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故人を偲ぶ。
こんばんは、けいやんです。
先日、父方の祖母が亡くなりました。83歳でした。
かなりプライベートな話なので、記事にするかどうか迷いましたが、本当に色々なことを考え、学んだ数日間だったので、この記事に残しておきたいと思います。
この記事を読んでくれたあなたが、『また明日も頑張ろう』と思えますように。
突然の出来事
とある平日の昼間、通い慣れたカフェにて本を読んでいた。
そんな時、ふと携帯を見ると、父から連絡が入っていた。
『母(私からみたら祖母)が亡くなったらしい。詳細は後で連絡する。』
いきなりだった。本当にいきなりだった。
大した病気もなく、とても元気な人だった。
家のことはもちろん、数年前に体を痛めてしまった祖父の分まで、とにかくシャンシャンと動き回る人だった。
後から聞いた話だが、亡くなった日の2日前にいとこが会いに行っていたらしく、その時は、重い荷物を平気な顔して運んでいた、とのことだった。
死因は『大動脈解離』。叔父がそばに駆けつけていたため、一人ではなかったようだが、さぞ苦しかっただろう。一瞬だったらしい。もちろん、どうしようもない。
そんな祖母が、亡くなった?嘘だろ?と思った。
いつものカフェのいつもの席で、自分の鼓動が早くなっていくのを感じた。
『非常事態に陥ったとき、やけに冷静になる』というのが、私の特徴の一つなのだが、その一報が届いてからしばらくは、なかなか落ち着くことができなかった。
そこから数日間は、とにかく忙しかった。
親族はかなり多く、人手はあるのだが、何せいきなり過ぎてショックが大き過ぎた。それに加え、私の親世代からしても、諸手続きが初めてのことだったので、スムーズに進めることは難しかった。
皆、悲しい想いを胸に秘めたまま、忙しなくしていた。
話には聞いていたが、どうやら『悲しむ暇もない』というのは本当のことだった。
『アメリカに連れて行ってくれ。』
年末年始とお盆休みは、毎年必ずと言っていいほど、会いに行っていた。
親戚一同集まって、ご飯を食べて、お年玉をあげたりもらったり、冬には餅つきもした。夕方ごろに集合写真を撮るのが決まりになっていた。
ここ数年、祖母に会うたびに、こんなことを言われていた。
『アメリカに連れて行ってくれ。』
祖母は若い頃、かなり優秀な会社員だったらしく、国内出張はもちろん、会社の慰安旅行などで海外によく行っていたらしい。昔の写真を見たことがあるのだが、とてもおしゃれにジャケットを着こなしている、綺麗な女性だった。
ある時から、祖母と電話をするようになった。4年前くらいからだろうか。
当時の話をしてくれる祖母は、いつも本当に楽しそうだった。
そんな祖母でも、アメリカにだけは行ったことがなかったのだ。
だから、けいやんが先にアメリカに行って、空港で出迎えてくれ。
若い頃の私にできなかったことだから、けいやんには叶えてほしい。
そんな風に、願いを託してくれていたのだ。
私は、地元の大学を卒業後、就職のために上京した。今年の夏に仕事を辞め、地元に帰ってきていたので、『これからは定期的に会えるな』『地元で仕事頑張って、美味しいご飯でも連れて行ってあげよう』『やっと恩返しができる』と思っていた矢先の出来事だった。
誰かに対して、『いつか叶えてあげよう』なんていう願いは、ないほうがいいのかもしれない。
もしそう願うのなら、今、やれよ。
当時の自分に言ってやりたい。悔しくなって、思わず一人で泣いてしまった。
『ばあちゃん、アメリカ連れて行ってあげられなくてごめんな。
地元帰ってきてから、ご飯行こうって言ってくれてたのに、行けなくてごめんな。
高校入学の時、大きなフランスベッドとG-SHOCKの腕時計を買ってくれてありがとう。大学入学の時は、パソコンを買ってくれてありがとう。可愛い車も譲ってくれてありがとう。お年玉だってたくさんもらったし、ご飯だっていっぱい食べさせてもらった。電話も沢山かけてくれたのに、全部全部、返せなくてごめんな。』
『もらった分、もっとしっかり頑張るよ。もう直接話すことはできないけれど、それでも頑張るよ。頑張りたいから。見ててな。』
亡くなった祖母の顔を見ながら、ここ数日は、そんなことをずっと考えていた。
芯のある人は、かっこいい。
祖母をはじめとして、私たちの祖父母世代の人たちを見ていて、思うことがある。
なぜ彼らは、あんなにも自分の中に太くて大きい1本の芯があるのだろうか?
