14週目
12/3
気づいたら12月になっていた。もうオックスフォードも残すところ1週間、一分一秒が惜しい。午前中に2人カテキョ、午後はDr ジェームズとのチュートリアル。今はArt Cafeで間時間をのんびりしている。やらなくてはいけない課題は全て昨日で終わった、楽しかったオックスフォードも終わりが近づいてきている。窓の外にサンタさんの格好した人がいる、もうそんな時期なのか。冬の予定を色々考えなくては。
12/4
今日がオックスフォード最後のチュートリアルの日、全てがあっという間だった。今日は授業というよりかはCoffee chat みたいな感じでオックスフォードの所感や将来の進路、どのような人生を歩みたいのかなどの話をした。今学期、私はMrハダスに金融学を教えていただいていたが、彼は哲学の教授でもある。もちろん、これまでの授業の全てが楽しかったし、知的欲求が刺激されまくる日々だった。その上で、今日彼と話したことは間違いなく私にとって本当に大きなことやったと思うし、この2時間だけのためであってもオックスフォードに来れてよかったなと思えた。私がこのオックスフォードで過ごしてきた期間を通して向き合ってきた自分自身と思考がかなりはっきりとした気がする。実際にどのような会話だったかを記憶の限り書いてみる。
Mrハダス: あなたは私のチュートリアルのオーガナイゼーションをどのように感じた?学んだことに対して満足だった?
私: 今学期を通してあなたのもとで学べたことは本当に貴重な時間であり、私にとって大きなものであった。最初はお金というものの価値の定義から始まり、貿易、為替、関税、Monetarliy policy、Financial trilemma。どのようにして国際金融のシステムが進化してきたかを歴史的に時系列に沿って学ぶことあできたことは本当に楽しかったし、根本的にコンセプトを理解することができて本当によかった。アメリカでは、このように教授と一対一で集中的に何かのお題について徹底的に議論を行い学ぶという教育スタイルではないため、このような形の学び方があるということを知れて本当に感動した。私自身、大学に入るまでアカデミックというものに触れてこなかったため、自分自身がここまで学ぶということに対して積極的になり、好奇心を持って楽しむことができるということを発見できたことがすごく嬉しい。
Mrハダス: それは本当に良かった。そのような言葉をいただけて嬉しいよ。ここに来たことであなたの将来の目標や設計図は何か変わった?
私: 目標や設計図は大きく変わることなく、なんならよりはっきりと形が見えるようになった。自分が進む方向に対して確信を持てるようになった。いや、確信を持てるようになったというよりかは、今取り組んでいることや悩んでいること、自分が大切にしたいものなどを踏まえたうえで今努力をすることに対してどのような形であれ意味があるものであると一種の諦めと覚悟を持つことができるようになった。おそらくこれは、私が取ることのできる将来の選択肢の幅が努力を続けてきたことで広がってきたからだと思う。その上で、自身が学びたいこと、何を人生の軸としたいかということについて考え始めるきっかけとなった。
Mrハダス: 諦めを持つことができるようになったというのは面白い観点だ。人は、何かを諦めなくてはならないというものに気づくまで大いに時間がかかる、全てを手に入れたいからね。私はあなたが最初のミーティングの時に言ったことを覚えている。「常に最善を尽くし、可能な限り将来取れる選択肢を増やしておきたい。最終的に、結局選択をしないのであれ、選択肢にすらなかったということと選択をしなかったということには大きな違いがある。今努力をしなかったことで選択肢が減ってしまうことは絶対に避けたい」と。同時に、あなたは当初からかなり具体的な将来の目標を持っていたようにも感じる。あなたは金融業界でキャリアを積みたいと言っていたね。そのような具体的な目標をすでに持っている上で、なぜ選択肢を増やすために努力をしようと思うのか、なにがあなたのモチベーションであり続けているのか教えてほしい。
