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今一番思っている僕の課題意識を書きました

日々いろんなコラムやコンテンツ、人との対話からイシューってなんだろうと考え続けている。

そんな中でやっぱりこれだなぁと思うものを超シンプルに書いてみました。

多くの問題は対話不足でありコンテキストの共有不足ではないか?

教育もビジネスもジェンダー論も「コンテキスト」が共有されず「テキスト」ばかりの共有をされる社会のあり方に問題があり、つまりは議論ばかりで、個々の内側にあるコンテキストが近くの人と共有されていないことに問題があるのではないかと思う。

他のコミュニティの普通が他のコミュニティを侵食している

もっと言えば、閉鎖的なコミュニティ内で共有されていたとしても、SNSにより繋がりすぎてしまったこのご時世、「普通」という言葉により語れられる事柄が、今までは見てこなかった違うコミュニティにも侵食され、そのコミュニティに他のコミュニティの普通が侵食し、今まで共有されていたコンテキストが共有されなくなっているのではないかと思う。

今のTwitterはまさしくそれになっていると思う。

僕が中学生の頃、Twitterはおのおのの好きなことや、日常やまっすぐな意見を表明する場であったように思うし、自然とハッシュタグを通じたコミュニティが生まれており、侵食しあうようなことや炎上もあまりなかったように思う。

しかしながら今のTwitterはコミュニティ同士が侵食しあいすぎている。この侵食が対話的であればいいし、もっとコンテキストが交わればいいのであるが、今は「普通」という強迫観念による侵食が多い。

どんな未来を描きたいのか?

これから迎える未来はどうなるのか?いやどうしたいのか?

個人としては、強迫観念ではない、一人一人の内側の声つまりはコンテキストが生まれる未来を創造したいと思う。

抑圧された個性や妨げられる可能性があることは許せないと僕は思うからだ。

未来のために今できることは「語ること」である

そんなことを思った時に今できる未来のためにできること。

それは「語ること」だと思う。それは理路整然と話すことだけではない。

むしろ自分の内側にあることをしっかりと日々「語る」ことで、自覚し、また周囲と共有すること。

「まとまらない声」を「まとまらないまま」しっかりと周囲に届けること。

それがコンテキストの共有であり、それは循環を呼ぶように、周囲からも共有され、他のコミュニティから生まれた「普通」という概念を撃ち壊す強さである。

だからこそ、僕は一人一人の想いの集合体としてのコミュニティを形成したいし、そこから生まれる勇気に基づいたアクションを支援していきたい。

そんなことを思った次第です。

明日からも日々のめり込んで楽しんでいこう。


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高橋 奎  
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