Vチューバーでもガチで麻雀していいですか?(二十)
1.Vチューバー続けてもいいですか?
二十
南四局
東 玖郎 41600点
南 桜乃 20700点
西 戸塚 8100点
北 笹西 29600点
最終局。親番の玖郎には、もう笹西と桜乃の点差を詰める方法は残されていない。逆転条件は、桜乃が満貫をツモ和了るか、笹西から4500点以上のロン和了、跳満以上に玖郎か戸塚が打ち込んだときだけだ。
いずれにしろ桜乃には高い手が必要だ。
――しかし、この局のドラは役牌の中。そして……
玖郎は自身の手に目を落とす。
――俺の手にドラ3。しかも6索―9索のテンパイ。
8巡目に、この手牌。通常だったら行幸というほかないような手だが、いまの玖郎には全くの不必要。それでころか自身でドラを固めてしまっては、桜乃の高打点も望みが薄い。
玖郎は親番であるが、現状トップ目。何点であろうと和了した次点で連荘はなく、ゲームが終了するルールである。
――だめだ。最悪だ。くそう、なんで俺はいつもこうなんだ。
玖郎は手番であるにもかかわらず、俯き塞ぎこむ。
――威勢よく他所の事情に首を突っ込んどいて、結局なにも救えねぇ。
誰よりも麻雀に対して真摯でいたつもりだった。誰よりも努力したつもりだった。しかし彼の麻雀が、誰かのためになったことはいまだない。
誰かに希望を与えたことはいまだない。
――こんな俺でも、麻雀で誰かを救いたい。そんなふうに思っちまった。でもそれは間違いだった。
無冠の帝王だなんて茶化される玖郎は、大事な場面で勝ち切ったという経験がない。
大きな成功体験というものが皆無だった。
ありたいていに言えば、もってないのである。
――ほんとうにダサイ。なにも成せない。
顔を伏せ、目をつぶったまま、玖郎は少女の姿を思い浮かべる。
あのとき自分勝手にも、「救ってやりたい」だなんて思ってしまった、少女の姿を。
玖郎は半ば諦めたように、ゆっくりとスマ―トフォン画面の左端に指を馳せ、不要となった4萬をタップする。
河に牌が放たれたとき。その瞬間――――時が止まったかのような錯覚におちいった。
『下向かないで、玖郎くん』
手狭な会議室には不釣り合いなほどに大きなディスプレイ。
その奥に在る桜色の少女は、平面から真っすぐに玖郎を見つめて、そう言った。
『顔を上げて。画面を見て。そうすれば絶対に、あなたを笑顔にしてあげるから』
玖郎の耳に届く声。
その声だけで、いま桜乃このみは笑っていることがわかる。
感染症が収束した世界で、初めて遊園地に遠足で連れてきて貰えた児童のような。
そんな、はしゃぐような声だった。
まえに彼女は玖郎に言った。「わたしが心から楽しんでないと、見てるみんなもきっと楽しくないと思う」と。
だから彼女は笑うのだ。たとえ、窮地に追い込まれた状況だとしても。
いつだって心から楽しめる空間を提供する。生粋のエンターテイナー。
牌山から引き入れた一枚を自身の手に収め、桜乃このみが切り出したのは7萬。それを彼女は――――横に曲げた。
『リーチ!!』
陽春の空気に満ちたかのような、そんな感覚が会議室内に広がる。勝負の最中であるにもかかわらず、そんなあたたかさが彼女の声には秘められている。
――……リーチ? 桜乃、お前。この土壇場でテンパイを入れられたのか!?
玖郎の目に光が戻る。僥倖と口に出すことはないものの、希望の視線をディスプレイに送った。
直後にツモ順が回ってきた戸塚は、桜乃の捨て牌を凝視する。
――濃い捨て牌……。ふつうに読めば七対子か萬子のホンイツに見えます。
――桜乃さんに満貫をツモられたらアウト。できれば一発を消すために笹西さんが鳴ける牌を切りたいですが、唯一の現物である1筒は序盤に彼女が対子落としした牌。まず鳴けないでしょう。
戸塚は自身の額が汗で湿るの感じる。
――ならば2索あたりを切りますか。いや、しかし、わたしは跳満を振れない立場。これでもしリーチ一発七対子ドラ2にでも放銃しようものなら目も当てられません。
結局、戸塚が選択したのは現物の1筒切り。続く戸塚も手から現物を切って降りに回ったようだった。
そして玖郎の手番。
ツモは和了牌の9索。もちろん和了などしない。玖郎の役目は一発の役が付くこのタイミングで、桜乃に差し込むことであった。
――良形を目指すように打っていた桜乃だ。七対子は読みから排除していい。それに前巡、俺が4萬を切ったときの、あの時間が止まったかのような感覚。間違いない。あれは鳴きラグだ。
麻雀ゲームでは牌が捨てられたとき、その牌を鳴けるプレイヤーに鳴くか鳴かないかの選択のコマンドが現れる。そのときに生じる一瞬の間。それが鳴きラグと呼ばれている。
――桜乃には萬子を鳴ける形があった。捨て牌から、それが連続形である可能性は高い。ならば4萬とは違う、この牌でも当たる可能性は十分にある……!