私: 目標というものと、選択肢というものは私にとってはほぼ同じものだ。その瞬間の私の矢印がどの選択肢にむかって傾いているかによって、それが目標となるか選択肢となるかの違いであると考えている。私にとって努力を続ける意味というものは、自身に対する期待、両親、家庭、環境に恵まれているという自覚、これまでの自分の努力を証明するため。これまでにしてきた努力が今の自分につながっていると知っているため。将来の選択肢を増やすため、18歳から30歳までの人間として最盛期のこの期間の価値を知っているため。この期間に捧げた時間、努力というものは人生の中で最もレバレッジがかかるということを知っているため。この期間の間に取り組んだことが、努力したことが私の人生を作り上げるコアの部分になると信じているため。なぜ選択肢を持ち続けるか、増やそうとするのかの話をするために、まずは根本的に。私の将来の目標の動機というものを一から話したい。長い話になる、許してほしい。中学一年生の頃、私は本気でテニスで生計を立てるプロテニスプレイヤーになると夢を見ていた。当時活躍していた錦織圭選手に憧れ、海外にテニス留学をしたいと強く願い、両親に相談をした。後から聞くと、当時の家計の状況では私を一人単身で海外に送り出すことはほぼ不可能であったそうだ。しかし、父は私に「お金が理由で子供の挑戦を諦めさせたくない」と伝えてくれ、ただのサラリーマンであった彼は不動産や株式、物販など様々な方法で資産運用を始め、私を送り出す資金を産み出してくれた。母は、右も左も分からない中、さまざまな情報を収集し、実際に私を連れて二週間ほどオーストラリアに下見をし、私がテニスを満足して取り組むことのできる環境の選定をしてくれた。二人とも、決して私の夢を否定しなかった。家族の多大なるサポートのおかげで、私は海外でテニスをするという夢を叶えることができた。しかし、残念ながら世界の壁に阻まれ、プロテニスプレイヤーになりたいという幼い私の夢は弊えた。しかし、私には父が伝えてくれた、子供の夢を、挑戦を金銭的理由で諦めさせてはいけないという言葉が、真っ直ぐ突き刺さっていた。オーストラリアから帰ってきた中学3年生の私には、金融業界で就職して、30歳になるまでに経済的余裕と社会的信用を手に入れ、いずれできるであろう私が人生を賭けて挑戦したいものに全力で取り組むことができ、私が守りたいものを守れる状態になるという新たな夢があった。これは、父の言葉と母のサポート、家族という存在、父に彼が行った資産運用に対して、お金というものに対して興味を持ったからだ。おそらく、幼い頃から何度も読んでいたロバート・キヨサキ氏の「金持ち父さんと貧乏父さん」の影響も大いにあったのだろう。とにかく、今の私が持っている目標、夢は中学3年生の時点でほぼ完成されていた。そしてそのためにアメリカの大学でビジネスを学びたいという新たな目標も同時にできていた。帰国後、プロテニスプレイヤーは諦めたものの、テニスに対するパッションは衰えていなかった。私はテニスでアメリカの大学にアスリートとしてリクルートされることを目標に、テニスに特化した高校に特待生として進学した。本当にテニスだけに取り組んでいた青春だった。しかし、高校2年生の夏、私は腰椎分離症を患い、テニスのアスリートとしてアメリカの大学に進学することは難しくなってしまった。それでも、30歳までに経済的余裕と社会的信用をという目標は変わらなかった。そのため、テニスでアメリカに行くのではなく、アカデミックで進学をすることを決意。これまでテニスに当てていた時間を全て勉強に回し、人生で一度も向き合ってこなかった机と毎日を過ごすようになった。全力で取り組んだ甲斐もあり、無事アメリカの大学に合格、しかもレベルを落としてではあるものの、テニス選手として在籍しながらビジネススクールに入学することができた。大学に入ってからはより一層キャリアのために自分の時間と精神、体力を捧げてきた。2年生の秋学期には過度な睡眠不足と拒食で病院に運ばれもしてしまった。それでも、努力をし続け、キャリアのために大学生活の全てを捧げることが私にとっての最善だと信じ続けてきた。もともとオックスフォードに来たのは、もちろん世界最高峰の大学がどのようなものなのかを体験したいというのも大いにあったが、何よりも自身のキャリアの幅を広げることが一番の目標であった。
