no name dollのこと。
私の作品に、no name dollという人形がいる。
手のひらに収まるくらいのサイズで、平べったい。
頭は丸く胴体は縦長の台形といった感じだろうか。鍵穴のようなシルエットにも見える。
とても単純な造形で、くびれのようなものはない。
棒のような短い手足がついている。
材質は布で、顔と胴体で切り換えられている。
顔はサンド色のゴワゴワした麻布。
胴体は地味な古布を使用しているので全体的に彩度が低い。
オバQ みたいな髪の毛が申し訳程度についていて、何とも言いがたい表情の人形だ。
“doll”なんていうとちょっと立派な感じがするけれど、no name dollはお世辞にも立派な感じはしない。
no name dollが誕生したのはちょうど2年前のこと。
先日記述した、自分の作品をぬいぐるみと呼ぶことに対してちょっとした違和感を抱き始めた頃だ。
この頃、「モノの持つ力」に心を動かされることが多く、ただ存在するだけで圧倒されるような作品を作りたいと強く感じていた。
ある日のこと。
夕暮れ時に差し掛かる少し前、かすかに西日が差し込む部屋で机に向かっていた。
後ろにある本棚に手を伸ばそうとふと振り返ったときに一体の人形が目に入った。
その人形は、いつも私の部屋にいた素朴な佇まいの、よく見知った人形のはずだった。
私はその人形のまなざしに、そこはかとない衝撃を受けた。
ぼんやりと何かを見つめている小さな人形がそこにいる。
本当にただそれだけのことだったけれど、そのまなざしに、「モノの持つ力」をとても強く感じた。
私はその力を前にして、本棚に手を伸ばすことも忘れしばらくその人形に見入っていた。
見つめあうことはなかったけれど、その瞬間私とその人形は対峙していた。
後日、新作納品の依頼をいただいたこともあり、その体験をたよりに新しい子を生み出すこととなる。
ぼんやりと頭の中でイメージはできつつあった。
サイズは大きくなくていい。
「素朴でありながら」というのも自分にとっては大切にしたいポイントだった。
ぼんやりしたイメージが形になるまではあっという間だった。
というか、ぼんやりとしたイメージさえ掴めれば割と話は早い。そこに行きつくまでがめちゃくちゃ長いのだけれど。
そんな経緯の中、no name dollは誕生した。
モノを介して自分の内なる声に気が付いたりすることがあるが、それは受け皿となるものに余裕がなければ反映されないんじゃないかと思う。
作者である私の「念」のようなものは、できる限り省いていきたい。
これは、あるところまで行き切らなければ気が付けなかった感覚だった。
名前なんていらない。
それぞれの「個」よりも、対峙する者を内包してしまえる余裕を持った人形を作りたい。
何気ない日常の中で起きたあの日の体験・あの日見たまなざしは、今でも人形を作るときには必ず思い出す。
創作活動のターニングポイントのひとつになっているno name dollは、現在No.15まで続いている。
小さな名もなき人形たち。
あの日かすかに差し込んでいた西日のような光を、あなたにもたらしてくれますように。
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