くせ毛とかいう元カノがいる

自己開示、苦手。整えてない弱み見せたくない。
だってソレ、弱みじゃ~ん!
どうもkちゃんです。
べらべらなんでも喋るようでそうでもないフレンズ。かも。

珍しく気が向いたので、あまり自分でも消化できていないくせ毛に関する自分語りをします。

書くことで何かが変わるかもしれないし消すかもしれないし、くせ毛に対してマイナスな表現をする場合があります。

用法用量守って自己責任でお読みくださいね。
注意したからね。





髪の毛にコンプレックスがめっちゃある。
めーーっちゃある。


幼い頃はつやっつやのストレートヘアだった。
おかっぱ頭だったり、おさげにしてもらったり。


髪が曲がりだしたのは10代になってから。
最初の頃は「寝癖が取れないな…」と思っていたらそれは寝癖じゃなかった。

出現し始めた癖毛は、ゆるやかなウェービーヘアというよりはいわゆるソバージュ。捻転毛。

暗めの黒髪が一本一本細かく縮れながらふわふわと広がる。

ヘアケアの広告でよく見る、直毛の人が傷んだ時のBEFOREイメージ図に似た状態が私の髪の傷んでいない通常運転。

つまり、傷んでない私の髪、他人からは傷んでると思われるわけ!?!キレそ~!!!
(このメディアイメージには今も新鮮に怒っていますとも)


私の母はそれはもう見事なカーリーヘアで、
「パーマかけてないの?!」と人から驚かれるような天然パーマ。

ちなみに祖母も曽祖母もくるくるの髪の毛をしていた。先祖代々カーリーヘアである。

俺が末代ってわけ、ふふ。


母は長年の癖毛ユーザーなりに、
突然の癖毛出現に悩む思春期の娘の気持ちはよくわかったらしい。
縮毛矯正代も快く出してくれた。感謝しています。

でも今から15年以上前の縮毛矯正。
臭いし高いし、いかにも縮毛矯正!という仕上がりになるヤツでした。
いかにも!まっすぐでござい!とビックリマークがついてそうな仕上がり。伝わらなさそう。
現在の技術の縮毛矯正だとどうだかはわからん。
改善してそう。

「あの子縮毛矯正だよね」と囁かれてるのが聞こえて、幼めの中学生だった私は、ただただ相手を睨んで何も言えなかったこともある。幼いねえ。


縮毛矯正しようとも新たに生えてくる毛は縮れているので、髪が伸びてくるとふわっからのザンッ(直)な謎のシルエットになる。嫌~!

試しに縮毛矯正はやめてストパーにしてみたら秒で効果がなくなった。辛!

段々とこの繰り返しが嫌になってきて、
中学2年か3年生の頃には縮毛矯正もストパーもやめた覚えがあります。どうせ結ぶし。


ところで私が通っていたのは私立の都内中高一貫の歴史長めの学校。校則は厳しめ。
靴下は指定、スカートは膝が隠れる丈、肩についたら髪は結ぶこと。エトセトラエトセトラ。

日々校則やぶりイタチごっこを開催している同期たちとは異なり、逆張り天邪鬼人間だったのでスカート丈等の校則に対して不満はなかった。そこにはね。

そんな古風な学校故に当時は「頭髪届」なる悪習もありまして。今もあるのかなあ。

元々の髪色が赤っぽいですよ、癖毛ですよ、
染めてるわけじゃないですよ、パーマをかけているわけではないですよ、ということを保護者に印をもらって学校に申請する「届け」である。


これ、縮毛矯正で髪をストレートに偽っていたころには必要とされなかった「届け」である。

校則の基本理念「学生らしいありのままの姿で勉学に励め」みたいなおためごかしはどこにいったのか。私の偽りの姿のが正しい姿なのか。
む、むかつく~!!!!!!(新鮮な怒り2nd)


