家を売る

けいです。73歳です。鍵をどこに置いたかわすれることが多くなりました。ワンルームマンションはゴミの部屋です。もう養老院に入ろうと思います。そこで家を売って、養老院の入居代にしようと考えました。これはそんな僕の実話です。

僕は昭和24年生まれ。いわゆる団塊の世代でした。高校の時好きだった女の子が35まで結婚しないと言うので、僕は36まで結婚しないといいました。その約束を守っているうちに結婚適齢期を逃してしまいました。ちなみにその子は27で結婚しています。トホホ。

65で定年ですが、頼まれて二年会社に残りました。親会社から分離独立して入社以降おなじ部署、同じ職種で45年働きました。分社化する前に300万ほどの退職金をもらい、分社化してから小さい会社の取締役で、退職金を600万ほどもらいました。
これらは、カラオケスナックに通ったり、本を買ったりでなくなってしまいました。トホホ。

それで今持ち家を売らないと生活費が不足する事態を迎えました。馬鹿な奴だとお思いでしょうが、父が死に、母が死に、弟が死んで、ここ十年以上ひとり身です。それで自宅を相続したわけですが、パニック障害という精神的に恐怖感を覚える病気になりました。一時間半の通勤が怖いというか、苦しいというか困難になりました。

会社を辞めたら食べていけません。でも通勤は途中三回くらい下車してトイレに駆け込まないと持たない状況でした。別に下痢をするとかではありませんが、人目を避けたくなるのです。このパニックは人によっては死ぬかもしれないと思うほどです。僕の場合は、人前で嘔吐下痢小便たらししそうだという恐怖感でした。会社の連中が近くに越して来たらとアドバイスをくれ、なるほどと思い、日比谷線沿線にワンルームを借りました。その家賃が118000円でした。いまでもそうです。これに100%外食ですから給料は手元に残りません。実は弟が死ぬ前の七年間、弟の介護で毎日弟の三食を僕が用意していました。その弟が心不全で他界し、葬式に栃木から連れてきた認知症が始まっていた母を三年間面倒みました。一人でトイレに行けなくなって、病院に入ってもらいました。病院へ入って三か月で他界します。それで僕一人になりました。だから自分のために食事をる来るのはやらないと決めました。

そこにパニック障害、会社の近所に転居というわけです。仕事は品質管理の一環で、クレームの原因解明でした。入社以来45年間、入社日と退社日で同じ仕事をしているという、面白い職場でした。社内より、社外に友人が多くなるという変わった職場です。

だから、仕事はやりつくしたという感じでした。退社して何をしようか考えました。これまで縁のない仕事に憧れました。それが俳優です。まあ、エキストラね。六本木のプロダクションに契約してもらい、タレント名鑑に写真を載せ、テレビ局などへの商材としてブロマイド撮影やデリバリーをして、一年間に得た仕事は4件でした。

ワウワウのドラマが一件、ほとんど写っていません。携帯のCMが三件。これも写っていません。それぞれの撮影に半日から一日つぶれます。15秒のCMでもです。それで収入は20000円。たった15秒と考えれば高いですが、一日拘束で、プロダクション20%、マネージャー20%と引かれるので実質12000円でした。一年で50000円弱では一月のマンション代にもなりません。だから一年でやめました。

それから作家になろうと考えました。WORDがあればあとは頭と腕だと思い、作品を書きだしました。たしか、赤川次郎さんと誰かが話していたと思うのですが、赤川さんは作業部屋として借りていたそこに来ると、五時ころ帰るまでサラリーマンの様に、キーボードを叩いている。自分はアイデアも浮かばないから何もできない。かれはどうやって作品を書いているのだろうと不思議だったというものです。だからそんなもんだと思っていました。キーボードに向かいます。狸と狐の話にしようと決めます。あとは思いつくままに狸と狐が出てくる話を作ります。そう、僕は話とはそうやってできるものだと思っていました。

今もそうです。ジョナサンで家を売る話と養老院に入る話を書こうと思いました。これはドキュメントですから、体験談を書けばよいので、考えることもありません。お昼に石鍋水餃子を食べてから約二時間、「湯けむりスナイパー」を書いて、今日の二作目です。今十三時半。家を売る背景は説明できたと思います。ここからが具体的な話です。

インターネットに不動産販売の広告が来ます。今あなたの家を売ったらいくらでしょう?という奴です。無料です。あれに条件を書いて送ると、地元の不動産業者数社から見積もりが来ます。あるいは見積もり前の問い合わせが来ます。まあ、冷やかしではないから、正々堂々条件を話します。そうして届いた見積書は、府中市で土地40坪、建坪12坪、床面積24坪築34年という木造二階建てです。誰もが建物は価値がないと。だから土地代金ですというのです。でも自分で考えて建てた家。広い部屋は7坪、一、二階にトイレと台所。階段は十四段、風呂桶は鋳物琺瑯の140cm、屋外に水道二箇所、コンセント二箇所、ガス一箇所という便利さ。すべての窓ガラスは二重です。二階のコンセントは床に埋め込み式。一回のコンセントは床から30cmと180cmと凝っています。

1階は和室で二部屋作りましたが、弟が車いす状態になってしまったので、フローリングに変更しました。
癖があるかもしれませんが、自慢の我が家でした。それを無価値といわれるとカチンと来ます。だから建物は壊さないで、購入希望者に見てもらおうと考え、建物付きで売りに出します。

さて、ネットで不動産価格を提案しますというところにお願いしますとだしたら、四社からコンタクトがありました。どこの会社も土地の登記を調べて、土地面積から路線価格と販売実績をもとに見積もります。一番安い会社で3400万~3800万、次が3600万~4000万、さらに3800万~4200万。さらにさらに4300万~4950万でした。最低で1000万、最高で1150万の違いがあります。よく不動産の販売は複数社にあたれと聞きますが、まさにその通りでしたね。この一社はずば抜けて高価です。しかし、これは顧客を釣るための餌の様に思います。かといって始めから低額のところが高く売ってくれるとは思えません。それでも安いところと高いところでは400万円の違いがあります。安めに付けたグループの一番高いところも考えに入れていいでしょう。

でも私は、高いところの一番安い値段が安いところの一番高い値段より高いことにひかれました。だからそこと契約を結びました。さて実際いくらで落ち着くのでしょうか。

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