見出し画像

アドマイヤベガのこと

競馬を見に行くという目的で競馬場に行ったのはメイセイオペラが勝ったフェブラリーSが初めてだったように思う。近くに住んでいたから、子供の頃からいくらでも行ってるのだけど。子供の頃の競馬場の印象は迷子になること。父は競馬に集中しているし私も動くからすぐ迷う。昔は競馬博物館方面の入り口に歩道橋があったと思うんだけど、帰りに迷子になって歩道橋の上を見たら父がいて、あの風景ってずっと忘れないのはなぜだろう。

初めて父が競馬雑誌を買ってきて、それが1999年の弥生賞特集。そこで名牝ベガの仔として取り上げられていたのがアドマイヤベガだった。表紙はサクラローレルの初仔。ベガのことはダビスタで知っていて、それで印象に残ったのだと思うけど、それから20年、アドマイヤベガとその子供、孫に至るまで応援することになるとは。流星が左右非対称なんだけど、かっこいい。後ろから追い込む姿も。新馬戦で降着になったのもドラマを感じた。

日本ダービーの日は部活の大会だったから家で録画で見た。興奮したな。負けたときはすごくがっかりしたし、古馬になって復活を目指してたけど結局菊花賞が最後のレースになってしまった、そのときも落ち込んだ。

亡くなったときは泣いた。フジテレビのドラマ「ランチの女王」に泣きながら食べる食べ物の味という描写があるのだけど、本当にあの味は忘れない。20年近く経っても何を食べたかまで覚えてるものね。産駒は4世代しか残せなかった。

産駒を応援してよかったのは、1勝することの難しさを知れたこと。ゲームだとそれはわからない(笑)さすがに母父としても数が減ってきて、今はキズナ産駒に肩入れしているけど、アドマイヤベガの血はずっと残ってほしいね。

孫のニホンピロアワーズって種牡馬としてもっと期待していい。JRAで10頭しか走っていないのに、OPのシゲルホヤサクと準OPのニホンピロスクーロがいる。生産者の皆様、よろしくお願いいたします。血統表の上半分にアドマイヤベガの名前があるのは、二ホンピロアワーズ産駒だけなので。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?