Mr ハダス: 一旦ストップしよう。とても濃密なストーリーだね、これまでに長いこと教授としてさまざまな生徒と関わる貴重な経験をしてきたが、あなたほどずっと真っ直ぐに目標に向けて、体を壊してしまうほど努力を続け、今も尚、継続している若い人に本当に会ったことがないよ。そのうえで、私は一つ、大きく気になる点がある。前にあなたは弟の話をしてくれたね、自分とは真反対に、勉強に青春を捧げ医者の道を目指していた弟の話を。そして、彼もまた高校2年生の頃に医者という誰もが憧れる職業を目指すレールを大きく飛び出し、藝大を目指すというこれまたとんでもない進路の変更を行なっていたね。あなたのストーリーと、弟のストーリーの中で、私自身が娘を持つ親という立場からみて非常に興味深い共通点がある。それは、両親があなたたちの夢を決して否定せず、常にサポートをしていること。たとえば、あなたがプロテニスプレイヤーになるといい、海外に行きたいと夢を語る。おそらくあなたの両親は、プロテニスプレイヤーになるという夢が叶う可能性はとてつもなく低いことを知っていただろう。それでも、家計を超えた夢であっても、決して諦めさせることなくあなたの夢を追わせてあげた。あなたの弟にしてもそうだ、レールを外れることなく勉強を続けていれば間違いなく彼は医者として立派なキャリアを積み上げていったであろう。しかし、あなたの両親は彼が大きく道を変え、藝大に行きたいと夢を語った時に、それを否定することなくサポートをした。私のステレオタイプかもしれないが、親という生き物の大半は、医者という道を外れて芸術家になると子が言ったらなんとしてでも医者になりなさいと説き伏せるだろう。それだけ、あなたの両親は子供の夢というものを大切にしているように見える。子供の可能性というものを信じ、挑戦をし続けることができる環境を与えようとしている。私は、あなたの両親のことを、私自身もまた親である身として、心の底から尊敬する。そして、これは推測だが、おそらくあなたの両親は自分自身がやりたかったことや夢、挑戦したかったことを金銭的な理由で、もしくは現実的な理由で諦めてしまった過去があり、それを深く後悔した過去があるのではないのだろうか。あなたの父親はビジネスマンだと言っていたね、特に、あなたがプロテニスプレーヤーになりたいというまでは本当にただのビジネスマンだったわけだ。あなたの中に何か重ねたものがあったのではないかな。父親の愛というものは、自身の後継者を育てるということであるという言葉がある。あなたのストーリーを聞いた時に、私は真っ先にこれを思い出したよ。そして、私はあなたの父親が、夢というものを諦めずに取り組めるだけ取り組んでほしいということと、自分自身がビジネスマンとして会社のために生きてきたことを息子たちに繰り返して欲しくないという二つのメッセージを伝えたいんじゃないかなと思ったよ。いや、後半の部分に対しては私自身の経験からくる推測の部分が大きいかもしれない。前にも話したことがあったが、私がオックスフォードで教授になる前はジャーナリストとして、またファイナンシャルアナリストとして金融業界で人生の半分ほどの時間を働いてきた。その中で、私が人生の半分以上をかけて学んだ、若かった、キャリアだけしか考えていなかった私に伝えたい教訓がある。それは大切にしているもの、人、大事にしたいアイデンティ、環境。それら全ては意識をしていなければ、常にあなたのそばに置いておかなければ忘れてしまうということ。大学の頃の私は、ギリシャ語に興味があり、セカンダリーサブジェクトとして学び、大学3年生の頃には自由に読み書きすることができた。しかし、大人にならなくてはいけない時期が近づき、社会に出るための準備、就職をしてからは毎日がマーケットと睨めっこをしながら数字を転がす日々。お金を稼ぐことだけが意味となり、私は大切な何かを失っていた。私は幸運にも、教授としての新たなキャリアを人生の半ばで踏み出すことができ、今では自身の大切な何かを取り戻しながら、私が私たるものを大切にすることができている。それでも、私のアイデンティであったギリシャ語というものは昔のようなレベルまで戻すことはいまだにできていない。