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主夫芸人・家政アドバイザーの中村シュフさん

主夫業のかたわら、扶養控除の範囲内で芸人活動を行う主夫芸人 中村シュフさんにお話を伺いました。

中村さんは、2006年M-1グランプリ準決勝進出。家庭科の教員免許を持つ、日本唯一の”主夫芸人”です。

プロフィール
出身地 埼玉県
経歴 1979年生まれ。大学で家政学を学び、家庭科教員免許を取得。2006年 M-1グランプリで準決勝に進出するも2010年に解散。その後、結婚を機に家庭に入り、現在3児のパパ。
現在の職業および活動 主夫業をメインに、お笑いライブのお手伝い、イベントの司会、情報番組のレポーター、講演会講師など、多彩なパートを手掛ける日本唯一の“主夫芸人”として活動中。著書に『主夫になってはじめてわかった主婦のこと』(猿江商會刊)。

記者 よろしくお願いします。

中村シュフさん(以下、中村) はい。よろしくお願いします。

「主夫がベースで、お笑いはパート」

記者 主夫芸人として、普段どのようなライフスタイルを過ごされているのですか?

中村 主夫芸人と言ってもあくまでもベースは主夫なので、それ以外の活動はパートタイマー的に、扶養控除の範囲内でやっています。そこは一番大事にしているところなので、基本的には土日のみで講演などのお仕事をさせていただいています。

一般的な主婦の方でも、それまでのキャリアを活かしたり、自分のやりたい事があって、パートに出たり、週末に何かの活動をされたりする人は多いと思うんです。それがたまたま僕の場合はお笑いだったっていうことです。なので、もし家庭にしわ寄せがくるようであれば、主夫芸人としての活動はやらないですし、そこには執着もありません。

ただ、今の働き方というか、ライフスタイルは、小さい頃に描いていた理想に近いので、一番しっくりはきています。

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「小さい頃から人を楽しませるのが好きだった」

記者 小さい頃はどんなお子さんだったんですか?

中村 お喋り好きで、幼稚園のときにはあまりにも喋りすぎて、みんなと一緒にご飯を食べさせてもらえず、園長室に隔離されたことがありました(笑)

小さい頃から、人前でお喋りをして、楽しそうに笑っている人たちを見るのが好きでした。その場の空気が、いつも楽しい雰囲気になればいいなぁと思っていました。

幼稚園の卒園文集の”将来の夢”には、普通、パイロットとか花屋さんとか書くと思うんですが、僕はコメディアンって書いていました(笑)

記者 大学へは家政学部に進学し、家庭科の教員免許をもっているそうですね?

中村 はい。僕は昔から手を動かすことが好きで、料理も嫌いではなかったので、大学の進路を決めるときに、家政学部が一番楽しそうに思えたんです。高校が男子校だったので、先生に家政学科に行きたいと言ったら、周りがちょっとザワザワしましたけど(笑)それでも進学しました。

記者 昔から家事が好きだったんですね。

中村 好きというか、楽しいんですよね。よく好きって言うと得意だと誤解されるんですが、けっして得意なわけではなく、単純に一番しっくりくるんです。

僕は料理が好きでも、フードコーディネーターみたいに専門的な知識はないし、収納が好きでも、こんまり(近藤麻理恵)さんみたいにアメリカ行こうっていう気にはならないし(笑)そんなスキルもない。でも好きという気持ちには変わりないんですよね。

ただ、普段の生活を波風立たないようにやりくりして、みんなが楽しく過ごせるようにすることは得意だと思います。

記者 小さい頃から人を笑わせて楽しませたいと思っていたんですもんね?

中村 シュフの仕事はそこが目的だと思っています。おいしい料理を提供するのも大事ですけど、それだけではなく、その場が笑顔だったり、楽しい空間を提供することが目的だと思っています。

だから、下手っぴでもいいやって思うんです。「パパ何これ、失敗してるぞ(笑)」とか、でも「みんなで食べたらおいしいね」とか、笑えれば、得意である必要はぜんぜんないと思います。

そういった意味で、僕は家事が好きです。

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「シュフは家庭のコーディネーター」

記者 中村さんにとって、シュフの仕事とは?

中村 "家族の笑顔の最大値を引き出す仕事"だと思っています。家族が5人いたとしたら、それぞれのボリュームを調整して、いろいろな条件がある中での最大値を引き出す。全員がボリュームMAXにはならないですからね。

料理をする、洗濯をする、といった"部分"ではなくて、"全体"のコーディネート力が必要なんです。

家事をいつどれくらいやって、この人に今、何をどれくらい期待するとか、逆に、何を諦めてもらうとか、そういった全体をみてバランスをとって、コーディネートしていくのがシュフ業だと思っています。

シェフが料理のコーディネーターなら、シュフは家庭のコーディネーターです。

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「家政学部からお笑い芸人へ」

記者 大学を卒業した後はどうされたんですか?

