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\自分の生い立ち/
おはこんばんにちは!
ななです。
前回の自己紹介であまり触れなかった部分を紹介します!
耳の聞こえない両親から私が生まれました。
家族みんな耳が聞こえません。
なので、生まれた時から音のない世界に生きてきました。
聾学校の幼稚部(いわゆる幼稚園)に入るまでは家の近くの保育園に通っていました。その時のコミュニケーションはどのようにしていたのか覚えていないのですが、母いわく基本的には先生と一緒にいて上手く友達と一緒に遊んだりしていたようです。
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聾学校の幼稚部に通い始めると、発音の練習や物や動物の名前などを覚えることを中心に学んでいきます。幼稚部時代はとにかく発音の練習に一番時間をかけていたように思います。そういうところから聾学校生活がスタートし、中学まで札幌聾学校へ、高校は北海道で唯一高等部と専攻科がある北海道高等聾学校に通いました。
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高校まではずっと聾学校だったので、特にコミュニケーションに困ることもなく、基本的に手話と口話で過ごしていました。
大学では初めて聾学校ではない普通の大学に進学したのですが、そこで友達も知り合いもいないゼロの状況でこれからの4年間大学生活を送ることに対して、ただただ不安しかなかったのをよく覚えています。自分の周りに知っている人や友達はいない、同じ学部の人たちはもういくつかグループができていたり、友達と一緒に行動していたので、最初の2ヶ月くらいは1人で過ごしていました。そんな時、たまたま同じ学部に両親が聞こえないけど自分は健聴(通称 コーダ)だという人がいることを知り、向こうも自分のことを気にかけてくれて同じ授業の時は近くの席に座って手話でこっそりお喋りしたりしていました。
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私が通っていた大学では【情報保障】というものがあり、先輩や他の学部の人達がノートテイクやパソコンテイクで授業の内容や先生の言っていることを筆談やパソコンで文字起こしをしてくれていたので授業についていけないということはありませんでした。
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先程言ったコーダの友達が学校生活の中で私とよく関わるようになってからは、周りの同期に私がどういうタイプのろう者なのかを伝えてくれていたことをあとから知りました。それまでは同期のみんなは「ろう者=手話がないとコミュニケーションが取れない」と思っていたため、私に対してコミュニケーションの壁を感じていました。そこをコーダの友達が「ななは口話でもゆっくりはっきり話したら手話が使えなくてもちゃんと伝わるし、それで伝わらなかったら筆談をすればいいし、色んな方法でコミュニケーションは取れる」ということを色んなタイミングで色んな同期に伝えていたようでした。
そのおかげで少しずつ友達が増え、私からもどこまで出来てどこから出来ないからサポートをお願いしたいと周りの同期に伝えることが出来るようになったことで最終的にはすごく楽しい大学生活を送ることが出来ました。友達の中には声なしでも手話で話せるレベルまで行った友達もいて、その人は今私が通っていた札幌聾学校の先生をやっています。
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高校までの環境と大学の環境は大きく変わりました。
聾学校にいた時は何も考えずに当たり前に手話と口話でコミュニケーションに困らない、学校の先生もろう者に理解がある、友達もみんな幼稚部からの幼なじみという世界で過ごしてきました。
大学でろう者に対する理解が全員あるかどうか分からない、友達や知り合いもいない、手話が使えず口話しかない世界の中に入った時、自分がどうしたら上手く過ごしていけるのか?を考える大きなきっかけになりました。
待っていても、周りはどう対応していいか分からず自分と周りで壁ができてしまいます。そこを自分からアクションを起こす必要があると感じました。自分には何が出来て何が出来ない、どういうサポートが欲しいのかを周りに発信して行くことで周りの人達の理解も深まるし、私に対してのコミュニケーションも取りやすくなる、私自身も過ごしやすくなる。それが大学生活の中で学んだことでした。
そのためにも自分の障害について、しっかり言語化出来ることが大事だなと改めて思いました。
めっちゃくちゃ長くなってしまいましたが、ここまで見ていただき、ありがとうございました!
次はもう少しラフな内容にしようと思います😊
次回をお楽しみに〜!
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