場に唯一出ていない役牌の白が桜乃に暗刻ならば、リーチ一発面前混一で跳満に足りる。
玖郎は再度、スマホ画面の端へ指をスライドさせた。
――正真正銘。これが最後のチャンスだ。頼む、当たってくれ!!
河へ打ち出すは6萬。
チラリと、桜乃が映し出されたモニターに目をやると、彼女はとても嬉しそうに笑っていた。
『ありがとう、玖郎くん。わたしを見てくれて――――わたしを、見つけてくれて』
しかし、桜乃は手牌を倒さずに、まっすぐとツモ山に手を伸ばした。
――……当たりじゃなかったか。
そう玖郎が思ったのも束の間――――桜乃が手にした牌を卓に叩きつける。
『ツモ!』
開かれた手に、その場の全員が息を飲む。
それは、とても美しい数字の並びだった。
『リーチ一発ツモ面前清一色。4000-8000』
雀天のゲーム画面から申告された点数は、桜乃が笹西をまくり、勝利したことを表していた。
「……やられてしまいましたか」
残念そうな、しかし、どこかホッとしたかのように、戸塚は脱力した。
笹西は表情こそ大きく崩さなかったが、悔しさの色までも隠すことはできていない。
『やったよ!! 玖郎くん!!』
桜乃は笑った。
無邪気に。年甲斐もなく。それでいて清らかだった。
『どうかな!? 玖郎くん! わたしの和了は、きみを笑顔にできたかな?』
そう桜乃は尋ねる。しかし玖郎はじっとスマホ画面のほうを見つめる。
笹西どころか、断トツでトップだった玖郎の順位まで抜き、堂々と1位と表示されるは桜乃のアイコン。
「……じゃねぇか」
『え?』
「俺が切った6萬でも和了じゃねぇか!!」
会議室の外にまでも響くほどの声量で玖郎は叫んだ。激昂――――というよりは、盛大なツッコミという心境である。
玖郎が一発で差し込みに行った牌も、彼女の和了牌。いや、それどころではない。桜乃のあの手は、6萬《マン》で和了ると役満――――九蓮宝燈だった。
「待ちがわからなかったわけじゃないだろう!?」
『うん……。2萬―5萬―3萬―6萬だったよ。 そもそもロン和了するかどうかの表示も出たし』
「だったら、なんで……!? 打点が足りるかわからなかったか!? それとも……」
『え、だって。玖郎くんが「ツモ和了しろ」って言ったから』
桜乃は、あっけらかんと言う。
「……は?」
『あれ? そういう作戦だったよね? この手が役満で和了れたら勝ちなのは知ってたけど、でもロンしたら玖郎くんとの約束やぶっちゃうことになっちゃうし……』
「は、はは……」
力なく玖郎は笑う。
なんていうか、もう、それしか出来なかった。
このとき玖郎は理解する。
ディスプレイの奥の少女。Ⅴチューバー桜乃このみの不器用さを。
信念のために、所属事務所の意向に従わない。
麻雀を学ぼうとすれば、一芸特化のような多面待ちをだけを覚えてくる。
作戦を伝えると、その言葉通りにしか動かない。
決して知能が低いわけでも、学習の力がないわけでもない。
ただ頑固で真摯で愚直なのだ。その度合いが強すぎるのだ。
不器用と言えるほどに、自分がこうだと決めたことを絶対に曲げない。そういう性質
そして、それはプロになってから、玖郎が散々と言われてきた言葉だった。
『あ』
桜乃このみ。
自称・桜の精霊の麻雀Vチューバー。
——九蓮宝燈なんて派手な役満(もん)を、この土壇場でテンパイして。
——それでいて。
——平然と見逃せるやつなんて、初めて見たよ。
『やっと笑ってくれたね!』
ピンク色の堅物は、やわらかく微笑んだ。
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