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おばあちゃんが死んだ

前の水曜日、母方のおばあちゃんが死んだ。

享年89才、死因は老衰だ。

おじいちゃんはもう66歳くらいで死んでいるので、20年以上一人で暮らし、ここ数年は老人ホームに入っていた。コロナになってからは面会制限などあり、全然会えなかった。でも骨折、がん、肺炎も乗り越えて、最後は老衰でモノを飲み込めなくなり、自宅で看取り介護をする事になった。

丁度よくと言っていいのか疑問だが、イギリスで暮らしているおじさん(おばあちゃんから見ると長男)が夏休みで帰ってきており、おばあちゃん宅で介護をすることになった。

私は仕事を在宅に切り替え、最後の1週間はたまに仕事で家を空けながらも一緒に看取った。

一度熱が出たが回復して持ち直した。まだ免疫機能が動いていて生命力ってすごいなと思った。ゆっくり脈が飛ぶようになり、最後は長女、次女、長男に看取られながら水曜日の昼に息を引き取った。私は仕事で外に出ていた。

事故でも病気でもなく、ゆっくりと家族に看取られながら死んで行くおばあちゃんをみていた。大往生だけあって、死んだ日は誰も泣かなかった。もともと悲しみを表に出さない一家なので、お疲れ様、と言った感じだった。

そのあとは家族葬で通夜葬式を進めた。さすがに最後のお別れで棺に花を入れる時はみんな泣いていた。そして週末にはおばあちゃんのいない世界になった。

子供の頃とは違い人は死ぬと理解しているので、また急逝でもなかったので悲しみに暮れることはなかった。おじいちゃんが死んだ時は泣きすぎて葬式をリタイアしてトイレに篭っていたらしいが。

おばあちゃんには、仕事で忙しい父母の代わりによくうちの家で家事代行をしてもらっていた。私が保育園から小学生位だ。放課後にクレープをたくさん食べたくて財布からお金を盗んだこともある。友達と喧嘩してボコボコにしてその子の親が家に怒鳴り込んできたこともある。その度におばあちゃんは母のように私を諭してくれた。私の少ない良心を育んだのは母ではなくおばあちゃんだった。

今私は先週までと同じ私だし、同じ生活を送っているが、おばあちゃんはもういない。悲しさは既にないが、不思議な感じがする。いや、、、もしかしたら悲しく寂しいのかもしれない。トイレに篭ってもどうしようもないと理解しているからこそ、悲しみが溢れないのかも。

私も今年32歳になって、周りの親戚が寿命を迎える時期なんだと思う。おばあちゃんが教えてくれた事は忘れずに私も大往生にむけて頑張って行こうと思う。


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