星野架名先生とルナというキャラと私の事

今年、漫画家の星野架名先生が50代で亡くなった。ある時期からは特に作品のチェックをする事も無くなり、たまに緑野原シリーズがTwitterで話題になると懐かしいね、なんて言って流していたが、小学五年生のあの日、今思えば母から陰湿な虐待を受けて混乱していた私の人生を一変させた漫画を描いたのは星野架名先生だった。

よくある話だとは思うが、私は母親に嫌われ陰湿な嫌がらせというかまあ纏めてしまえば虐待を受けていた、が、その事に気が付いたのはなんと44歳にもなっての今この時、つい半月ちょい前の事だ。

それまでは、母親の事は、頭は悪いしなんだかコンプレックスまみれだし変なメールはよこすし意味がよく分からない事ばかり言うし多分頭が悪いのだろう、可哀想に、程度に思っていたし東京に遊びに来たから会おう、などとと言われれば仕事の予定等を調整して会っては意味のわからないお茶に付き合わされ楽しくもなんとも無い時間を過ごし、笑顔でいないとな〜という義務感だけで顔に笑顔を貼り付け母親が特に何も言わない地味な服を着て、すると笑われたりするのでいい大人の女が化粧もせずに、どうでもいいチェーン店で母親が喜びそうな会話を必死で探って思ってもいない様な提案等をして母親を喜ばせて、私はと言うと「そんな事全然したくないんだけど大人だしね、仕方ない」と諦めて付き合っていた。

一応私の事も少し書いておく。
私は24歳の時に急に思い立って山形の山と川のある町から東京に引っ越した。金もコネも学歴も無かったが、何故か漫画を描く技術が身に付いていたので漫画のアシスタントを始めたらそれが20年続いてしまった。今はとある週刊ヤング誌のとある作品で背景を描いて暮らしている。週3日大体10時間机に齧り付いてめちゃくちゃに細かい絵をずーっと描いてそれで食べるのをそろそろ5年位やっている。一応20代最後辺りで自分で描いた作品が雑誌に掲載されて細々と漫画家をやっていた事もあるが、それはリーマンショックで当時世話になっていた小さな編集プロダクションが吹っ飛ばされてしまい、そこから他に営業をかけて漫画家を続けるガッツが当時はどうしても湧かず、そのまま漫画家アシスタントに戻ってしまった。

今思えばあそこで諦めてしまったのも母親の影響なのだが、それは今回の話の主題ではないので割愛する。

さて、今回は星野架名先生の話だ。

会った事は無い。

小学5年生から中学を出る位まではなかなかの信者で掲載誌も単行本も全て揃えたが、当時鳴り物入りで制作された「緑野原幻想」というビデオアニメは中学生のわたしにはとても買える値段では無かったし、正直な話、絵も星野架名先生の、こう言ってはなんだがあの当時はまだそれ程上手いとは言えない荒々しい元の絵(その後先生も思うところあったのかやたらと仕上げを美しくする絵柄にシフトしてしまった、元の絵の方が良かったと今なら言える)とは似ても似つかなかったしなんだかストーリーも緑野原シリーズの「綺麗な男の子同士が幼馴染でめちゃくちゃ仲良し」の部分ばかりがクローズアップされていて、私の好きな緑野原シリーズの良さとは程遠い感じがしたので別にそこまで欲しいとも思わなかった。なので当時「私もオタクなんだ〜」と絡んできたちょっとしたお金持ちの娘(町の汚物を集めて回る唯一の会社の娘)で保育園からの幼馴染のたえこが自慢げに見せてきたそのアニメも「へえ〜いいね、面白かった?私は別にいいや」とすげなくしてしまったがあの女は事あるごとに金持ちマウントをとってきていたので正直どうでも良い、今も生きているならめちゃくちゃ不幸になっていてほしい。

