Vチューバーでもガチで麻雀していいですか?(二十二)
1.Vチューバー続けてもいいですか?
二十二
「?」
「ふふふ。玖郎先輩って麻雀以外はてんでダメダメなんですね。いや、違うかな。ダメっていうか下手っぴなんですね、生き方が。頭が固いというか」
なぜそんなことを言われたのかはわからなかったが、小馬鹿にされているのは理解できる。玖郎は眉間にしわを寄せた。
「おっしゃる通りですよ、玖郎先輩。わたしは『桜乃このみ』になる気なんて、さらさらありませんでした」
笹西は、はっきりと言った。
自らが疑ったことではあるものの、玖郎は驚きの表情を浮かべた。
「Vチューバ―には興味あります。わたしがやろうとは思えませんね。いまは麻雀アイドル路線に専念したいですし。もしやるとしても、誰かの後釜なんて絶対ありえません。わたしはわたしとして、わたしだけの活動しかしたくありませんもの」
「じゃあ、なんで……?」
玖郎の問いに、笹西は悪戯っぽい笑みを返す。
「玖郎先輩。そもそもなんのために、今回の麻雀は行われたのでしたっけ?」
「それは、桜乃このみの……、Ⅴチューバーとしての人気が著しくないのを見兼ねた事務所が、中の人を入れ替える権利を賭けて……」
「いやいやいや、玖郎先輩。自分で言ってて、変だなって思いませんか?」
文字通りに腹を抱えて笑う笹西を見て、笑い方のバリエーションに富んでいるな、と玖郎は思った。
「変って、なにがだよ?」
「ありえないでしょう? すでに決定しているキャストを、麻雀の勝ち負けで変更するなんて。ヤクザの漫画じゃないんだから」
「いや、それは……、面と向かってクビとは言えないから、桜乃自身を納得させるための理由づくりで」
「たった1回の麻雀の結果で? そんなので誰が納得するって言うんですか? いや、まあ、わたしからしたら、それも十分に疑問なんですけどね。ただ、さっき、ありえないと言ったのはプロアクティブのほうに、です」
「事務所のほうに?」
「プロアクティブはVチューバー界隈最大手の芸能事務所です。そんな企業が一番に恐れなきゃいけないのは炎上なんですよ。火事って意味ではないですよ。ネット上で総スカンされるって意味です。所属しているVチューバーは当然として、会社自体の不祥事が公に晒されるのも大大大打撃です。芸能界ってのは、そっくりそのまま人気商売ですからね」
「……世間に知られたらマズイような不祥事。そんなことは絶対にしないと?」
そんなことはどこの世界でもそうだろう、なに当たり前のことを言っているんだ。そう玖郎は思ったが、口には出さなかった。
芸能界1本で生きてきた笹西だ。それゆえの台詞だったのだろう。
「麻雀の勝ち負けでキャストを変更する。でもそれって、そんなマズイ不祥事になるのか?」
「いや、そうでしょう。イメージ最悪です。なに当たり前のことを言っているんですか? ……あー、玖郎先輩はずっと麻雀の世界だけで生きてきたから、そういう考えになるんですね」
「……」
「それに不祥事の度合いは今回問題ではありません。問題だと思うべきは、プロアクティブのリスク管理の甘さですよ」
「リスク管理……」
「はい。不祥事が行われていた現場――――つまり、あの麻雀に、玖郎先輩とわたしが参加しているなんて、ありえないじゃないですか。箝口令も敷けない全くの部外者なんですから」
「たしかに、それは。口外されたら炎上しかねない。リスクに成りえるな」
「あと、桜乃このみの人気が著しくないっていうのは、さすがに通せませんね。プロアクティブの中ではどうか知りませんが、チャンネル登録者数5桁って普通に凄いですよ? 人気Vチューバーと言って差し支えありません。活動初めて数カ月の段階で足切りなんて、そこまでプロアクティブも余裕ないことはしないでしょう」
「……」
「まあ、わたしはフォロワー100万人いますけど」
「唐突なマウント」
「では以上のことから、結論付けられることはなんでしょうか? それは『プロアクティブは最初から、桜乃このみの現キャストを解約する気などなかった』になりませんか?」
「そんな、そもそもの前提を覆すようなこと……」
しかし、言われてみれば、である。
はじめから玖郎にも、違和感を覚える点がいくつもあった。
なんというか、こう。誰かの筋書通りに動かされているかのような。
「戸塚さん」
ふいに、嫌味なほどにビジネススーツの似合った、あのプロデューサーの名前を、笹西が口にした。
「麻雀お上手でしたよね。プロっていうわけでもないのに。聞いた話では麻雀の大ファンで、プロの対局もよく見ているそうですよ」
「それは……、ありがたいことで」
「もともと彼がやりたかった企画は憶えていますか? 桜乃このみの代打ちとして麻雀プロである玖郎先輩をが麻雀をするっていう企画です。この前の麻雀は全て、その企画を実行するためのものだったとしたら、しっくりきませんか?」
「どういう、ことだよ」
「この前の麻雀で、もし玖郎先輩達が負けてしまっていたら、どうなっていたでしょうか? ええ、そうです。桜乃このみの中のキャストが解雇になります。では、そのうえで、こう持ちかけられたら? 『解雇の約束をなかったことにする代わりに、当初の代打ちの企画を受けろ』と」
「…………」
「玖郎先輩の性格なら引き受けてしまうんじゃないですか?」
笹西はニヤニヤと玖郎を見つめる。
