三浦大知さんのファンアートについて
noteの更新を久しぶりにいたしまして。
忘れていたわけではないのです。
最近は専ら、「好き」をアウトプットする手段がイラストに移行していたからでして。
そうなんです、三浦大知さんのファンアートに挑戦してみております。
文章で伝えたいと思ってもなかなか難しいこともあったり、頭の中のイメージをそのまま表現するのにはイラストが手っ取り早いといいますか分かりやすいといいますか。
不器用なので沢山のことをいっぺんにできないタチなのです(*¨*)
イラストは、かれこれ10年ほどお休みしていました。
以前はアニメやマンガやゲームなどの二次創作という感じで絵を描いていたので、三浦大知さんのように生身の方のファンアートというものは初めてです。
これが本当に難しい。
たとえば1枚の写真を元に描いてみようとする。もう、写真の段階で完璧な作品なんですよね。それをイラストにする余地がない。それでもなんとか自分の力で、自分の要素を少しでも加えて描いてみたいなと思ってしまう、この思いはなんなんだろうか。
たとえ全然うまく描けなかったとしても。
私自身の中に、理想的な三浦大知さん像があるので、それに反するものは嫌。。なのだが。。
なんて言ってると一生見せられないものばかりになってしまいますけども。
とにかく書かずにはいられなくなるのです。
皆さんの心の中にももちろん素敵な三浦大知さんがいらっしゃって、他人の描くファンアートというものが好きではない方もいらっしゃると思うし、全員が私の絵を受け入れてくださるとは思っていません。
私自身も、もっともっと素敵に表現できたらいいのに、と申し訳なく思っていたりもします。
それでも、私が生んだものに対して共感してくれたり色んな感想をいただけるのは本当に本当に嬉しいです。
ほかの皆さんはどうしてファンアートを描くのですかね?
私の場合は、応援の一環として……
なんて穏やかな心情ではないです(笑)
好きで好きで好きで、
苦しくて苦しくて、
いてもたってもいられなくて、
なんとか表に出したい。
なんとか大好きの気持ちを形にしたい。
少しでも解りたい。
だけど全然簡単にいかなくて
悩んで悩んでようやく生み出す
そんな感じで。
ささっと描いてみたって下手で下手でどうしようもないし、でも描かないといられなくて。
一生懸命に集中して向き合っていると、気持ちが穏やかになるのを感じるのです。
それが一時的なものだとしても。
ぜーんぜんこの気持ちに慣れることはなくて、
今後も慣れないんだろうな~と思いつつ、
イラストに取り組んでいる時だけ、慣れたフリをしているのかも。
気持ちに抗ってますね(^_^;)
三浦大知さんのその時の写真の雰囲気、可愛さかっこよさ優しさ激しさ、本当にその時々で全然違って見えていて。
様々な姿を見せてくれていて。
描きたいところが山ほどある。描いても描いても終わらない。1度描いても納得しきれないから終われない。
なんて方なんでしょうか。
「描く」のと「描いたものを見せる」のとでもまた違った決意が必要だと思いました。
特に見せるのは……羞恥心全開です(笑)
心の中すべてをさらけ出している感じ。
好きな気持ちを見せてしまっているから当たり前ですよね。
何度も何度も確認して出したのに、あとで致命的なミスに気付いたりして。あるあるですよね。。あれはなんと言う現象なのでしょうね?笑
本当に恥ずかしくていられない。
でも、見てくださった方の反応もまた見てみたい。
心と心、本音を出すことで本音で語り合える、そんな沼に居られることが幸せだなぁと、そう思った次第です。
総じて、三浦大知沼サイコー!!
ご興味ございましたら覗いていただけると嬉しいです。
よろしくお願いいたします。