もちろん、私がただ勉強を怠っただけというものもあるだろうが、私があなたに伝えたいのは、お金を稼ぐということだけが生きる意味となってしまっては、あなたの本当に大切なものをどんどん失ってしまうということ。私はあなたの哲学や認知言語学に対する興味というものにとても感謝しているし、そのあなたの学問的興味を本当に大切にしてほしい。あなた自身が大切にしたい人を、家族を、友人を見失わないでほしい。だれかの親として、あなたの三倍ほど人生を歩んできた先輩として、あなたに伝えたい。あなたの父親や母親も同様に考えているだろうと信じている、あなたやあなたの弟のような素敵な息子たちを持ってあなたの両親も本当に幸せだろう。そのうえで、あなたが目指しているキャリアだけのために全てを捧げるということはあなたの両親があなたに伝えたいメッセージとは違うのではないかなと思うよ。これは一個人の意見でしかないから、そのまま受け取る必要は全くないからね。おそらくあなたの両親は、そして私も、あなたの精神や身体の全てを捧げてまでキャリアというものを遂行し続けようとすることに対して支えはすれど、それを望むことは決してない。あなたが言っていたように、18歳から30歳までの期間というものは、人生において本当に意味のある時期だ。あなたのように努力を、心身を捧げてキャリアを築き上げていくことも一つの選択だろう。そのうえで、私はあなたの大切なものというものを忘れないでほしい。
私: まさに、私がオックスフォードに来てもっとも変わったのは、私の夢と目標に対する取り組み方と向き合い方であると思う。いや、これまでも変わり続けていたが、ここで、自分と向き合う時間が豊富にあったことで思考がはっきりとしてきたのだと思う。二年生の春学期、私はどれだけ時間を捧げて取り組んでも全く結果の出ないアカデミックと、一向に返信の帰ってくる気配のない何重ものインターンシップの応募で精神がすり減っていた。結果が出ないからこそより苛烈に、時間を、精神を身体を全て、やらなくてはいけないことやるべきことに捧げ続けた。それを続けている中で、私はどんどん疑問が頭の中で生まれてきていることを否定できなかった。なぜこれを続けなくてはいけないのか、なんのために努力をしているのか、そもそもなぜお金を稼ごうとしているのか、キャリアを築いた先に何があるのか。このままずっと努力をし続け、自身を捧げ続けた先に何を求めているのか。ずっと考えていた。具体的な答えはいまだ見つかっていない。しかし、今年の夏日本に帰ってきてから、オックスフォードに来てから、大切なものが何であるかというものを本当に考えるようになった。本当に守りたい私のアイデンティティは、私を私たらしめるものは、今私が持っているものを見失わないように、私が本当に大切なものは何か。私には大切な家族がいる、大切な友人が、大切な人がいる。私は認知言語学に興味がある、哲学に興味がある。テニスが、ピアノが、チェスが、芸術鑑賞が好きである。これらは、私の本当に大切な要素であり、本質的欲求であり、他と比べようがないものである。30歳までに社会的地位と経済的余裕を持った大人になる、これは私の社会的欲求であり、これらの欲求には必ずなんらかの形で比較対象が存在する(ここで使っている’本質的欲求’と’社会的欲求’というものは私の造語みたいなものなので悪しからず)。おそらく、この本質的欲求と社会的欲求どちらも人として幸せに生きていく上で大切なものなのであると私は考える。そして、社会的欲求に飲まれてしまい本質的欲求を蔑ろにしてしまうことは、結局その個人の幸せにつながらないのだと思う。少し話は逸れるが、例を挙げるとするならば、私の両親は本質的欲求において最大限みたされているのであると思う。家族というものは本当に特異であり、人が持つ特徴の中でも特に人を人間たらしめているものであると私は思う。確か経済や歴史、文化を家族単位で分析していた本があった気がする、非常に興味深かった。とにかく、あなたが仰った父の愛の定義、たしかエーリック・フロム氏の「The Art of Love 」で言及されていた記憶がある。同書の中で彼は母の愛についても言及していた。純粋なる母の愛とは、唯一無条件で与えられる愛であると。