メガソーラーが炎上するたびに感じるモヤモヤ
先日、次のような記事が出ていました。ネット上では例によって「メガソーラー反対」という意見がたくさん上がっていて、炎上していました。
ただ、この記事では森林所有者の声が入っていました。「その部分が大事だよね」と思ったので、この記事を通して思ったことを書いておきます。
たしかに、山一面太陽光パネルに覆われた画像を見るとインパクトがあるので、反射的に「なんか嫌」という感想が出てくることもわかりますが、なぜ、森林所有者がこの「なんか嫌」と感じてしまうメガソーラー事業に協力することになったのか考えてみる機会になるとうれしいです。
各地で広がるメガソーラー問題
ここでは、メガソーラーそのものの是非を議論するのではなくて、メガソーラーのことが各地で取り上げられるたびに感じる「違和感」を言語化したいと思います。
「森林所有者の存在が置いてけぼりにされてる」という違和感を少しクローズアップしたいと思います。
そもそも森林は誰が管理していた?
森林を誰が保護するのか?
というと一義的には、「森林所有者のもの」であるとすると、森林所有者が面倒を見ることが必要かと思います。
ただ、ここで問題があります。
もともと里山は「第三者のために」管理されていた訳ではありません。
所有者自身の暮らしに必要だったから、ヤマに入っていました。
「里」の暮らしに必要な「山」なので、「里山」です。
決して「所有者以外のみんなのため」にヤマを管理していた訳ではなかったのです。
それが現在では生活に必要なくなり、金銭的な価値もないため放置され、固定資産税だけが毎年課税される「お荷物」になってしまっていました。
メガソーラー事業への土地の売却は、その状況を打開するべく所有者自身が選んだ結果ということです。
ただ、ここで複雑なのが、森林所有者として最適解解が、公益的な機能面からすると、第三者の視点からすると好ましくない選択になってしまっていることで問題になってしまっています。
メガソーラーに反対する人たちにとっては、管理できないことによる「不利益」がないため、メガソーラーを「つくらせない」ことはポジティブな結果になります。という目的は達成していても、森林所有者にとっての「ヤマを管理できていない」問題は解決していません。
解決すべきは、森林の所有と管理の問題
森林の活用をめぐる動向については、高度経済成長期以降、戦後の資材不足による高い木材価格を前提とした人工林化、その後はリゾート開発(別荘やホテルなど)やゴルフ場開発、など時代を追うごとに変遷してきました。
それが、近年ではFIT制度の導入によるメガソーラー開発環境がととのったことにより、メガソーラー開発に移り変わってきました。
ただ、メガソーラーによる開発は山一面がパネルに覆われるというショッキングな景観から、第三者の視点から問題視される傾向があります。
ただ、この開発を抑制するためには、そもそもの森林所有者の抱える課題を解決しない限り、かつてのゴルフ場がメガソーラーになったように、次のメガソーラーがこの先もまた侵食してくることになります。
それを防ぐには「山を管理できる仕組み」をつくるほかないと思います。
反対する人は森を管理してくれるのか?
メガソーラーに反対して、メガソーラーによる開発が抑制できたとします。
それでも、毎年やってくる固定資産税の請求書の支払いをするのはだれ?
草原を維持するための労働力を供給するのはだれ?
といった問題はなくなりません。
森林の景観を維持するためには、相応のお金や労力を投入しなければなりません。
森林所有者以外の人も、「口だけ」を出すのではなく、知恵やお金、労力などを出して、森林所有者をサポートすることが大事だと思います
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