理由はいろいろあると思うが、大きく分けて2つだと思う。
戦争時代や貧しい時代を生き抜いた経験があるから。
歳を重ねるにつれ、より強固に自身の価値観が形成されてきたから。
私たちの世代や、親の世代というのは、正直言って、祖父母世代が経験したほどの苦しい経験をしていないと思う。技術の進歩に助けられてきた部分が、少なからずあるからだ。
今回の一件で、祖母との記憶をたくさん思い返した。
私の記憶の中の祖母は、いつでも一貫している、強い意志のようなものを持っていたように思う。頑固で物言いが強くて、叱られたことも何度もあったが、それだけ愛情をくれた。いつでもかっこよかった。そんな人になりたいと心の底から思う。
私が生まれた頃から20年以上にわたり、彼女は『陶芸』に取り組んでいた。
祖父母の家には、何百もの陶器が飾られていて、どれも美しいものばかりだった。
『これだけのものを作るのに、一体どれだけの時間がかかったのだろうか?』
そう考えさせられるほど、彼女の工房は綺麗で、少し不気味な異質を放っていた。
上京する前に家を訪れた時、『なんでも好きなものあげるから、選んで持って帰りな!』と言ってくれた。自分が気に入った陶器をいくつかもらって、東京にも持っていった。もちろん今でも大切に使っている。
お通夜の日。祖母が作ってくれたコーヒーカップでコーヒーを飲んだ。
その時のコーヒーの味はわからなかったけど、そのコーヒーカップをくれた時の祖母の表情を思い出すことができた。優しい顔をして笑っていた。
『優しい言葉のひとつも、かけてやれなかった。』
告別式の時、夫である祖父が、来場者の前でスピーチをしていた。
その時の言葉で、頭から離れないものがある。
『優しい言葉のひとつも、かけてやれなかった。』という言葉だ。
祖父は、私から見ても本当にすごい人だと思っている。多くの人に影響を与えてきた祖父は、間違いなく人格者だ。
そんな彼が『もっと普段から、妻に感謝の気持ちを伝えておけばよかった』と、後悔の念を見せたのだ。それを聞いた時、感極まってしまった。
祖父は数年前、事故にあってしまい、それ以降体を悪くしてしまった。
お医者さんからは、一生車椅子生活かもしれない、と言われていたが、リハビリを頑張って、なんとか自分で杖を持って歩けるまでになった。
『そんな状態になってしまった私を、妻はとにかく懸命に支えてくれた。文句の一つも口にせず、私のために尽力してくれた。結婚してから63年間、わがままもたくさん聞いてくれた。感謝しかない。』と言っていた。
改めて、『いつ別れがやって来るかはわからない』ということを実感した。
もっと感謝を伝えよう。目の前の、今、できることをやろう。後悔のないように。
ちゃんと生きよう。
祖母が火葬場で焼かれた後、全身の骨を見た。
その骨があまりにも綺麗だったから、その場にいる全員が驚いていた。
どこを見渡しても黒い部分がなく、太ももの骨なんか、とても太くて立派だった。
体は華奢だったけど、亡くなる数日前まで体を動かしまくっていたのだから、当然と言えば当然なのだが、本当に立派だった。
それらを見た時、『この人はこれまで懸命に生きてきたんだな』と感じた。
布団の中にいる時、棺桶に入っている時、あまりにも綺麗な顔をしていたから、『寝ているのでは?』と錯覚するほどだった。私よりツヤツヤした肌をしていた。
骨になって初めて、『本当にいなくなってしまった』ということを実感した。
直接会っていた時間や、言葉を交わした時間は少なかったかもしれないけれど(それでも十分過ぎるほどの想いを受け取ったが)、祖母からは本当に多くのものをもらっていた。その大切なことを、改めて思い返すことができた。
普段の生活を送っている時、多くの人は楽をしようとするから、だんだんと刺激がなくなって、何もない日常が当たり前になってくる。
正直な話、地元に帰ってきてから、頑張って色々なところに出向いたり、人に会ったりして、刺激を求める行動を繰り返していたが、少し落ち着いてきていた。
当たり前に感謝できていなかった。
当たり前なんてないんだよ、ということを知っていても、できていなかった。
もっと、ちゃんと生きよう。毎日感謝の気持ちを持って、生きていこう。
祖母のおかげで、前よりも背筋が伸びました。今まで本当にありがとう。
最後に、告別式での祖父の言葉を引用しようと思う。
『別れは突然やってきます。私もそう長くはありません。だから、みんな、今隣に座っている人や、自分の大切な人たちと、どうか、仲良くね。手を取り合って、支え合って生きていこうね。』
ばあちゃん、天国でも、どうかお元気で。
あとがき
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
すごくプライベートな話なのに、最後まで読んでくださるなんで、なかなかの物好きか、私のことを大切に想ってくれているからかな?とか思っています笑。
本当にありがとう。すごく、嬉しいです。本当に。
ちなみにですが、本記事のヘッダー画像は、祖母宅の庭にある花壇です。
写真には写っていない花々も多く、そのうちの一つに『サザンカ』という花が綺麗に咲いていました。花言葉は『ひたむきさ』『困難に打ち勝つ』だそうです。作り話か?と思うくらい、かっこいいですよね笑。
今後も執筆活動、発信活動、前向きに取り組んでいきますので、スキ&フォローまだの方はしていただけると、非常に嬉しいです!
この記事を読んでくださったあなたが、『明日からも頑張ろう』と思ってもらえたなら、こんなに嬉しいことはありません。
ではまた。