小学5年生のある日、それまでは「りぼん」と「なかよし」しか少女漫画は読んだ事が無く、「少女漫画って全然分からない、キャラクターの言っている事も行動も全然私と関係が無い」と思っていたが母親が買ってよこす漫画はそればかりで、仕方なくギリギリ楽しく読めた岡田あ〜みんのセリフの真似をしては母親に嫌な顔をされたりしていた。そして兄が祖父から買って貰っていた週刊少年ジャンプやコロコロやボンボンばかりこっそり好んで読んでいた。
ある日、書店でなんとなく手に取っためちゃくちゃ分厚いA5版の小さな雑誌が「花とゆめ増刊号 星野架名特集 ヒューマンノーアの声総集編」だった。表紙の絵は主人公の時野彼方くんで、青く塗られていたように思う髪が綺麗だったのでなんとなく手に取ってなんとなく読み始めた、当時はまだギリギリ昭和で書店の本にはビニールなどはかかっておらず、立ち読みし放題だった。なので気が付いたら何時間もその漫画を読み続け、最終的には人生でこんなに泣いた事があるだろうか??という位めちゃくちゃに泣いていた、声は出さなかったが部屋の中であったなら泣きながら大暴れしていたと思う。

当時は何故この漫画にこんなに感動してしまったのか全く理解出来ず、とりあえず緑野原学園シリーズというものは良いものだからかな!と無理やり纏めて星野架名先生のファン、という立ち位置に落ち着いた、が、今考えると別に緑野原学園シリーズも星野架名先生もそんなに好きでは無かったかもしれない。いやまあ先生の活動初期の代表シリーズである緑野原シリーズと青シリーズは確かに厨二心を擽る良いファンタジーだったし面白いと思っていたが、ヒューマンノーアの声以降の先生の作品自体は正直な話そんなに面白くは無かった。なんだか絵が作り物みたいになったし「漫画ってこういう話を描けばいいんでしょ?」みたいな空気があった。それまでは淡い恋愛に近い様な感情が味付け程度に振りかけられていた程度の「恋愛要素」がわざとらしく主題になり、ハリウッドの俳優ものやミステリー等、およそ似合わないテーマばかり描くようになり、年齢が上がり雑誌ウィングスの作品等を手にとる様になった私は段々星野架名先生から離れていった。先生自体も執筆ペースは徐々に落ち、花とゆめ本誌にも段々と掲載は無くなり、花とゆめ増刊で緑野原が宇宙に旅立つ話を描いてそれ以降は余り描かなくなったのでは無いだろうか?その辺のチェックは出来ていないので申し訳無いが、星野架名先生の事自体かなりどうでもよくなっていたのでそこは流して欲しい。

さて、じゃあ何故そんなに星野架名先生を当時は追っていたのかというと、今になって考えてやっとわかったのだが、「ヒューマンノーアの声」に出ていた少女「ルナ」だけが、私はめちゃくちゃ好きだったのだ。

「ヒューマンノーアの声」の作品中では一応主人公の彼方くんに転校初日の初対面、クラスメイトの前でいきなり唇にキスしたりするぶっ飛んだ美少女キャラなのだが、全体的に言えば脇役で、ヒロインは主人公の時野彼方くんでヒーローは彼方くんの幼馴染の弘樹くんで、よく喋るクラスメイトの笛子はその他大勢の代表って形なのが「緑野原シリーズ」の基本的な形で、その表面の形しか見えておらず、自分が感動したのが脇役の「ルナ」だという事に、もう30年も経った今になって気付いてしまって「なんてこった、私は今すぐルナの話をしないと」と思いこの記事を書いている。

ルナというキャラは、簡単に言うと「自分の超能力の暴走で家族を失い、露頭に迷っているところを謎の異世界の超能力組織に拾われて異世界人のスパイになって地球に戻ってきた少女」で、最後はなんだかんだで呆気なく死ぬ。細かい事は全然覚えていない、彼女の苗字も忘れた。多分なんかキラキラした苗字だったが別にそれはどうでもよいので置いておく。

