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『またね』の残像

はじめに

私が敬愛してやまない踊り子さん、音ね風花さんが2024年9頭の千秋楽をもって休業に入られました。

5週に渡る休業ツアーが始まったときから出されていた休業作『またね』について、初めて拝見したときから色々なことを感じ、考え、SNSでも少し発信してきたのですが、ここらで忘備録を兼ねてエッセイ風に纏めてみても良いかなと思ってnoteを開設しました。エッセイ風といっても、ほぼオタクの自分語りですが。

もちろん多くの風花さんファン、ストリップファンにも共有したいという気持ちもあってnoteで公開するのですが、ここで書くことにはネタバレ、もとい私の個人的な考察が多く含まれています。人によっては「そういうことは風花さんご本人から聞きたかった」と感じることもあるかもしれません。その点はご注意願います。

また当然ですが、この内容は私が今まで見聞きしたことから感じたことであって、風花さんの考え、想いとは違います。これは強調しておきますね。

もしご本人が読むことがあったらご機嫌を損ねる内容になっているかもしれませんが、まぁしばらくお会いしないからいっか(笑)。


ありがとう

「埃ちゃんありがとう」

9月10日4回目公演の最終ステージ。このステージに足を運ぶことが叶わなかった人は、公演後の風花さんのSNS投稿に埃さんへの感謝の言葉があることを不思議に思ったのではないだろうか。

でも、あの日の終演後の挨拶に居合わせた人は、その意味するところがすぐに理解できたと思う。なぜなら風花さんから衝撃的な言葉を聴いていたからだ。

「今日は埃ちゃんとステージに立っていた」

埃さん

風花さんのことを最近知ったという方も読まれるかもしれないので念のために記しておく。

「埃」さんは風花さんのデビュー当時の名前である。長く応援している人は、当時のキャッチコピー「やがて誇りになるように」は記憶によく残っていると思う。

2018年11月26日にDX歌舞伎町でデビュー。しかし僅か半年後にDX歌舞伎町が閉館してしまう。その後は今に至るまでDX東寺に所属している。

その影響もあったのでしょう、ご自身も口にされていたように埃さん時代はステージに立つ機会に恵まれていなかった。

そうした状況を変えようと、デビューから約3年後の2022年1月26日に「音ね風花」さんに改名し、合わせて色々な環境も変えて現在に至っている。

勘違い

「埃ちゃんが叶えることが出来なかったステージに、
今日埃ちゃんと一緒に立てて嬉しい」

この言葉にある通り、あの日私たちは奇跡を観ていたのだと思う。そう信じるに足る空気があのステージには、あった。

でもこの言葉を聴いたとき、私がずっと勘違いをしていたことにも気が付いた。風花さんは埃さんをまるで別人格のように語っていたからだ。

私はずっと、埃さんが音ね風花さんに改名したのだと思っていた。いや、これは決して間違いではない。

でも風花さんの心の中ではどうも違ったようなのだ。おそらく「埃姐さんはずっと前に引退している踊り子さん」と思っておられるのだろうと、今は想像している。

覚悟

改めて振り返ると、思い当たる節はあった。実は風花さんに改名してから1年間は、埃さんの演目を封印していた。

埃さんの演目は、休業ツアーで一緒に出していた『キャベツ』に見られるように個性的な演目、ご本人いわく「クセツヨ演目」であった。
いっぽうで改名後は苦手にしていたダンスに挑戦し、いわゆる「スタンダード演目」を中心に演じていた。

埃さんの時代も『マッスル』や『ロープアートコントーション』など強烈な個性をもつ人気の演目があった。だから改名後もたくさんの人から埃さん演目を出してほしいという要望があったことを耳にしていたし、生意気にも私も口にした記憶がある。でも風花さんはこうした要望に応えることは、なかった。

封印を解いたのは2023年の1頭の公演。私はずっと待ち望んでいた埃さん演目を拝見することができたことを素直に喜んだ。久しぶりに『ロープアートコントーション』を観たときに感じた心の高まりはいまでも忘れられない。

