日本のよさを伝えたい!長唄三味線奏者 杵屋三那都(さんなつ)さん
幼少のころから長唄一筋でプロの道を歩んでこられた長唄三味線奏者 杵屋三那都(きねやさんなつ)さんにお話を伺いました。
プロフィール
出身地 三重県四日市市
経歴 東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業、同大学院修士課程修了。在学中、常英賞、大学院アカンサス音楽賞受賞。平成25年、長唄東音会の同人となる。同年、杵屋三那都の名を許される。
現在の職業および活動 三味線を東音松浦奈々恵師、唄を東音山田卓師に師事。現在、演奏活動の他、長唄「美都の会」主催。松尾塾伝統芸能にてこどもたちに三味線の指導にもあたる。
「江戸で発展した三味線音楽」
記者 まず長唄とは何か教えていただけますか?
杵屋三那都さん(以下、敬称略) 長唄は今から三百年以上前の江戸時代に歌舞伎の音楽として成立し、主に江戸で発展してきた三味線音楽です。その後、歌舞伎から独立して、純粋に音楽としても演奏されるようになりました。「長唄」の他にも「常磐津節」「清元節」「義太夫節」や民謡の「津軽三味線」など、三味線音楽のジャンルはたくさんあります。
記者 他のジャンルとの違いは?
三那都 他の三味線音楽とは全く別ものですね。譜面も違いますし、声の発生の仕方も全然違います。三味線の棹(さお)の太さも常磐津・清元は中棹で、義太夫・津軽は太棹ですが、長唄は細棹になります。太い棹は低音が出るのに対し、細い棹は甲高い音になるので、こちらも全然違ってきますね。
「プロでやってみたい」
記者 いつごろから長唄をやられているんですか?
三那都 3~4歳のころからおばあちゃんの影響ではじめました。まるで義務教育のように(笑)ずっとやっていましたね。
記者 やめたいと思ったことは?
三那都 ありましたけど、やめたら負けだと思って続けました(笑)。私は負けず嫌いなところがあるんです。それでも基本的には三味線は嫌いじゃないのでやめなかったですね。小さいころはずっとおばあちゃんから習っていたのですが、小学生のときにおばあちゃんが怪我をして入院したことがあって、そのときに今の師匠のところにたまたま預けられ、そこからプロになる道が開けました。
記者 プロになろうと思ったきっかけは?
三那都 高校生のときに師匠から芸大を受験してみないかと言われたのがきっかけです。このまま普通の大学に進んでも中途半端だし、それだったら三味線でプロフェッショナルを目指した方が楽しいかなと思って芸大を受験することに決めました。あと、人と違ったことをやってみたいという思いもありましたね。
大学に入るまでは、同世代で長唄をやってる人がまわりにいなかったので、芸大では同世代のみんなと一緒に本気で音楽を創りあげていく世界がすごく楽しかったんです。プロでやってみたいという思いがより一層強くなりました。
「指揮者のいないオーケストラ」
記者 長唄の魅力は?
三那都 みんなで演奏するところですね。長唄はひとりでやるものではないんです。私は三味線弾きなのですが、三味線の他にも唄方やお囃子(おはやし)がいて、指揮者のいないオーケストラみたいな感じなんです。
三味線弾きのなかで中央に座っているタテ三味線という首席奏者が指揮者代わりになって曲を運んでいくのですが、みんな前を向いているので目を合わせることはできず、掛け声とか、自分の息を頼りに演奏していきます。そうやってみんなで創りあげていくのが面白くて、私はとても好きなんです。
それと三味線ってすごくデリケートな楽器なので、湿気が多いと演奏中に革が破れたり、ライトの熱で糸(絹糸)が切れたり伸びたりしてしまうこともしょっちゅうなんです。そんなわがままな三味線ちゃんを使いこなすのも面白いんです。三味線は何回演奏しても正解がないというか、満足する演奏は今まで一度もしたことがありません。その都度、課題が生まれて、どうしたらもっとよくなるのかをいつも考えています。修業には終わりがありません。満足してしまったら終わりだと思っています。
記者 演奏がうまくいくときといかないときの一番の要因は?
三那都 経験不足とか準備不足というのもありますけど、やはり一番は息が合っていないことじゃないですかね。三味線に関して言えば、タテ三味線を中央にして、その脇にも三味線が座るんですが、タテと脇の息が合っていないと三味線はグチャって感じになります。どっちかに寄り過ぎても駄目だし、自分を出し過ぎても駄目なんです。唄に付き合い過ぎても間延びしてしまいますから、それを無視して拍通りに弾いていかなければならないときもあります。お互いを気にしつつも、絶妙のバランスでその狭間のなかで弾いているような感じなんです。なので、全体がピタッと合ったときはすごく気持ちがいいですね。
記者 洋楽とのコラボレーションも面白そうですけど?
三那都 大学のときに和楽器とオーケストラの演奏会というのがあったんですが、オーケストラなので指揮者を見なくてはいけなくて、なかなか合わせられなかったですね(苦笑)。指揮者は正確なリズムで導いてくれるのですが、普段、私たちは自分で拍をとっているので、前のめりになったり、逆に拍から遅れたりすることもあって、洋楽のように正確にはいかないんです。オーケストラは全て指揮者の世界観に合わせていきますが、私たちは一人ひとりが感覚的にうまく融合し、調和を創りあげていく世界なんです。
邦楽には、正確ではない"揺れる"面白さがあります。三味線の音にも一音だけではなくいろいろな音が混ざって響いているように聴こえるので、例えばこれは「ド」の音ですって言い切れない微妙な音程差があるんです。洋楽の人がそれを聴くとたぶん「気持ち悪い」ってなると思うんですが、その曖昧さが邦楽の魅力でもあると思っています。
「日本の良さを伝えていきたい」
記者 普段はどういった活動をなさっているんですか?
三那都 演奏会や舞踏会に出たり、その他には、お弟子さんにお稽古をつけたり、プロを目指す子どもたちの塾(松尾塾)の講師もやっています。あと今年からは東京芸大の助手としても勤務しています。
記者 これからの夢やビジョンを聴かせてください。
三那都 このままずっと死ぬまで演奏活動をしていきたいですね。それともう少し、三味線などの和楽器が皆さんにとって身近に感じられるように普及活動をしていきたいですね。小学校や中学校でもピアノとかは当たり前にありますけど和楽器はありません。日本人なのだから日本の楽器に触れることは自然なことだと思うんです。日本の文化がこんなにも素晴らしくて、日本人であることを自覚し、もっと誇りをもてるようになるのではないかと思っています。長唄に限らず、邦楽にはいっぱいいいものがあります。せっかくの日本のブランドなのにそれをひとつも知らずに生きているのは勿体ないと思うんです。そのために普及活動や演奏活動に精進していけたらと思っています。そしてさらに活動の広がりをもっともっと増やして、いずれは海外でも演奏をし、日本の良さを伝えていきたいと思っています。
記者 その夢を実現させるための突破口が拓けるといいですね。本日はありがとうございました。
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◇Twitter
【編集後記】
今回、インタビューの記者を担当した、見並、山田、樋口 です。
”長唄は指揮者のいないオーケストラ” という言葉が印象的でした。一人ひとりが感覚的に調和を保ちながら、ともに曲を運んでいく様は、日本人ならではの繊細さとチームプレーを重んじる文化に通ずると思いました。三那都さんは、”一度決めたら最後までやり通す” という芯の強さとともに、とても柔らかい空気感をお持ちの魅力的な方です。三那都さん貴重なお話をありがとうございました。
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