「もちろん、ただ『桜乃このみをクビにされたくなければ企画を引き受けろ』だけでは玖郎先輩も引き受けないでしょう。そんな他所の都合なんて知ったこっちゃありませんものね。それが普通です。普通の感性です。でも、麻雀の勝負で敗北したあとでは? 負い目と、責任を感じるのではありませんか? なにより、先輩は当事者になってしまっています。その状況で知らぬ存ぜぬができるほど、玖郎先輩は冷えた人間でしょうか?」
「それじゃあ……」
「ええ。目的は、最初からあなたのほうだったんですよ。戸塚さんは、玖郎先輩がほしかったんです」
玖郎はギュっと下唇を噛み締める。
はじめから自分が目的だったから、桜乃このみに成り替わる気のない笹西が面子に選ばれた。後で桜乃このみの権利でもめることがないから。
はじめから自分が目的だったから、不祥事の炎上を恐れる必要はなかった。玖郎自身が当事者になるのだから。
「それは……、そのことは、桜乃は気付いていたんだろうか?」
笹西の言うことが事実なら、桜乃は今回の騒動の中心でありながら、その実、だしにされていたということだろう。ただ利用されていたということだろう。
尊厳もなにもあったものではない。
たとえ戸塚が自分をかってくれていたのだとしても、それでは彼を尊敬することはできない。
「さあ? 気付いてるかどうかは知りませんけど……」
ここで初めて笹西が言い淀む。そして「桜乃このみ、桜乃このみねぇ……」とブツブツ言ったかと思えば、それを飲み込むように、アイスコーヒーを口に運んだ。
「え」
「え?」
「それ。俺のコーヒー……」
「はあ」
「いや、『はあ』って。え、なに? 今の子って関節キスとか全く気にしない感じなの? 飲食物はみんなでシェアするのが当たり前なの?」
「このご時世に、そんなわけないじゃないですか。単純にわたしが玖郎先輩と関節キスしたかっただけです」
「あっけらかんと言う台詞じゃねえぞ!?」
「桜乃このみについて、なんですけど……」
「え!? 何事もなかったように話を戻そうとしてる?」
どういう情緒してるんだ、こいつ? 玖郎は高鳴る胸の鼓動よりも強く、血の気が引くのを強く感じた。
「桜乃このみの麻雀が稚拙なのは間違いないと思います。わたしも彼女の配信を何回か見たので。でも、あの日の麻雀は、なんていうか、わたし、その、すごいって感じました。良い意味でも、悪い意味でも」
なんで、さっきのでは動じない彼女の精神構造のくせに、桜乃の話だと異常に歯切れが悪くなるんだよ、と玖郎は思った。
「……あの九蓮宝燈。玖郎先輩の差し込みを見逃したのって、本当に愚行だったんですかね?」
笹西が言うのはオーラス。高めの役満をスルーしての倍満のツモ和了のことである。
それは一見すると、桜乃が柔軟な思考を持たず、ただ作戦を遂行することしか能のない堅物であることの証明。しかし笹西はあの和了から、それ以外の意図を感じとっているようだった。
「あの試合をずっと支配していたのは玖郎先輩でした。あのまま玖郎先輩たちが、なんの山場もなく勝っていたら……、戸塚さんはすんなりと玖郎さんを諦めていたでしょうか? むしろ、より玖郎先輩の実力を評価して、企画に引き入れるのに躍起になったりはしませんかね?」
「……」
「わたしは今回の麻雀をするにあたって、初めて戸塚さんとお話をしました。だから彼の性格を、よく知っているわけではありません。あの場で、それをよく知っているのは、彼女だけです」
あのオーラス。桜乃がリーチを打つ直前に、玖郎は4萬を切った。
そのときの時間が止まったかのような感覚。あれは麻雀ゲームで鳴くかどうかの選択コマンドが表示されることによって生じる、鳴きラグで間違いない。
もし桜乃が、玖郎の指示どおりに全局リーチすることだけを考えていたのであれば、彼女は「鳴きナシ」の設定にするはずなのである。
それをしていなかったということは、「鳴きナシ」設定など知らなかったか、あるいは、指示に背くつもりがあったということだろう。
桜乃このみは愚直といえるほどに頑固だ。
しかし、それは目の前の指示に対してではないのかもしれない。
彼女が愚直なのは、自身が定めた目標に対してだけだったとしたら。
玖郎のパスを受けての和了では、戸塚を安心させること――――戸塚に、自分ひとりでも大丈夫だと認めさせるのは難しいことを、桜乃は知っていたのだろう。
だから桜乃はツモ和了ることに賭けたのだ。
自身の目的を遂げるだめに。
自身の目標を果たすために。
「……対局前、桜乃は言ってた。『今日、自分は戸塚を安心させるために麻雀を打つんだ』って」
「安心、ですか。……ああ、ええ。それは大事ですね。仕事の面倒を見てくれる人から信頼は、プロにとっても貴重な財産です」
「でもそれは、あの試合における目的であって、あいつの目標ってわけではないんだろうな」
「……はあ」
どういう意味ですか? と訊ねる笹西だったが、玖郎は応えずにテーブルに置かれた冷水を啜る。
他人である自分が口にするのもはばかられる。そう思ったからであった。
自分を応援してくれる人を喜ばせたくてVチューバーになった。
自分を見てくれる人を楽しませたくてVチューバーになった。
月並みな目標だが、その信念の強固さは、紛れもなく本物なのだろう。
あの時――――俯くことしか出来なかった玖郎に、光を差し込んだように。
「自分は差し込みを拒否するくせにな」
桜色の固い頭のVチューバーが、今後どのような麻雀を見せてくれるのか。
少しだけ楽しみな自分に、玖郎は気付かされたのであった。
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