でも風花さんは度々このようなことを口にしていた。
「前と同じ気持ちで演れない」
「前と違う解釈をして出している」

この言葉が意図するところは私には解らない。でも休業前の言葉を聴いて確信した。風花さんは、改名してからずっと埃さんのイメージを振り払おうと必死だったのだと。

改名は心機一転、あるいは大人の事情のように考えていたけど、どうも違ったようだ。

「埃」を引退して、新しく「音ね風花」になる。

これが改名した時に風花さんが胸に抱いた覚悟だったのではないだろうか。

前置きが長くなったが、この記事の目的である『またね』の考察を書き始めよう。

私はスト界屈指だと思っている風花さんの美しいポーズに魅せられてきたファンである。また演目数こそ少ないが、空中演目にもとても魅力を感じている。

しかし『またね』を初めて拝見したときは、これとは全く異なる感動を覚えた。それはいままでの風花さんのステージで観たことがない素晴らしいダンスを目撃したからだ。

風花さんは自身のダンススキルに対するコンプレックスを度々口にしていた。しかし『またね』を演じる風花さんは、指先、視線、表情はもちろん、衣装の袖や裾にまで意思を込めて舞っていることが素人の私でも感じられた。そしていままでに観たことがない流れるような舞は、並々ならぬ努力を重ねた成果であることは明らかだった。

勲章

そしてその努力は、すぐに身体の変化として現れた。それは私が踊り子の勲章と信じてやまない足の裏の「踊りだこ」である。

私は、踊り子さんが最後まで靴を脱ぐことがないとちょっとした落胆を覚える程度に、足裏に対する「癖」をもっている。たくさんの踊り子さんの足裏を拝見した経験から、ダンスを得意とする踊り子さんには親指の第一関節と母指球に踊りだこがあるという共通点を見つけ出していた。その踊りだこを風花さんの足裏に初めて見つけたのである。

すでに書いたように風花さんは、埃さんを引退してからずっとその殻を破って新しい踊り子になろうと努力を重ねていた。そして休業ツアーで、ついに流れるような舞を身に着けたのである。

そう考えると『またね』で私たちが目撃したのは、踊り子「音ね風花」が完成する瞬間だったのかもしれない。

風花さんもSNSで楽前を振り返って「いつが最後でも良いって思えるステージ」を感じたと呟いている。それは長期に渡って重ねた努力が実り、埃さんのイメージを払拭できた感触を得たからではないだろうか。

そして、だからこそ最後に埃さんと一緒にステージに立つことが出来たのだと、いまは信じたい。

差し替え

実は休業ツアーが始まった当初から、ずっと埃さんの気配を感じていた。

『またね』は4曲から構成されている。そしてそれぞれが独立したメッセージをもつ4部作になっていると感じていて、その時間軸は現在から過去へと遡るように流れているように感じていた。

この発想に至ったのは、あまり知られていないであろうある理由がある。
実は多くの人が目にしたであろう『またね』と、ごく初期に拝見することができた『またね』との間には、微妙な変化があった。

それは写真を撮る時間に掛ける、いわゆるポラ曲である。

7月23日に聴いたその曲は、私は初めて聴くものだったが、埃さんがデビューした当初に使っていたポラ曲だと教えてもらった。とても静かでゆったりとした曲だったけれど、お客さんから「お別れ会っぽい」という声があって、いつものポラ曲に差し替えたと聞いている。

変えてしまったとはいえ、一度はこの曲を選んだのは『またね』に埃さんへの想いが込められていたのは間違いないだろう。

別れと愛と感謝

それを確信したのは7結の途中から9結の最後まで出されていたのが『キャベツ』だったからだ。

私も詳しくは存じ上げないが、デビュー当時の埃さんにはプロデューサーのような方がおられたようで、しばらくはプロデュースされた演目を出されていたようだ。その後に色々あって、埃さんが初めてご自身で作られた演目が『キャベツ』だと教えてもらった。

「私が私らしく居られるのは、あなたがいるから」

『キャベツ』の立ち上がりは、美しい旋律と共に別れを選んだ人への愛と感謝を歌う曲だ。演目を作った当時は、埃さんのデビューを支えてくれた人たちへのメッセージが込められていたのだろう。

そして休業ツアーで『キャベツ』を出し続けたのは、今の風花さんファンへのメッセージなのだろうと思っていた。もちろん、今でもこれも間違いではないと思っている。でも、楽日の風花さんの言葉を聴いた今では、別の意味も感じている。

