「発信する勇気」って、なんだろう?

 おはようございます。市山です。

「発信する勇気」についての個人的な考え、

 まとめます。


1,発信する勇気って、なんだろう?


 最近、ふと考えることがあります。

発信する勇気って、なんだろう?

 私を取り巻く環境は、ここ1,2ヶ月で大きく変わりました。

 末吉さんが運営するスクールや、コミュニティに参加したこと。

 これが私を激変させました。

 noteを本格的に始めて、自分を表現しながら、たくさんの出会いと学びを得ることができています。

 特に、直近のコミュニティへの参加。

 それによって、冒頭での「発信する勇気って、なんだろう」と考えるようになったのです。

2,発信する勇気の本質


「それで、発信する勇気に対する問いの答えは
 まとまったの?」

 それについては、まとまりつつあります。

 ここからは個人的な考えを、まとめていきますね。

 発信する勇気とは、

 「主体性

 だと思います。


 noteを始めて、約1ヶ月。

 あることに気がつきました。

 「発信は、誰かに言われて
 表現しているわけじゃない。

 "自分の意思"で、表現しているんだ!

 今日までの発信は、誰かに頼まれて表現したわけでも、誰かに「やって?」と言われて表現したわけでもありません。

 自分の意思で、考えや感じていることを自分の言葉で表現してきました。

 自分の意思で発信すること

 それは、"主体性があるからできること"とも、言えるのではないでしょうか?

3,コミュニティで感じた危機感の正体


 この考えに至るのを加速させたのは、コミュニティへの参加です。

 始まったばかりのコミュニティで、私は「危機感」を抱いていました。

「イベントが開催されるまで、
 ただ何もせず待っている。

 それは、運営の方に
 何かをしてもらうのを
 待っている
のと同じじゃないのか?

 その状態で、本当に
 発信へと繋がるのか?

 そこに、自分の意思はあるのか?

 待っているだけで、
 自分の意思は動き出すのか?

 運営の方が行うイベントは
 きっかけになるだろう。

 だけど、最後に決めるのは自分自身

 待っている状態が長く続けば、
「誰かが何かやってくれるだろう」
「誰かが私を起こしてくれるだろう」

 そんな気持ちが生まれるんじゃないのか?

 メンバー自らが行動して初めて、
 発信する勇気が意思を持って
 動き出すんじゃないのかっ!

 内に眠る熱い自分がそう思ったからこそ、アイデアを出しまくったのでしょう。

 危機感の正体は、主体性の欠落への恐れ

 おそらく、これです。

 発信を続けてきたことと、コミュニティの状況が合わさり、「発信する勇気=主体性」という考え方に行きつきました。

4,最後に決めるのは、自分自身


「発信する勇気は「主体性」という
 考えは、なんとなくわかった。

 けど、あなたも本の言葉とか
 周りの事例とかに影響されて
 発信を始めたんじゃないの?」

 そう思う方もいると思います。

 正直に言うと、影響は受けました

 「発信する勇気」という本に出会えなければ、noteで発信している今の私は存在していません。

 断言できます。

 実際、今も読み返して、本に書かれている内容や言葉に、背中を押してもらっています。

 しかし、いざ始めたときは、誰かに「やりましょう」と言われて始めたのではありません。

 自分で「やろう!」と決めて、始めました。

 確かに始める前は、いろいろな言葉を受けて考えましたよ。

 発信する/しないリスクや発信による未来、発信のやり方、発信して自他ともに傷付いたらどうしようなどなど…

 それら全部ひっくるめて、自分の意思で始めました。

 そして、「今」があります。

 どれだけ影響されても、最後の最後に決めるのは、自分自身です。

 やってみるのも、今はやらないのも、全ては自由。

 どんな選択をしても、それはリスペクトされるものです。

 ただ、やってみて感じたことがあります。

 「やってみることで、何かを得られる

 皆さんの人生が意思を持って動き出すことを、願っています。


 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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