日本は終わってる論者はなぜ日本を出て行かないのか?
先日ネットサーフィンを楽しんでいたらこんな記事を見かけました。
私個人としては会話に命令形が使われた時点で閉口してしまうのですが、出演者の方はこの「出て行け!」にひるまずに切り替えされたようで、凄いなぁと思った次第です。
しかし伝え方はさておき、この主張自体は妥当なものに思えます。
実際、「日本が嫌なら海外に行けば良いのでは?」という台詞は、海外で職を得て生活を確立した人たちからしばしば放たれています。なおこの種の人たちは知性がありますから、主張が命令形ではなく疑問形である事を気に留めておきましょう。人間、賢くなるとなかなか断定的な物言いができなくなりますからね。
さて題目の疑問ですが、これはなかなか難しくて、筆者は長らく結論を出す事ができませんでした。人間が利己的であるならば、劣悪な環境から逃げようとするのは当然のように思えたからです。それをしないのはなぜ?というと全く見当がつきませんでした。
この疑問が氷解したのは先日以下の名作を観ていたときでした。
これは聖闘士星矢の冥王ハーデス編で主人公の青銅聖闘士たちが冥界からエリシオンへ向かおうというシーンですが、嘆きの壁がそれを阻んでいます。嘆きの壁を砕くには太陽の力、黄道十二星座を司る黄金聖闘士の力が必要です。そこで黄金聖闘士たちは自らの命と引換えに嘆きの壁を砕くこと、そして星矢たちをエリシオンへと送り出す決断をします。アテナを救うというバトンを託された星矢たちは涙ながらに黄金聖闘士に別れを告げ嘆きの壁をあとにします。
多分、人にはそれぞれ役割というか使命があると思うのです。終わっている日本は、日本の終わりを認識しそれを声にする事ができる彼らにしか救う事ができないのではないでしょうか。日本に留まり日本で働く事で、きちんと税金や社会保険料を払い、祖国に貢献する。仮に日本が終わっているとしても、それを啓蒙していく事で、またいつか復活する。ならその礎を補強しておく事には大きな意義がある。いつかバトンを託す若き世代のために。彼らは国が終わっているからと言って短絡的に逃げ出す輩にはできない事をやっているのではないでしょうか。冥界に留まり命と引換えに嘆きの壁を砕いた黄金聖闘士たちのように。
この疑問が解けたとき、筆者には、日本は終わってる論者がまるで俺たちの兄貴のように微笑んだ気がしました。
行きます。俺たちは海外に行きます。さらば熱き血潮の戦士たち。さらば黄金の愛国者たちよ。