細かい事は全く覚えていないので細かい話は出来ないが、今思えば当時、母親に陰湿な虐待を(多分生まれてすぐからずっと)受けてなんだか世界に対する認知が段々歪んできていて家事が下手な母親の作る散らかって薄汚れた家の中でよく分からない漫画しか読むものが無かった私に「こんなに面白い漫画があるの!?!?私も漫画を描く!!!!!」と無意識に決意させ、そこからはノートにひたすら漫画を描き、お小遣い?というか母親が気まぐれに時々おやつ代としてなんとなく寄越す小銭を必死で貯めて書店でカブラペンを買い、雑誌の漫画教室を必死で読み込み毎日夢中で僅かな手持ちのカブラペンでカケアミの練習をして手持ちの漫画の模写をしまくり母親が捨てたボサボサの筆ペンをお湯で穂先を整えてツヤベタの練習をしまくった。

当時はそれを「練習」だとは思わずただの遊びだと思って毎日何時間もやっていたし、母親も嫌いな娘が段々オタクっぽい遊びに夢中になって(当時はオタクといえばそれは気持ち悪い存在だったので)それまでの外向的で朗らかで友達が多くて清潔なかわいい長女でめちゃくちゃに気に入らなかったのが、段々家に篭って漫画を描く遊びばかりする気持ち悪い娘になっていくのが楽しくて仕方なかったんだろう、それまでは私が百点をとろうが学年の陽キャ達とつるもうが全く関心を向けず、当時既に150センチ近くあり体付きも単に女性らしくふっくらしてきていた娘を「太ったわね〜」「スカートとか似合わないんじゃない?」などと事実と違う事を言ったりかなり成長の良かった胸を見ない事にして絶対にブラジャーを買わなかったり(流石に学校から直接母親に苦情がいったらしくある日渋々2枚だけ買ってきたが自分の胸より大きいものは絶対買ってこず、その小さなガーゼのブラジャー2枚で16歳まで過ごす羽目になる)なかなかにタチの悪い嫌がらせしかしなかったのに、漫画はめちゃくちゃ買ってくれたし画材を買う金もくれた。当時は家は貧乏だと思って色々我慢していたが単に母親が私には学校の教材も自転車も服も下着もほとんど買わなかっただけで、父親は一級建築士だし(当時は単身赴任で家には居なかったが今考えると自分の事を遠回しに全否定してくる母親のことが嫌だったのだろう)母親も朝から晩までパートをしていたので家にお金はたんまりあったのだ、それで私が欲しいものだが母親から見たらイケてないものはなんでも買ってもらえる様になった。

私は内心とても喜んで毎日漫画に没頭し、汚れた家の事などどうでも良くなった。それまではなんとか家を綺麗にしようと頑張って家事をやっていたがそういった「まともな事」は母親が全力で邪魔をしてくるので全く捗らず無力感しかない幼女期だったが、花とゆめやウィングス等、当時のいわゆるマイナーと呼ばれる漫画には、私に理解できる言葉で話す素敵なキャラクターが沢山出てきては現実の汚れて散らかった家を忘れる事が出来た。

そして私は漫画を描く力を遊びを装ってこっそりと身につけ、ある日家を飛び出した。

そこから20年、殆ど家には帰っていないし今後はもう帰らないし帰るとしたら母親が死んだ時に遺骨を最上川に骨壷ごとぶん投げに行きたいという気持ちしかない。


私が今日まで44年、なんとか生き延びることが出来たのは、あの日「ヒューマンノーアの声」の中で生きる「ルナ」という少女を見て、漫画に関わりたい!と強く願ったからだ。

そうでなければ今頃はあの薄汚れた実家でぼんやりと「母親の気にいる」気味の悪い何も出来ないただの肉塊みたいな生き物になって生きているか、メンヘラと化して変な男の子供を産んで途方に暮れて「偉大な」母親に縋り付いていた事だろう、なんて気持ちの悪い事か。

星野架名先生が死んだというニュースには正直な話そこまでショックだったりとかは感じなかったが、それでも先生の産み出した「ルナ」という小さな女の子がその後の私を生かしたという事実だけは、今更ながら特大の感謝を述べたいと思います。

ルナを生み出してくれてありがとうございます。

お陰で今も生きています。

どうか安らかにお眠りください。

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