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幸せについて

自分は幸せについて考えることが時折ある。それは、自分が幸せになりたいから。

そもそも、人は皆んな幸せになりたい。幸せより不幸な方がいい、と言う人がいるかもしれない。でも、それは一般的なイメージの「幸せ」が嫌なだけで、その人にとっては「不幸」な人生が幸せであるだけだと思う。

これは「他愛」に対する考え方と似ている気がする。

他人を優先できる人でいたい、人のためになることが好き、困ってる人は助けずにはいられない、人を気遣わないことで非難されたくない、など。結局は自分のための気がする。

もちろん、それでも素晴らしいと思う。要するに、皆んな自分のために幸せな人生を送りたいんだと思う。

無駄をなくす

自分は割と合理的な人間だと思う。周りからもそう言われる。何かとお得に生きられたらなーと思ってるから、結果として合理的な選択をしているんだと思う。

そんな自分が嫌いものは「無駄」なこと。その代表例は家事。なぜかというと、家事はマイナスを0にするだけのように感じるから。

掃除は汚れた家をキレイな状態に戻す、洗濯は汚れた服をキレイな状態に戻す。料理は作るや味わうという意味ではプラスだけど、作ってもすぐに0になるし、別に自分で作らなくてもいい。

何を0とするかは人それぞれだけど、自分はメンテナスをしているだけで生産性が無いなと感じていた。だから、そういうものはアウトソースして生産的なことだけをやろう、と考えていた。さらに、自分にとって無くてもいいものは、本当に必要なものの邪魔になると考えていた。

そうやって、生産性の低いものや邪魔なものを人生から排除していった。正直、自分の人生がすごく充実しているわけじゃないけど、自分にとって不要なことをもっと排除して必要なものだけで満たそう、としていた。

無駄なこと

そんな時、Youtubeである動画を見た。トピックは、自分が人生で無くてもいいなと思っていた服について話していた。そして、その動画を見て感じたことがある。

その動画の配信者は、楽しそうに服への情熱を語ったり、全力で服をおすすめしたりしていた。それを見て「無駄なことでこんなに楽しめるんだ」とか「なんか、この人の人生楽しそう」と思った。そして、これまで自分が排除してきたことの中にはそういうことが沢山あるんだろうなと思った。

思い返してみると、子供の頃は自分もそうだった。何のためにもならないこと夢中になっていた。人生で良かった瞬間を思い出してみても、それらは無駄なことばかり。そして、自分のやりたいことリストを見ても、無駄なことばかり。

何となく勘違いしていたけど、自分は無駄を楽しむことが好きな人間だった。取捨選択は大事だけど、大切なことまで捨ててしまっていたな、と感じた。そうして、自分から幸せから遠ざかってしまっていたんだと思う。

幸せとは

幸せでいるために、自分があまり出来ていないことがもう一つある。「こうしたら幸せになれる確率が高い」ということばかりを考えてしまっている。しかも、それは全員に共通するようなことだけ。

幸せについてネットで調べたり本を読んだことがある。でも、そういう情報は当然多くの人に共通する幸せなことだ。正確なデータを取るために多くの人に調査をするし、それを参考にする人も多種多様なことが想定されるから。

もちろん、「自分がワクワクする服を買う」とは書いてなかった。全員に当てはまることではないから。でも、そういうものこそ狭く深く刺さることが隠れていると思う。

そもそも、幸せは感情の一つだ。感情は人それぞれ違うから、こればかりは自分にしかわからない。生産的でも幸せに感じないことはあるし、無駄でも幸せに感じれば幸せだと言える。

今まで、感情に流されて非生産的な判断をすることを悪いことのように感じていた。でも、自分がそうしたいと思ったなら、そうすることが幸せなんだろうと思う。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。これからも良いコンテンツが提供できるように、頑張ります! サポートして頂けたら、自分へのご褒美にコンビニでアイスでも買おうと思います^^