ねぇ、春。#1
奪う勇気を捨てた者たちは
寄り添うこともなく にわかに夜は消えた
202X年4月
僕は、夜の桜を眺めている。
周りには必要以上の声量で会話をする若者
ワンカップの酒を片手にタバコを吸う老人
人の目を気にせずペットボトルをマイクに見立て
漫才を練習する若い二人・・・
僕の名前は吉武孝弘、31歳になる
社会人2年目の何者でもない男だ。
この季節になる度、あらゆる所から
「何かの始まり」という名のパワーが溢れている
特別な何かがあるわけではないが溢れている
匂いのせいなのか、空気が変わる。
そしてその代償と同じくらいの決別も存在する。
8年前の4月
北海道から上京した僕は新宿駅にいた
「でかすぎる、どこから出ればいいのか分からん」
地元の駅を駅と定義していた自分からすると
そこはまるでイベントことがあるとしか
思えない人の量であった。
迷いながら乗った電車で新居へと向かう
京王線沿いにある代田橋という駅だ
各駅停車で新宿から10分もかからない街だ
大きなマーケットは一つ飲み屋が連なり
東京でありながら少しこじんまりとした印象だ
「するが荘」これが自分の家だ。
それにしてもボロい、狭い、木の匂いがする。
それでも心は前向きであった
「ここから始まるんだ!」誰もいない部屋で呟く
「養成所の入学式は4月5日かバイト探そう」
知らない街を歩く、環状7号線沿いを意味もなく
YUI の「LIFE」を聞きながら歩く
地元では考えられない程、派手で可愛い女性がいる
東京はやっぱり東京なんだと胸が躍る。
「いつか芸人として売れたらあの人ナンパしよう」夢と希望に溢れた若者は勝手に盛り上がる。
「はい、ゴールデンアップルさんのコント道具
袖の前に準備してます!」
「ありがとね、理沙ちゃん助かるわ!」
東京では365日どこかで必ずお笑いライブが
行われている、夢を見る若者からベテランが
人を笑わせている。
私がこの仕事を始めたのは5年前
もともとテレビが好きだった私は
エンタメ系の専門学校を卒業後にテレビや
ミュージシャンのライブの裏方等
表舞台に立つ人たちのサポートしてきた
現在はとあるお笑い事務所のスタッフとして
芸人と呼ばれる方々のサポートをしている。
もともとお笑いは好きだったが
生で見るお笑いというのは映像では表現できない
良さがある、まだ駆け出しではあるし
分からないことも多いが良い職場だと
2ヶ月目の高木理沙は舞台の袖で笑う。
春は何かの始まりであり、別れの季節。
桜は毎年咲いて、散っていく。
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