に入ってよりいい気がするが、見どころの多い血統だと思う。
もちろんここに繁殖の質なども影響してくるだけに今からこの種牡馬は絶対成功するとは言い難いものの、いずれ母父パンサラッサや、母母父パンサラッサなんていうGI馬が出てもまったく驚かないな。
第二の馬生を健やかに過ごしてほしい。