塩狩峠 - 感想・引用
今回の記事は、列車を停めるために列車の下敷きになった国鉄職員の信夫をモデルにした話。この信夫がクリスチャンだったこともあり、キリスト教に対する見直しが進んだとのことです。
この記事では、本の要約をするのではなく、輪読会を行うにあたり、私が読んだ感想や本からの学び、一部引用を紹介するものです。輪読会用のメモなので、一般的な記事のようにきちんと整理されているわけではないのでご了承ください。
感想
作中で祖母と父が二人もあっさりと逝ってしまったが、命はこんなにも簡単に無くなってしまうのだと改めて思い出させてくれると思う。
昨日安倍元首相が急に亡くなったこともあって、この件については考えさせられた。
また、遺物とは何なのかという点についても同様。
勇ましい高尚なる生涯を遺したと言えると思う。
本になっている時点でそうだと思う。
耶蘇教に対する偏見がこの時代にこれほどあったのだと思った。
この時代の背景があまりわからないけど、なぜこんなにも固定概念があるのだろう。
また、現在の宗教があるのにも関わらず、信者を獲得して、広がっていくというのはすごいと思った。
母は、耶蘇教であったことから、信夫が生まれてすぐに家を出ているが、それを決断して実行させているところに宗教の凄さがある。
おそらく常識的に考えれば、そんなことは出来ないのではないかと思ってしまう。
改宗の部分は、スッと改宗しても不思議ではないと思う。
結婚するタイミングで、婚約者がクリスチャンと発覚。
また、祖母も父もあっという間に無くなっている。
父が亡くなった時は、母と妹を家長として守っていかなければならないという立場上の変化もある。
その2人を支えていくというのもそうだが、大学進学が断たれたり、若干の虚しさがあった。
真の人生の意味に疑問があったのではないかと思う。心の奥底で。
吉川がそれまでの聖書というか、導いてくれる存在だったのだと思う。
吉川の存在が何とも良いものだと思う。
また、自分が勉強も運動も平均以上にできるということで、少し思い上がっていた。
すぐ近くの周りの人と話が合わないというのも、それを裏付けているのかと思う。
吉川が大人びた存在で、北海道という遠い地にいるというのも良い点。
途中で欲望のままに生きることが真の人生の意味ではなく、幸福につながる訳ではないと気づく。
自分の傲慢さに気付いた反省と新しい生き方の模索的なところもあったと思う。
また、トラオの存在もあると思う。
どういう人間が良い人間なのか?
現生で言われている良いことは、本当に普遍的に良いことなのか?
自分に害を成した人が、最終的に囚人になっている。当時、何の咎めもなくても、結局末路は囚人という、因果応報的なものも感じられる。
周りの人がそれを信じているかどうかということは、敬虔な信者には関係あるのかどうか?
導入の部分ではもしかしたら関係あるのかもだけど、クリスチャンや回教徒で、我々の神や預言者がいかに優れているかという話はするかもだけど、我々の宗教の方が信者数が多いみたいな話は聞いたことがない。
何か宗教のもたらすものや人生の意味に気付いたりする人もいるが、それが持続するかどうかは不明。
代々宗教一家みたいな、世襲のタイプは改宗や入信みたいな経験をしているかどうかは不明だし。
これは政治家一家とかを見ていても思う。
モルモン教
神に真剣に祈りを捧げ、質問を聞いたりすると、心が温まる感覚があり、答えや導きがわかると自分は言われていた。
こういう人生や宗教について考えさせられる本や経験が溜まり、ある時、俯瞰的に見つめ直すということがあると、そういうものに関心が湧いてくるのかも。
長い階段を登っていくみたいな、直線的な時間の連続が予想される瞬間に、感じるのかも。
輪読会
宗教とは何か?
どうやって広まっていくのか?
愛とは何か?
受け入れる・寛容さ
愛と感謝は似ている、何が違う?
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