今なら「いくら私立校とはいえこんなん憲法違反なのでは!!!!!!」って大暴れしてSNSに書いて好意的な意見も反対意見ももらいつつ「いやそもそも私立行かなきゃ良いじゃんw」と掲示板に晒されて特定されて人生若干詰んでた可能性があるので15年前で良かったね。
というか当時の学校ではそれこそ携帯持ってきたら没収だったわ。ウケる。助かった。


母も昔々学生時代に同じ類いの「届け」を書いていたそうなので(昭和の九州の高校の話である)、
私立学校というのは時が止まっている可能性がある。こわ。

これ関連でいうと、2019年に頭髪届(地毛証明書)に関するムーブメント、ありました。

某ヘアケアブランドが広告大賞に輝いていました。

ただその広告も、「癖毛」に対する記述はなく、
「髪色」に関してのみなことに2019年の私は引っ掛かりを覚えまして。

「私の頃と違って髪が曲がってようが頭髪届は求められないということ?」とも思いつつ、
「このヘアケアブランドがヘアケア結果で謳う理想的な髪の仕上がりがどうしたって直毛だから癖毛に関する頭髪届には触れないでおこうということなのでは…」と盛大に疑い、拗ねました。

かのブランドの理想の髪の話は、私の髪の話はしてないって今なら境界引けるけど当時はまだ引けなかった。しゃあなし。

いや~無限に出てくる恨み節。拗らせてる。


高校を卒業してからの私は「癖毛を活かす」方向にシフトしました。

「癖毛を活かす」方向の大先輩の母の教えを受けてヘアセットすると、母ほどではないけれどそこそこきれいなカーリーヘアに。

「パーマかけてないの?!」なんて、かつての母みたいに驚かれたりもしました。

オレンジに染めたスーパーロングのカーリーヘア、我ながらおとぎ話みたいで可愛かったと今でも思います。

ちなみに母の教えは「濡らしてカールの毛束を作ってからこのジェルでセットする」
「決してブラッシングしてはならない(毛束がほどけて広がるから)」
「染めた方がカールが可視化されて映える」といった感じ。
最近になって日本にも情報が入ってきたカーリーガールメソッドと通じるポイントがあるので長年の個人の気づきはすごいなあ。自己研究の賜物…。


そんな一見「くせ毛」を受け入れ活用して仲良くお付き合いして過ごした先の今なはず。

でも書いてみると今尚こんなに拗らせているのはなぜなのか。わからん。
オチを決めずに書きだしたので大変焦ってるけどわからない。

ただ、今の自分が「癖毛を活かさない方向の」髪型を気に入っていることによるある種の引け目があるのかもしれないなあ、とは思っていて。


そう、耳より上のベリーショートにしたらほぼ癖が発現しなくなりまして…!
ブリーチしてからはさらにその傾向が強くなりました。
くせ毛、今ここにおらん。別れたっぽい。SNSはギリ繋がってる感じの距離感。


私がショートカットにしているのもブリーチしているのも、ファッションとして
「頭身を上げたい」「モードに見せたい」「ロマンティックなテイストがより似合うようにしたい」といった目的ありきの選択ではあるものの、
今やくせ毛と別れたいのも理由の一つに少なからずある、
そしてどこかでくせ毛の自分とお付き合いできてないこと引け目に感じてる〜〜〜!
ありのままのくせ毛ちゃん振るの〜?って。


そういう拗らせなんだわコレ。なるほどね。


思春期に肯定できなかったくせ毛への肯定を自分に一生求め続けてるってコト、なるほどこれがコンプレックス。




………………でもねでもね、最近気付いたでしょうkちゃん。

ベリーショートでブリーチヘアがお気に入りなのもこの「くせ毛」コミコミの毛質によるところも大きいんじゃないかって。

細くて柔らかい毛はいくら短くしても綺麗に頭に沿うし、刈り上げが伸びてもトゲトゲしないし、一度のブリーチでかなり色が抜ける。もうびっくりするぐらい抜ける。


コレって私の髪の特徴、現在進行形で活かしてるってコトになるし、引け目もコンプレックスも持ち続ける必要、全然ないんじゃない?

どない?
くせ毛、これほぼ今カノカウントになるんじゃない?





………………持ち帰って検討いたしま〜す



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