moetsuki
日本語で「燃え尽き」と書くのは躊躇った。なぜなら人生そのものはまだまだ燃え尽きていないからだ。というもの、昨日下の娘を東京に見送り、私の子育て期間が満了したからなのだ。
格好良く「子育て」なんて書いてみたものの、「子育て」なんてした覚えがない。別に放任主義でもなければ、家庭を顧みない自己中旦那でもないとは思う(ここは私が評価するものではない)のだが、特に「子育て」に熱心だったなんて思ったことがない。
上の娘は吹奏楽に夢中でよく演奏を聴きにいったけれど、これも一般的な親ばか視点ではなかったと思う。単に自分が吹奏楽に興味を持ったり、合奏の楽しさに触れて新鮮だったからだと思う。下の娘はソフトボール部だったこともあり、熱心に試合を見に行ったりしたけど、今思えば単にゲームとしての面白さに惹かれていたのかもしれない。
そんな娘たちがそれぞれ大学を出て就職し、親元から出ていくのを見守っていた。昨日一人で家に帰ってきて、空っぽの子供部屋を見たときに初めて実感した。
もう動物としての親の役目終わったんだなと。
一つの炎が静かに燃えつきて、傍らにある自分自身の炎を眺める。
まだまだやることはたくさんあるはずだぞ、と自分に言い聞かせるためのメモ書き。
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