私は、父の愛と、母の愛というものが相互作用し、家庭というものを作り上げ、それを支え守り続けることは、人ととして幸せを感じることができる本質的欲求の一種であり、私の両親にとって家族というものが間違いなくそれに当てはまるのではないだろうかと考える。私は、これからもキャリアを諦めることはないだろうし、これからも努力を続け、心身を捧げていくだろう。その上で、私自身が本質的に大切にしているものを決して蔑ろにせず、大切な人や守るべきものたちを決して忘れることなく、可能な限り自身の目標に向かって進んでいきたいと思っている。いまだに、私は努力をし続けて、キャリアを築き上げたその後の姿を想像することができない。だからこそ、私は今努力をして将来何かをしたいと決めた際の選択肢を多くするために頑張り続ける。今学期、これまで大学生活の全てを通して努力してきたことが、目標としていた企業からのインターンシップオファーをもらうということで形とすることができた。自身の社会的欲求を満たす道のりは着実に進んでいる。その上で、本質的に私が大切にしたいものをどのようにして守っていくかを模索している。それでも目標は変わらない、いつか守るべき存在ができた時に金銭的理由で何かを諦めなくてはならないということが決してないようにすること。その言葉を責任をもって言えるようになるまで、私は頑張り続ける。それでも人は変わる。今はこう言っていても、10年後には全く違ったことを言っているかもしれないし、しているかもしれない。それでもいいのだと思う、今、大切にしているものを決して忘れることなく目標に向けて努力をし続けることが、いずれの私にとっても最善であると、今の私が信じている。だからこそ、もし私が全く違うことをしてみたいとなった時に、その選択肢が手札にないことがないように、今を努力する。
Mr ハダス: “virtue is a habit”、習慣とは美徳である。個人が繰り返してきたものがその個人をその人たらしめるものとなる。良い人で在り続けることは難しい、人は簡単に逃げる。私の友人も言っていたよ、もしいいことを習慣とすることが簡単なのであれば世の中には”善い”とされる人で溢れかえるだろうと。ビールを頼み、パイント(ジョッキ的な、ビールの単位)を飲み干す、まだ飲み足りないという欲求に抗うことは難しいだろう。健康に良くない、それでも手を伸ばしもう一杯、もう一杯と繰り返すうちに、最初にあった抵抗感は気付けば薄くなってゆく。もっとわかりやすくしよう、犯罪をすることは悪である。人がやったとは到底思えないような非人道的な犯罪だってある、しかし、彼らはいきなり非人道的な犯罪を犯したのではなく、多くの場合はどこかで彼らの枷を緩めるきっかけがあり、悪を行うことが習慣となっていたのである。人は、習慣により形作られる、人は習慣に蝕まれる。あなたには、とても強い習慣がある。継続性である。目標に向かって努力をし続ける、並大抵の精神力体力では習慣とすることのできないものである。素晴らしいものだ、間違いなくあなたの大きな強みだろう。しかし、それはある一定のレベルを超えると呪いとなってしまっている。努力をし続けるという習慣から逃れられなくなっている。あなたの言ったように、今努力をすることで将来の選択肢が増え、決断をしなくてはならない時に手札を多く持てるということは事実。しかし、前しか見えていなければ、足元の小石に気づくこともなくつまづき、二度と帰ってくることのできない深い穴に気づくこともなく落ちてしまうだろう。私は、あなたが心配である。並外れた精神力では努力を習慣とすることはできない。それはあなたの名誉だよ、その上で、自身の心身をちゃんと忘れずにいてほしい。あなたの未来は明るい、周りを大切にすることも大事なこと、その上で、まずは自分を大切にするということを忘れずにいてほしい。あなたの語った本質的欲求と社会的欲求の話は本当に興味深いものだ。残念ながら今日はこのあとすぐに講義があるためそのアイデアを議論する余地はないが、ぜひまたお話をしよう。いつでも連絡をください、あなたは私のアドレスを持っているはず、人生相談でも、勉強のことでも、哲学的アイデアでもなんでも。あなたのチューターとして教示することができたことは本当に楽しかったです。またいつか!