中村 教員試験の一次は合格だったので、大学の先生たちは当然、僕が教員になるだろうと思っていました。確かに教員になれたら嬉しいという気持ちはありました。でも実は、幼稚園のときからずっと抱いていた”芸人になりたい”という気持ちもあったんです。それで、やはり若いうちにチャレンジするのならと思い、お笑いを先にやってみようと思いました。

記者 周りの反応はいかがでしたか?

中村 せっかく教員免許をとったのに芸人やるの?って。昔からの友人は「中村がまた面白い方向に行ったぞ」って、ザワザワしてましたけど(笑)

記者 芸人生活で得たものは何ですか?

中村 色んな人に出会えたことが一番大きいですね。

お笑いの本流がどうしても漫才やコント、トーク番組のひな壇のイメージがあって、はじめた頃は、僕もライブに出てネタをやることばかり考えていましたが、でも僕の周りには、ラジオとか、物を書いたりとか、学者芸人や時事芸人など、色んな切り口で笑いをみせる先輩方がたくさんいました。

僕の経歴とかも面白がってくださるし、ライブに出るだけじゃなくて、生き方とか、色んな表現のフィールドで面白いことを提案していくのが、芸人であり、目指すべきところだって提示してくださるので、それはすごく有り難いなって思います。本当に有り難いですね。

芸人が次にどういう生き方をするのか、そのモデルを最初に見せていただいた感じがします。

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「妻が笑ってくれることが好き」

記者 主夫芸人はどのようにして生まれたんですか?

中村 当時、結成していたコンビを解散して、次の身の振り方を考えていたときに、付き合っていた妻から「結婚してください」と言われたんです。「家庭に入ってもらえませんか?」と妻がプロポーズをしてくれました。

それで専業主夫になろうと決めたんですが、僕の気持ちとしては、やはり芸人としてやり切れていない感も残っていました。だから主夫を本軸としながらも、芸人として何とかならないものかと考えていたんです。

そんなときに先輩から「元芸人で家庭科の教員免許を持ってて、今、専業主夫をやってる奴って、世の中に多分いないから面白い」と言ってくださり「主夫芸人」がいいと思ったんです。

普通の先輩だったら「芸人辞めるのもったいないから続けろよ」とか言われると思うんですけど、僕の経歴とかスキル、立ち位置自体が面白いと言ってくださったことは本当に救いでした。

でも、覚悟を決めて、主夫になってからの方がお仕事はいただけるようになりました。今は有り難いことにとても充実しています。

記者 プロポーズされたときの気持ちは?

中村 特に驚きはしませんでしたが、僕よりも彼女の方が決断は大きいので、それに対して応える必要があるなって思いました。「ふつつか者ですがよろしくお願いします」と二つ返事で受けました。

妻とは、まだ駆け出しの頃から付き合っていて、ずっと僕を支えてくれました。彼女の部屋に身を寄せて、フルタイムで働く彼女の代わりに、僕が一切の家事をしていました。ライブにもいつも足を運んでくれて、出演者よりもお客さんの方が少ない時もあったんですが、妻だけはいつも笑ってくれました。

僕は、彼女が笑ってくれることが好きなんです。家族もそうですが、まず彼女が笑っていないと駄目なんです。たとえ芸人として売れたとしても、好きな人が笑っていないのは、ぜんぜん本意ではない。

だから、それを今彼女が一番望み、彼女が笑顔になる一番の選択肢なのであれば、それに応えたいと思ったんです。

記者 これからどうしていきたいですか?

中村 普段の生活を普通に送れること。それが一番難しくて、やりがいのある目標だと僕は思っています。なので、まずは妻と子どもが笑顔で、楽しく過ごしてくれたら、あとは特に何もいらないですし、そのために何かあれば、僕は率先して変化するつもりです。

例えばですが、彼女が体調を崩して仕事をやめなきゃならなかったり、下手をして、僕が主夫芸人としてバカ売れしてしまったら、今度は家庭での役割を逆にしてみるなど、それが妻や子どもたちが笑顔になる選択なのだったら、そこもフレキシブルにやっていきたいと思っています。

記者 主夫もしくは芸人にもこだわることなく、家族の笑顔が一番の基準になっているんですね。家庭のコーディネーターとして、今後、どのような変化があるのか楽しみですね。本日はありがとうございました。

中村シュフさんに関する情報はこちら
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◇Twitter

◇中村シュフの日刊『主夫の友』

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【編集後記】
今回、インタビューの記者を担当した、見並、口野、山本(カメラ)です。

シュフはコーディネーターであり、全体をみる力が大事なんだというお話が印象に残っています。一つひとつは下手っぴでも、失敗してもいい。その失敗が人間味となり、全体の笑顔をデザインしていくという中村さんの人間に対する深い愛情と哲学を感じました。貴重なお話をありがとうございました。

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