それは風花さんから埃さんへの、別れと愛と感謝のメッセージである。

引き継がれるもの

『またね』の考察に戻ろう。

以上のように考えると前述した初期の解釈、すなわち『またね』の構成は「現在から過去へ遡る」という考察を改めなくてはいけない。それは『またね』の1曲目に「引退した踊り子さんへのメッセージ」を感じていたからだ。

私は休業ツアー中に『またね』の感想を書いて風花さんにお渡ししているが、そこでは次のように記していた。

1曲目。(略)それと「私だけ生きててごめんと言ったならあなたは怒るかしら」にある「あなた」はストを卒業していった仲間たちで、この困難が踊り子さん全員のリアルであることを表しているように思います(略)

私の感想より

いま、この「あなた」はまごうことなく「埃さん」だと気が付いたのである。

続くメッセージはこうだ。
「貰ったネックレスとイアリング、今日も付けて歌うのよ」
「あなたから教わった大好きな曲ももう弾けないけれど、それでも私には声がある。だから歌い続けるの」

もはや埃さんと同じように演じることは出来ない、でもこれからもずっと埃さんの演目を大切に踊っていく。

『またね』にはその決意が込められているように思うのである。

卒業

思わぬ長文になったが結論に移ろう。ここまでの考察、そして楽日の風花さんの言葉を思い起こして、今ひとつの結論にたどり着いている。

千秋楽のステージは、埃さんの卒業ステージであった。

風花さんは、ずっと埃さんの引退の花道を飾れなかったことを心残りにしていたのだろう。努力を続けて芸を磨いてきた風花さんは、埃さんのイメージから自立することに成功し、なおかつ埃さんの演目を風花さんなりに継承できたことを確信して、最後のステージを埃さんのために捧げたのではないだろうか。

エピローグ

あの日、晃生ショー劇場に駆け付けたファンの何人かは、埃さんの周年Tシャツを着ていた。私よりもずっと前から応援していたセンパイである。もしかしたらすでに同じ結論にたどり着いていたのかもしれない。

その姿を見つけた時の埃さんの笑顔を、私はずっと忘れないだろう。


あとがき的な何か

ここからは、私的な雑感です。

休業ツアーの5週間。しかも風花さんが毎年苦しんでいらした苦手な真夏の5週間です。今思い返しても風花さんから「一流の踊り子さんの矜持」を感じずにはいられません。
すでにボロボロになっていた身体に鞭打ち、その先に休業が決まっていたにもかかわらず更なる高みに至るための努力を、最後までやり遂げた。並々ならぬ胆力です。
またツアー中に惜しくも閉館となってしまったライブシアター栗橋で、色々なメディアのインタビューに応じていらっしゃった姿を『またね』に重ねた人は沢山いらっしゃったでしょう。
9月1日、台風の影響で交通機関が混乱するなか、ちゃんと開演までに移動を終えたことも凄かったですね。

私が初めて『またね』を拝見したのは7月23日。そのときに感じた衝撃はとても強く、私にすぐさまあることにチャレンジする勇気をくれました。
時間や自分の能力的に難しいチャレンジではありましたが、おかげさまで休業ツアーの間に、私もスト客としてひとつ成長できたように思えています。
もし、この文章を風花さんが読まれるならば、その決断を下せたのは『またね』を舞う姿を拝見したからだと、お伝えしたいです。

もうひとつ想い出を。初めて『またね』を拝見した日、私は最初に埃さんにお会いしたときに撮らせていただいたポラを持参して、そして風花さんにお見せして同じポーズをリクエストしました。
期せずして埃さんと風花さんを繋ぐ写真をそろえることができたことに、いまちょっとした奇跡を感じています。
風花さんも「エモいねw」と言ってくれた2枚の写真は、今はアルバムに並べて入れています。

楽日からまだ数日。風花さんが休業されているという実感もありませんが、何度も再開の約束をしたので、このまま変わらずにその日まで過ごせるのではないかと思っています。
そして再開する日まで、ラストステージで拝見した風花さんの後ろ姿を覚えていようと思っています。

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