本当に濃密な時間やった。必ず連絡をしよう。家に帰ると彼からメールが、「Persons」というロバート・スパエマン氏による本を勧められた。読もう。キャリアのことや、努力をし続ける意味、大学卒業後の進路など、まだまだ考えることが沢山あるね、たくさん考えよう。
午後に、Drジェームズ宅で小さなお茶会があった。素敵なお茶会やった。夜には、プログラムのみんなでお別れパーティーをした。とても充実した日だった。
12/6
朝から荷造り。オックスフォードで過ごす最後の夜。荷造りって大変。New Collegeのフォーマルディナーに招待されていたので、しっかりとスーツを着てディナーに行ってきた。どれも美味しかった。帰りしなにポーターズロッジ(門番?みたいなとこ)にAssociate Member Cardを返却した、少し寂しい。お世話になったカレッジにさようならをして帰宅。荷造りの続きしなきゃ。
12/7
オックスフォード最終日。衝撃の事実、私まだイギリスでフィッシュ&チップス食べてない。食べなくちゃ。ブランチで下町にあるレストランに友達と行くことにした。現地集合。2階にある窓際の小さなテーブルに座ることにした。道を見渡すことができて良い、あいにくの雨だが。当初の目的通りフィッシュ&チップスを注文、学生割で10%オフになるそうだ。私はグリーンピース抜きにした。もしかしたらこれまでも気づいていなかっただけで他のところでも学生割りがあったのかもしれないとふと思ったが、今日が最終日もう遅い。フィッシュ&チップスは本当に期待以上でも期待以下でもなく、THE フィッシュ&チップス。チップスたちは塩で目や味付けされているのに、フィッシュは衣の中身は下味も何もなく淡白な白身魚。あとから味付けでもしてくださいと言わんばかりに机の上に備えられている塩と胡椒を使って悪あがきをした。イギリスでフィッシュ&チップスを食べるという大きな目的を達成した満足感で満腹、味はご愛嬌。友達に別れを告げ、家に戻る。ここで出会えた人たちに感謝。明日は朝が本当に早い、なんなら徹夜で行ったほうが効率が良いかもしれない。部屋の掃除がまだ終わっていないから頑張らなきゃ。
12/8
飛行機の中にいる。あっという間やったオックスフォード。本当にすてきな時間やった。ここで過ごした数ヶ月は、自身と思考と向き合うことができた本当に大切で有意義な時間だった。努力をすることが結果となって現れる環境に感謝、それを繋げることができ、道とすることができる環境に感謝。周りにいた支えてくれる人々に感謝。環境に、周りの人々に、自身が恵まれていることを自覚し、最大限それを自分のために。日本に帰ります。1ヶ月ほどゆっくりする時間がある、新しい言語でも学んでみようかな。